83. 「後でいい」
レオの言葉に、トーマは満足そうに目を細めた。そして、重い瞼をゆっくりと閉じていく。
部屋を出ると、夜の廊下は凛とした静寂に包まれていた。
「『正しかった』と言ってもらえたわね」
私が隣のレオに声をかけると、彼は短く
「ああ」
とだけ返した。
「でも、正しかったのに、助けてほしかったと言われた」
「……正しさだけでは、守れないものがある。分かっていたつもりだったが、今日は違う響き方をした」
「どう違いましたか?」
「知識ではなく、顔のある言葉として聞いたんだ。トーマの顔で。……正しさと、救いのなさが同時に存在することを」
レオの横顔は、暗がりのなかでどこか変わって見えた。
「俺は、正しい方を選び続けてきた。合理的な方を選び、その積み重ねの結果が今だ。……だが、正しさでは救えないものがある。それが俺の出した結論だ」
「……それが分かったなら、次はどうしますか?」
「……まだ、分からない」
「分からなくていいと思います。今夜、あなたがそれを口にできたこと自体が、大きな変化なのですから」
レオは少し黙り、それから私を見た。
「……お前は変わらないな。そういうところが」
「どういうところですか?」
「……言わない」
「なぜですか」
「言いたくないからだ」
その子供じみた頑固さに、私は思わず微笑んでしまった。
「では、言わなくていいです」
「……ああ」
レオの足音が遠ざかっていく。
今夜の彼の足取りは、いつになく重厚で、だけどどこか軽やかでもあった。
何かを置いてきたような。あるいは、新しく何かを拾い上げたような。
☆
翌朝、レオは驚くほど早くに目を覚ましていた。
というより、夜明け前からずっと執務室に籠もっていたらしい。
私が朝食のために廊下を通りかかると、扉の隙間から細い光が漏れていた。
まだ周囲が暗いなか、揺らめく蝋燭の光だけが廊下にこぼれ落ちている。
「レオ様は早朝からおられます。今朝は食事も取っておられないようで」
ランドルフの言葉に、私は眉をひそめた。
「……お持ちしましょうか」
「既にお声がけしましたが、『後でいい』と。あの方らしいお返事でしたよ」
私は一人で朝食を済ませながらも、意識の半分は執務室の方へ向いていた。
食事が終わると、私はパンを一つだけ布に包み、意を決して執務室の扉を叩いた。
「入れ」
短い許可を得て中に入ると、レオは机に覆いかぶさるようにして書類の山と格闘していた。
広げられているのは、いつもの地図ではない。
今回の領地再建に関する、膨大な報告書の束だ。
「朝食、まだだと伺いました。少しでも食べたほうが良いですよ」
「後でいいと言ったはずだ」
「……後でいいなら、ここに置いておきますね」
私が机の端に包みを置くと、レオは一瞬だけ視線を動かし、パンの包みに目を落とした。
けれど、それ以上は何も言わずに視線を書類へと戻す。
「何を確認していたのですか?」
「……功績の処理についてだ。最初から今までの記録を、すべて洗い直していた」
レオは珍しく、言葉を選ぶように少し間を置いた。
いつもなら即断即決、考えるより先に結論を出す彼が、今朝はまるで慎重に足場を固めるような話し方をしている。
「そこに座れ」




