90.「何かが変わっていた」
「……それは、騎士として正しくない選択です」
「分かっている。だが、正しい選択を続けてきた結果、俺は奪う側になり、トーマを絶望させた。そんな俺に、これ以上『正しさ』を語る資格はない」
彼は体ごと私を向き、灰色の瞳に宿る熱い光で私を射抜いた。
「……なぜ、私なのですか」
「お前と過ごした時間が、事実としてここにあるからだ。そして――お前が『分かり合えないままでも、一緒にやっていける』と言ったからだ。あの時から、俺の中で何かが変わっていた」
あの日の言葉。
私が諦め半分に投げ出した言葉を、彼はそんなにも重く受け止めていたのか。
「お前も選ぶ必要がある。俺がどうなろうと、お前自身の意志で決めてくれ。……俺は、変わらない」
命令に背けば、彼は騎士としての地位も、名誉も、未来も失うことになる。
「後悔……しませんか?」
「するかもしれない。だが、後悔しないために正しい道を選んできた結果が、今のこの状況だ。ならば、今度は後悔するかもしれない道を選ぶ」
あまりにも不器用で、あまりにも真っ直ぐな、レオ・グランツらしい宣言。
「……正しくありませんね」
私は小さく笑った。
「騎士として、致命的に間違っています」
「そうだな」
「でも……正しくなくていいです。私は、あなたと一緒に間違えたい」
部屋が、深い安堵に包まれた。
消えそうに揺れた蝋燭の炎が、再び力強く立ち上がる。
「……お前も、そう選ぶのか」
「選びます。以前の私は諦めから選んでいましたが、今は違います。どちらでも選べる自由がある場所から、自分の意志で、あなたを選びます」
レオは深く息を吐き、命令書を引き出しへと戻した。
「……おやすみ。明日、上官にすべてを話してくる」
「待っています」
立ち上がり、扉へ向かう彼の背中に、私はもう一度声をかけた。
「レオ。ありがとうございます」
「……ああ」
足音が遠ざかり、再び一人きりになった執務室。
私は引き出しから、布に包まれたあの指輪を取り出した。解かれた布の中から現れた青い石が、蝋燭の光を反射して凛と輝く。
「諦めでは、ありません」
誰もいない部屋で、自分に言い聞かせるように呟く。
手のひらの上の指輪は、驚くほど軽かった。今夜、その重さは確実に変わっている。
それは逃げ場を失った者の重さではなく、自らの意志で選び取った者の、確かな『覚悟』の重さだった。
窓の外で荒れ狂う風の音も、今はもう、恐ろしいとは思わなかった。
☆
翌朝、レオはまだ夜が明けきらぬうちに出かけていった。
朝食の準備を整えていたランドルフが、静かにその事実を告げる。
「レオ様は夜明け前に発たれました。行き先については、特におっしゃっておりませんでしたが……」
「そうですか」
「何か、心当たりはございますか?」
「……おそらく、上官に話をしに行ったのだと思います」
「左様でございますか」
午前中、私は自室に籠もって引き継ぎ資料の作成に没頭した。
ただ無心に手を動かす。
そうしていないと、彼が今ごろ王宮でどんな糾弾を受けているか、想像が膨らんで押し潰されそうだったからだ。
考えても、私にできることは何もない。それならば、せめて目の前の義務を果たす。
それだけが、今の私に許された戦い方だった。
けれど、ペンを握る手が不意に止まってしまう。そのたびに私は小さく首を振り、再び白い紙にインクを走らせた。
昼を過ぎても、レオは戻らなかった。
カルが昼食を運んできてくれる。
「食べてください、クラリス様。少しはお腹に入れないと」
「……ありがとう、カル」




