65.「正反対だな」
「厄介、ですか?」
「論理だけの相手なら論破できる。感情だけの相手なら無視できる。……あなたは、その両方を同じ器に入れている」
彼女は困惑したように目を細め、『初めてのケースです』と溢した。
その正直さに、私は少しだけ微笑んだ。
三時間に及ぶ引き継ぎ作業が終わる頃、空は高く、昼を過ぎていた。
エリシアは立ち上がり、私に向かって告げた。
「今日の話は、参考になりました。……採用はしませんが」
「ええ。ありがとうございます」
彼女が扉へ向かおうとした時、壁際で黙っていたレオが声をかけた。
「エリシア・ヴァルクレイン」
エリシアが足を止める。
「今回の再建記録。クラリスの名前を正式に含めるよう、修正を求める。あれは、彼女がいなければ成し得なかったことだ」
一瞬の静寂。
エリシアは『……検討します』とだけ言い、部屋を出て行った。
応接室に、私とレオだけが残される。
「……レオ。記録の修正、頼んでくれたのね」
「事実が記録されるべきだ。それだけだ」
「あなたの評価が下がるかもしれないのに」
「……感謝されるようなことじゃない」
ぶっきらぼうに視線を逸らす彼に、私はふふ、と笑いかけた。
「それでも。ありがとうございます」
レオは少しだけ決まり悪そうに窓の外を見た。
「あいつとは正反対だな、お前は」
「でも、どこか嫌いになれませんでした。彼女も、きっと自分の正義で戦っているのだと分かったから」
レオはしばらく何も言わなかった。
やがて、彼はいつもの冷静な口調に戻って言った。
「北の区画の作業、今日中に終わらせるぞ。トーマたちが待っている」
「ええ、行きましょう。私があなたを連れて行ったら、みんな喜ぶわ」
「余計なことを言うな」
「ふふ、事実です」
コートを羽織り、私たちは冷たい廊下へと出た。
すべては終わりに向かっている。
領地の支配権は移り、私はいつかここを去る。それでも、今日の午後はまだここにある。
待っている人たちがいて、やるべき仕事がある。
☆
その夜の作業は、予定を大幅に超過していた。
北区画の修繕を終わらせるつもりだったが、土壇場で石材の劣化が発覚した。
基礎から組み直す必要に迫られ、気がつけば陽はとっくに落ち、松明の火が揺れる時間になっていた。
トーマは、今日も最後まで残ってくれていた。
小さな手に蝋燭を掲げ、高い場所から私の手元を照らす。それが彼に与えられた、この現場での大事な役割。
すべての作業に目処がついたのは、夜も深い頃だった。
「お疲れ様でした。気をつけて帰ってくださいね」
「うん!クラリス様も。……また来週も来るから。再来週も、その次も絶対に来るからね!」
少年はそう言い残すと、暗い夜道へ元気よく駆けていった。
その小さな背中が闇に溶けていくのを、私は黙って見送る。
(トーマ……。あなたはまだ、知るはずも無いものね)
二ヶ月後にはここが他人の手に渡るということも。
あなたが来ると約束してくれたその場所に、もう私がいられないということも。
重い足取りで屋敷に戻ると、ランドルフが玄関で私を待っていた。
「遅くまで、ご苦労様でございます」
「ごめんなさい、遅くなって。……レオは?」
「執務室においでです。まだ書類に目を通しておられました」
「……そう。ありがとう。先に、彼と話をしてきます」




