96. 「あら、珍しい」
いつも結論だけを突きつける彼が、迷うように間を置く。
「お前は……これから、どこへ行くつもりだ?領地が移管され、社交界から追放されるかもしれない」
「……まだ、決めていないわ。先のことを考える余裕がなかったから。あなたは?騎士でなくなったとして、どうするの?」
「どうにかする。俺にできるのは騎士の仕事だけじゃない。身体を使う作業、管理や事務、どこかで雇ってもらえるだろう」
「……私も、同じかもしれないわね。この四ヶ月で、数字の読み方も、交渉の仕方も随分上達したわ。どこかで仕事が見つかるかしら」
「俺が保証してやる。お前の能力は、俺が一番よく知っているからな」
私は一瞬、言葉を失った。
「……ありがとう」
「感謝するなと言いたいが……今日は、受け取っておく」
「あら、珍しい」
「お前が言っていただろう。慣れていなくても受け取れると。だから、試してみることにした」
私は少しだけ、口元を緩めた。
「それじゃあ、遠慮なく。……なんだか、私、あなたへの接し方が変わった気がします」
「ああ。最初の頃の、あの慇懃な丁寧さはどこへ行ったんだ?」
「あなたの影響よ、きっと。遠慮がなくなってしまったの」
「……悪くない」
「ふふ。じゃあ、これからも遠慮しないわね」
レオは窓の外、荒れた畑の向こうを見つめた。
「正しいやり方じゃない」
「何が?」
「命令を断り、お前を選んだことだ。騎士としても、官僚としても、間違いなく正道ではない」
「そうね。正しくはないわ」
「それでも――俺は、お前を選ぶ」
あの夜も聞いた言葉。けれど今日の声には、決断を超えた『確認』の響きがあった。
「私もよ。正しくなくていい、前はあなたの言葉に応えただけだったけれど、今は、私自身の意志として言えるわ。私は、あなたと一緒に間違えたい」
テーブルの上、私たちの手が、昨日よりもずっと近い距離で置かれている。
触れ合ってはいないけれど、その熱が伝わってくるような。
「これから、どうなるか分からないわ。評議会の結果も、領地の行方も」
「ああ。すべては不確定だ」
「でも、今日ここで選んだという事実は、確かです」
「……そうだな。続けていこう。この選択を、明日も、その先も」
胸の奥で、名前のない感情が静かに波立った。不安はある。でも、孤独ではない。
「まずは、引き継ぎを終わらせましょう。午後の予定を確認してもいい?」
「ああ。俺の記録もまとめてある。一緒に確認しよう」
「ええ、一緒に」
私たちは立ち上がり、応接室を出た。
廊下には、端まで蝋燭が並び、柔らかな光を投げかけている。
王国は動き出した。私たちは、その巨大な流れに逆らって歩き出した。
昨日と同じ廊下。昨日と同じ風景。しかし、踏みしめる一歩の重みは、昨日までとは比べものにならないほど、確かで力強かった。
☆
翌日、予定より早くエリシアが屋敷を訪れた。
来週の予定だったはずだが、王宮側の動きに合わせて前倒しになったのだと知ったのは、彼女が到着してからのことだ。
朝、執事のランドルフが困惑した様子で報告に来た。
「エリシア様がお見えです。官吏の方もご一緒です」
「今日、ですか?」
「はい。急な来訪となった非礼を、深くお詫びしたいとのことです」
「わかりました。応接室へお通しして。それから――レオにも伝えてちょうだい」
応接室の扉を開けると、そこには官吏を伴ったエリシアがいた。
非の打ち所のない、凛とした立ち姿。
余計な装飾を削ぎ落とした服装は、彼女の合理的な性格をそのまま形にしたかのようだ。
「突然の訪問、お許しください」
「構いません。ただ、少し驚いただけですから」
「昨日、こちらに使者が訪れたと伺いました。その件で、お話ししたいことが」




