99.「 きれいな記録」
朝、ランドルフが運んできた一通の書状。
王宮の紋章が刻まれているが、そこには以前のような仰々しさはなく、封蝋も一つだけ。
私はすぐにレオを呼び、執務室で二人、肩を並べてその封を切った。
先に読み終えたレオが、無言で私に紙を差し出す。私もそれを手に取り、記された文字を追った。
内容は、予想していたよりもずっと簡潔なものだった。
『レオ・グランツの辞令拒否について。王国は、本件を個人的事情による異例の申し出として受理し、反逆とは見なさない。ただし、次の処分を下す。――騎士資格の剥奪。現任地での引き継ぎ完了を以て、騎士団から除籍とする。以上』
「……騎士資格が」
掠れた声で呟く私にレオは、
「そうだ」
と短く応える。
「剥奪、されてしまうのですね。やはり」
「ああ」
「それ以上の重い処分はない、ということですか?」
「今回は、これで済んだ」
「エリシア様の報告が、影響したのでしょうか」
「……その可能性は高い。反逆ではないと明記されているのが、その証拠だ」
彼女は、事実を歪めることなく、それでいて最善の形で報告してくれたのだろう。私は書状を机に置いた。
「あなたは……もう、騎士ではなくなるのですね」
「そうだ」
「それでも、後悔はしていませんか?」
「していない」
「――今のところは、ですか?」
「今のところはな」
彼は少しだけ口角を上げた。
「これでお前への処分も、確定したな」
「ええ。社交界からの追放、そしてヘインフォードの名も、正式に失うことになるでしょう」
それは覚悟していたことだ。レオの背任行為に加担した者として、当然の報い。
「社交界から追放されても、どうにかなるか?」
「どうにかします。いえ、あなたがいれば、どうにでもできる気がします」
「俺がお前の潔白を証言する。約束だ」
「……ありがとうございます」
「感謝するなと言っただろう」
レオは呆れたように息をついたが、その瞳は穏やかだった。
その日の午後、私たちはトーマの部屋を訪れた。
ちょうど医者が診察を終えたところだった。
「経過は極めて良好です。少しずつですが、確実に快方に向かっていますよ」
「完全に……回復しますか?」
私の問いに、医者は少し間を置いた。
「良い方向には向かっています。ただ、以前と全く同じように動けるかどうかは、今後の訓練次第でしょう」
「走ることはできますか?」
「……走れるようにはなるでしょう。ただ全力で、となると何とも言えません。ですが、最悪の事態は避けられました。信じましょう、子供の回復力を」
最悪の事態は避けられた――。
それを聞き、胸のつかえが少しだけ下りた。
医者が下がった後、私たちはトーマのベッド脇へ向かった。
「騎士さまも来た!」
トーマが顔を輝かせる。
「ああ、来たぞ」
「なんだか、二人とも今日はずいぶん顔が違いますね」
「よく見ていますね、トーマ」
「いつも見てるからわかりますよ」
「……今日、王宮から書状が届きました」
私がレオを振り返ると、彼は短く頷いた。
「レオが、騎士でなくなることが決まりました」
トーマの表情が固まった。
「……騎士じゃなくなる?どうして?」
「命令に従わなかったからです。別の場所へ行きなさい、別の人と結婚しなさいという命令に」
トーマは私とレオを交互に見つめ、小さな声で言った。
「……クラリス様のために、ですか?」
「そうです」
「レオさんが、自分で選んだのですか?」
「選んだ」
レオの答えに迷いはなかった。
「後悔、してませんか?」
「していない」
「本当に……?」
「くどいな、本当にだ」
トーマはしばらく考え込み、ぽつりと言った。
「ぼく、騎士さまが騎士じゃなくなるのは嫌です。……でも、クラリス様を選んだんなら、それは仕方ないかもしれません」
「仕方ない?」
「だって、一番大切なものを選ぶのは、仕方ないことでしょう?ぼくも、家族のために行動して、怪我をしました。それは、仕方ないことだと思ってます」
その真っ直ぐな言葉に、レオがわずかに目をみはった。
「……お前は、そういう考え方をするのか」
「クラリス様に似ていますか?」
「ええ、少し似ていますね」
私が笑うと、トーマも誇らしげに胸を張った。
「クラリス様と毎日話しているから、似てきちゃったんですよ」
トーマはその後、私たちの『これから』について熱心に尋ねた。まだ何も決まっていない、引き継ぎが終わるまではここにいる、その後は二人で決める。
そう話すと、彼は心底嬉しそうに笑った。
「二人一緒の方が、絶対いいです。別々より、ずっと」
「なぜそう思うのですか?」
「だって、二人で動いている時の方が、全部うまくいくもの。見てればわかりますよ」
少年の純粋な観察眼に、私たちは言葉を失った。
「二人が動いているのを見て、ぼくも早く動きたいと思っていました。また、走りたいって」
「治ったら、また走れます。医者も良い方向に向かっていると言っていましたよ」
「やった……!」
脇腹を庇いながら、トーマが小さくガッツポーズをする。
「騎士さま。ぼくがまた走るところ、見てくれますか?」
「ああ、見る」
「約束ですよ?」
「約束だ」
「クラリス様も、二人で来てくださいね」
「もちろん。二人で見に行きます」
トーマは満足そうに目を細めた。その顔色は、昨日よりもずっと健康的な赤みを帯びていた。
部屋を出ると、廊下でカルが待っていた。
彼からの報告は三つ。
南東区域の不穏な空気が静まったこと。
一度領地を離れた住民たちのうち、三家族が戻ってきたこと。
そして、レオが作成したトーマの記録が、正式に引き継ぎ資料へ添付されたこと。
「レオ様の記録は、実に『きれいな』記録でしたよ」
カルが微笑む。
「きれい、ですか?」
「ええ。正確でありながら、そこに生きる人の顔が見える。そんな記録です」
カルは
「では、続きをやってきます」
と言って、足早に去っていこうとした。
「ありがとうございます、カル」
私はその背中に声をかけた。
「ここまで一緒に歩んでくれて、本当に、ありがとうございます」
「……まだ、終わっていませんよ」




