レポート3 初期記録
[INITIATING PROTOCOL: CHRONOS-V4]
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[STATUS: CONNECTED TO HISTORICAL NETWORK ARCHIVE / TEMPORAL SECTOR-2026]
[TIMESTAMP: 2050-06-22T14:2:5.685-UTC]
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2030年7月1日、午前8時59分。その瞬間、私たちは研究所の第3セキュリティゲートの前にいた。
生体認証ゲートの網膜スキャンの列に並びながら、亮平はいつものように紙コップのコーヒーを片手に、昨晩組み上げた量子アルゴリズムの最適化について早口で語っていた。私は彼の隣で、タブレットの画面に視線を落としながら適当な相槌を打っていた。
どこにでもある、極めて平凡な朝の光景だ。
壁に掛けられたデジタル時計が、無機質に「09:00:00」という数字を刻んだ。
その瞬間だった。何の予兆もなく、アラートすら鳴らず、世界を動かしていたOSのようなものが一斉に書き換えられた。
事象は、発生から完了まで、正確に約30秒を要した。当時の体感では一瞬であったが、後の報告書を見て知った。
最初に鼓膜を打ったのは、集団から漏れ出た抑えきれない呻き声。それに続いたのは、何十人もの人間の骨格が、内側からメリメリと音を立てて砕け、組み替わっていくという、この世のものとは思えない不気味な破砕音だった。
私の斜め前で待機していた、身長190センチを超える屈強な男性警備員の身体が、突如として内側へと崩れ落ちた。彼の広い肩幅は瞬時に折り畳まれ、骨格が急激に縮小していく。ほんの数秒のうちに、彼に合わせて仕立てられていたはずの分厚い制服は巨大なテントのようにブカブカになり、彼は自分自身の服に埋もれるようにして床に転倒した。そこから漏れ出たのは、聞いたこともないような甲高い悲鳴だった。
対照的に、ゲートの操作盤の前に立っていた小柄な女性研究員には、恐ろしいほどの膨張が襲いかかった。彼女の華奢な骨組みは急激に太く長く伸び、圧倒的な筋肉量が瞬時に生成された。その物理的な体積増加に衣服の繊維が耐えきれるはずもなく、彼女が着ていた白衣とブラウスは破裂音とともに引き裂かれ、弾け飛んだボタンがセキュリティゲートの強化ガラスにパチパチと叩きつけられた。彼女は突如として手に入れた巨大な両手で自身の胸を抱え込み、低く響く野太い男の声で過呼吸に陥っていた。
縮んで服に埋もれ、靴が脱げて転倒する元男性たち。
巨大化して服が弾け飛び、自身の筋力を持て余して壁に激突する元女性たち。
たった30秒。たった30秒で、管理されていた静謐な研究所のロビーは、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
私は、ただその場に立ち尽くしていた。
私の身体には、何の痛覚も、何の熱も走らなかった。視界が揺らぐことも、骨がきしむこともない。私の「例外コード」は、このシステムアップデートを完全に無視していた。ただ、このときの私はこの事象の内容も理由もルールも何もかも知らなかったので、ただただ驚きと恐怖だけが頭の中を駆け巡っていた。
そして私は横に立つ相棒を見た。
亮平は、持っていたコーヒーを床に落としていた。180センチあった彼の長身は、私の目の前で急速に縮んでいった。角張っていた顎のラインは丸みを帯び、肩幅が狭まり、骨盤の形状が変化して重心が下がる。スラックスは足首に溜まり、着ていたワイシャツはまるでワンピースのように彼の——いや、「彼女」の身体を覆っていた。
男性であった彼は、30秒で完全な女性の身体へと変貌した。
「信玄……なんなんだよ、これ……」
彼女は、突然大きくなったワイシャツの襟元を掴みながら、恐怖に見開かれた目で私を見上げた。声帯が変わったため、聞き慣れた彼の声ではなく、高く震える女性の声だった。しかしながら、私を認識して、以前と同じ口調だったため、全くの別人になったわけではないと、このとき感じた。
そして、亮平にとっての地獄は、肉体の変異では終わらなかった。
私の目の前で、女性の身体になった亮平が、突然、言葉にならない絶叫を上げて床に崩れ落ちた。
彼女は自身の腹部を両手で掻き毟るように押さえ込み、エビのように身体を丸めて痙攣し始めた。ただのパニックではない。明らかに、内部から引き起こされる致死的な激痛に対する物理的な反応だった。
「痛い、腹が、腹が、割れる……ッ!!」
お腹が急激に膨れ上がり、助けを求める亮平。
その数秒後だった。
亮平の動きが、唐突に停止した。
本当に、糸が切れた操り人形のように、パタリと。最後に大きく痙攣したかと思うと、彼女の目は虚空を見つめたまま焦点を失い、口からわずかな泡を吹いて、完全に息を引き取った。
私の最高のビジネスパートナーであり、私のアーキテクチャを唯一理解していた人間は、変異からわずか数分で、呆気なくこの世を去ってしまったのだ。
なぜ彼女が突然死したのか。その凄惨で理不尽なメカニズムについては、後ほど説明する。
私は、動かなくなった亮平であった女性の死体を見下ろした。
周囲では、パニックに陥った人々が泣き叫び、自身の変化した身体を確かめるようにまさぐり、あるいは見知らぬ異性(かつての同性)の裸体から目を背けようと這いずり回っている。非現実的な光景に対する戸惑いと、恐怖による嘔吐の匂いがロビーに充満していた。
その阿鼻叫喚の中心で、私は自身の両手を目の前にかざした。
関節の太さも、皮膚の質感も、指の長さも。何一つ変わっていない。着ているスーツは完璧に私の身体にフィットしたままだ。
なぜ、私だけが変化しなかったのか。
後に知ったが理由は明確だった。私はシステムのエラーだからだ。世界という巨大なプログラムは、全人類のハードウェアを強制的に書き換える際、私の存在を「解釈不能なバグ」としてスキップしたのだ。
私は完全に安全だった。そして、絶望的なまでに孤立した。
私はこの日、男でも女でもなくなったのではない。人類という種族の定義から完全に外れ、この狂った世界を特等席で観測するためだけの「カメラ」になったのだ。
亮平の亡骸を見つめながら、私は静かな、しかし確かな冷たいやり場のない怒りが、自身の思考回路(脳)の奥底に焼き付けられるのを感じていた。
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[WARNING: TEMPORAL CONNECTION UNSTABLE]
[REWRITE STATUS: SUCCESSFUL / HORIZON SAFE]
[DISCONNECTING FROM DOMAIN_2026...]
[AUTO-PURGING LOCAL CACHE... DONE]
[PACKET LOSS EXCEEDS CRITICAL THRESHOLD]
[REWRITE STATUS: COMMITTED TO TIMELINE_ALPHA]
> TERMINATING SESSION...
[CONNECTION CLOSED]




