78.「合理的だったはず」
レオは再び書類を手に取り、それを睨みつけるように読み返した。
表情は硬いけれど、その沈黙の奥で激しく思考が渦巻いているのがわかった。
「カル。エリシアに再度連絡を。修正が反映されなかった理由を問い質せ」
「承知しました。ですが……」
「今日中だ。必ず回答を持ってこさせろ」
カルが退出すると、部屋は二人きりになった。
「変わらないかもしれませんよ、レオ。王宮が一度決めたことは」
「それでも、確認はさせる。事実が正しく記録されないのは、道理に合わない」
「あなたに何かメリットがあるのですか?無理を通せば、あなたの評価を下げかねない」
「評価などどうでもいい。……声を上げた記録が残ることの方が重要だ」
私は、思わずまばたきをした。
「……変わりましたね。以前は、結果がすべてだと言っていたのに」
「……結果がすべてだ。だからこそ、正しい結果を求める」
「それは……正しさのために、抗うということですか?」
「そうだ」
レオは、わずかに目を逸らして認めた。
冷徹な合理主義者だった彼の内側に、何かが静かに熱を持って動き始めているのを感じた。
☆
夕方、再び医者が訪れた。
診察の間、私とレオは廊下で待っていた。並んで壁に背を預け、何も言わずに扉を見つめる。
しばらくして医者が出てきた。その顔は、芳しくない。
「打撲が思ったより深く、内側に響いています。回復には時間がかかるでしょう。それと……」
「それと、何ですか」
「脇腹の損傷部位が少し複雑でして。経過次第では、後遺症が残る可能性がゼロではありません」
「後遺症、とは」
「以前のように走ることが、難しくなるかもしれません。日常生活には支障ないと思いますが……」
医者が去った後の廊下は、墓場のような静寂に包まれた。
「……走れない、可能性があるのか」
レオの声は、地を這うように低かった。
「あの子は、走るのが大好きでした」
「……正しい判断をした。全体を優先し、被害を最小限に抑えた。合理的だったはずだ」
「ええ、そうです」
「それでも……一人の子供の未来を、奪うかもしれない」
昨夜、彼が吐露した言葉。
今日はそれに、現実という重みが付加されている。
「……正しさだけでは、守れないものがあるのですね」
「ああ」
「それは、あなたが最初から覚悟していたことでしょう?」
「覚悟していた。だが……知っていることと、目の前で実際に起きることの間に、これほどの隔たりがあるとは」
平坦な声。
でも、その中に潜むひび割れのような苦悩を、私は見逃さなかった。
「……レオ。今夜、トーマに会いに行きませんか」
「……どの面下げて会えと言うんだ。行ったところで俺の自己満足でしかない」
「違います。あなたが来てくれることは、彼にとって自分が大切にされているという証になる」
レオはしばらく黙り込み、床の古い木目を見つめていた。
「……あいつは、俺を格好いいと言った」
「ええ」
「格好よくなどない。止められなかった」
「止めようとした。それを彼は知っています。怪我をしたのは彼の選択で、あなたが全体を守ったから、救われた人も大勢いる」
「…………」
「正解なんてない。どちらを選んでも何かを失う状況で、それでもあなたが辛いのは、あなたが彼を想っているからです」
レオは小さく、本当に微かに視線を落とした。
「……今夜、会いに行く。何も言わずに、顔を見るだけだ」




