81.「一番信頼」
書類に残るものは、数字と文章に変換され、次の管理者へと引き継がれていく。
けれど、書類には決して残らない、あの時の熱量や視線の交わし合いは、私とレオ、そして共に生きた住民たちの記憶の中にしか存在しない。
ふと、ペンを握る手が止まった。窓の外を見やれば、この冬には珍しいほどの快晴が広がっている。
白く、強い光。
それは春がすぐそこまで来ていることを告げているようだった。
昼過ぎ、レオが現場から戻り、執務室へ顔を出した。
「現場の確認は終わった。南東区域の混乱も、ようやく落ち着き始めている」
「住民の様子はどう?」
「前よりは静かだ。……ただ、引き継ぎの件が広まったことで、逆に『諦め』が蔓延し始めている住民もいる」
「諦め、ですか……」
「抗っても無駄だと思えば、人間は静かになる。短期的には安定するが、長期的にはこの地を離れる者が出るだろうな」
「……移管後のことが心配です。あの方々に、この領地を任せても大丈夫なのでしょうか」
「俺も、同じ懸念を抱いている」
私たちはしばらく、今後について意見を交わした。
レオは、エリシアという人間の合理的な側面を評価しつつも、その限界を冷静に見極めていた。
感情を排除するやり方は情報の処理精度を上げるが、それだけでは救いきれないものが必ずある。
「意外ですね。あなたがそんなことを言うなんて」
「なぜだ」
「感情を排除することを、あなたは肯定しているのだと思っていました」
「否定はしていない。だが、感情『だけ』で動くことを危惧しているんだ。……両極端なやり方の問題点は、嫌というほど見てきた」
私は少し考えてから、彼を見つめた。
「今……あなたは、どちらに近いのですか?」
「どちらでもない。……いや、どちらでもあるのかもしれないが、うまく言えないな」
「うまく言えないことを、正直に言ってくださるのですね」
「嘘をつく理由がないからな」
そのぶっきらぼうな答えに、私は思わず口元を緩めた。
「そこは、初めて会った日から変わりませんね」
「何が変わったと思っている?」
「多くのことが変わりました。でも、あなたが嘘をつかないところだけは、一番信頼できるままです」
レオは少しだけ視線を泳がせると、咳払いをひとつして立ち上がった。
「……夕方、トーマのところへ行く。何か言いたいことがあると言っていたんだろう?」
「ええ。直接、あなたに伝えたいことがあるそうです」
「……分かった」
夕方、トーマの病室に私たちは集まった。
先にいた私の元へ、レオが扉を開けて入ってくる。
「騎士様……来てくれた」
トーマの声に、レオは無言で頷き、差し出された椅子に腰を下ろした。
トーマは少しだけ背筋を伸ばした。痛むのか顔を歪めたが、それでもまっすぐにレオを見据える。
「騎士様に、言いたいことがあります。……あの夜のことです」
「……聞こう」
「騎士様は、ぼくを止めようとしてくれましたよね」
「ああ、そうだ」
「でも、ぼくが聞かなかった。……だから、騎士様のせいじゃないです」
レオの動きが、一瞬だけ止まった。
「……そんなことを言うために、俺を呼んだのか」
「はい。騎士様、ずっと自分を責めて謝っていたから」
沈黙が流れた。
レオは何も言えず、ただトーマを見つめている。
「騎士様は、正しかったよ」
トーマが続けたその言葉が、部屋の空気に静かに染み込んでいく。
「みんなを守ろうとしてた。ぼくよりも、もっと多くの人を。それは正しいことだと思います。ぼくが怪我をしたのは、ぼくが自分で決めてそこへ行ったからです。騎士様が間違っていたからじゃない」
「……正しかった、と言うのか」




