95.「人は変わる」
親しげな、しかし厳しさを孕んだ呼びかけに、レオの背が伸びる。
「……ガイゼル様」
「報告は読んだ。だが、俺は貴様自身の口から理由を聞きたい。個人的な事情、などという言葉遊びではなくな」
ガイゼルと呼ばれた上官は、鋭い視線でレオを射抜いた。
「ヘインフォード領での四ヶ月、ここでの何かが、お前を変えたはずだ。違うか?」
レオは、静かに吐息を漏らした。
「……変わりました、『正しさ』の意味が、変わったんです」
ガイゼルの視線が、私とレオの間を往復する。
「この令嬢と、関係があるのか」
「あります。……今はまだ、うまく言葉にできません。ですが、私は選びました」
「命令より、個人の選択を優先したと」
「そうなります」
部屋が、しんと静まり返った。
ガイゼルは怒鳴ることもなく、ただじっと、教え子を見るような目でレオを見つめていた。
「……分かった。報告は上に上げる。評議会の判断を待て」
「はい」
「それまではここにいろ。引き継ぎを、最後まで全うしろ。それが今のお前にできる、唯一の『仕事』だ」
「――了解しました」
☆
使者たちが去り、応接室には私たち二人だけが残された。
しばらくの間、言葉はなかった。窓から差し込む朝の光が、テーブルの上で白く光っている。
「……評議会の判断が最悪だった場合は、どうなるの?」
「騎士資格の剥奪だ」
「それ以外には?」
「よくて降格、あるいは辺境への転属か。……正直、前例がないから分からない。命令拒否の理由に『個人的な選択』を挙げた騎士なんて、俺が知る限り一人もいないからな」
「……あなたにとっても、珍しいことなのね」
「ああ。自分でも驚いている」
私はレオの横顔を盗み見た。
「上官の方は……怒っていませんでしたね」
「あの人は、結論を出す前に考える人だからな。怒鳴らなかったのは、まだ俺の言葉を吟味してくれている証拠かもしれない」
レオが私に向き直った。
「……後悔しているか?」
「していません。昨日の今日で、気が変わるほど優柔不断ではないわ。あなたは?」
「俺も、変わってない」
「ふふ、それなら十分です。先のことは、先になってから考えればいいわ」
「……冷静だな」
「あなたに言われると、なんだか複雑な気分です。私は、自分では感情的な人間だと思っていたから」
「両方だ」
レオは事もなげに言った。
「合理的な部分と、感情的な部分。お前の中にはその両方がある。だから、お前の行動は『見える』んだ。合理だけの人間は感情が読めず、感情だけの人間は次が読めない。お前は両方持っているから、次にどこへ向かうかが予測できる」
「予測できる?じゃあ、私の考えていることは筒抜けなの?」
「……大体はな。ただ、あの夜の返答だけは読めなかった」
「意外だった?」
「ああ。もう少し迷うと思っていたからな。あまりに即答だった」
「迷わなかったわけじゃないわ。でも、答えは出ていたの。あなたが言葉を選んでくれている、その間に」
「それでも早いな」
「長く考えてきたことだったから」
レオが、ふっと視線を落とした。
「俺も……似たようなものだ。いつから自分が変わったのか、今朝考えていた。けれど、明確な瞬間なんてなかった。全ての積み重ねの結果なんだろうな」
「一日では変わらなくても、一つの季節もあれば、人は変わるのね」
「ああ。……変わってしまった」
朝の光が、部屋の空気を優しく包んでいく。
「クラリス」
レオが、珍しく言葉を詰まらせた。




