68.「一時間後ね」
執務室に現れたカルの顔は、かつてないほど強張っていた。
「少し、お時間をいただけますか」
「ええ、構わないわ。何かあったの?」
「南東区域の件です」
カルが広げた書類を覗き込む。
そこは、かつてレオが『切り捨てリスト』に入れていた場所だ。
後に配給ルートを強引にこじ開け、ようやく状況が持ち直しかけていたはずの区域。
「この区域の住民たちが集まり、声を上げ始めています。領地が別の貴族に移ることをどこからか聞きつけ――移管への、強い反発です」
「不満が、表に出てきたということ?」
「はい。今はまだ抗議の声だけですが、人数は日に日に増えています。このままだと、今日より明日、明日より明後日と、膨れ上がっていくでしょう」
リーダー格の人間はいるのかと問うと、カルは、
「もともと元使用人のエドモンドたちと近かった層が中心です」
と答えた。
地図の上に、南東区域が赤く示されている。
発言者の分布と、人々の熱量が、まるで戦況図のようにそこに刻まれていた。
「レオには伝えたの?」
「今から報告するところです」
「……一緒に行きましょう」
レオは倉庫の前で、届いた物資の検品をしていた。
私とカルが近づくと、彼は手帳を閉じて静かに振り返る。
カルの説明を、彼は一言も挟まずに聞き遂げた。
「緊急性はどの程度だ」
「即座に衝突が起きるほどではありませんが、週内には何らかのアクションがあるはずです」
カルの判断に、レオの鋭い視線が私を捉えた。
「どうする、クラリス」
「話しに行きます。私が直接説明すれば、せめて一部の人たちの不安は拭えるかもしれない」
「一部は落ち着くだろうが、残りは逆上するぞ」
「それでも、行きます。行かなければならないの」
「そうか……なら、俺も行く」
感謝を口にすると、彼は、
「礼を言われるようなことじゃない」
と短く突き放した。
だが、その無機質な声の裏で、彼はカルに詳細な指示を飛ばしていた。
不満の中心にいる者と、その周辺にいる者を切り分け、それぞれの動機を整理しろ、と。
「お前は先に行って、話しやすい連中に声をかけておけ。俺は一時間後に入る」
「分かりました。……一時間後ね」
☆
南東区域に足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような違和感を覚えた。
道を歩けば、あちこちから視線が突き刺さる。
それはかつての親愛でも、単なる好奇心でもない。拒絶に近い、硬い沈黙だ。会釈をしても、誰も近づいてこない。
そんな中、一人の青年が私の前に立ちはだかった。
「クラリス様」
「こんにちは。今日も状況を確認しに来ました」
「聞きたいことがある。……移管が決まったっていうのは、本当なのか?」
私は一瞬、言葉を飲んだ。
だが、逃げるわけにはいかない。
「……ええ。本当です」
「なんでだよ!あんたたちがようやく立て直してくれたのに!」
「王宮の決定なの。……住民の生活は守られると、新しい管理者も約束してくれているわ」
苦しい言い訳だ。
それは私自身も分かっていた。
「あんたたちがやってくれたように、俺たちのことを見てくれるのか?」
「……同じではないかもしれない。けれど、より安定した体制になると王宮は――」
「保証できるのかよ!」




