61. 「今は、だ」
「……次の、婚姻?」
「はい。現在の婚姻関係は、領地移管に伴い『解消』という形になります。契約終了、ということですな」
膝の上に置いた手が、白くなるほど強く握りしめられる。
解消。契約終了。わかっていた。これは契約だと。
でも、こんな形であっさりと切り捨てられるなんて。
「これは、いつ決まったことなのですか」
「計画自体は、当初より存在していました。変更の可能性もゼロではありませんでしたが……最終的には、当初の方向で決定した、ということです」
使者の顔を見る。この人は、悪意でこれを言っているのではない。ただ決定事項を運んできただけの『器』だ。
それが一番、残酷だった。
「没落貴族というものは」
使者の声が、わずかにトーンを変えた。
「役目を終えれば、静かに退場するものです」
――静かな一言。だけど、それはどんな怒声よりも重く私を押し潰した。
そうか。
王宮にとって、私は最初からそういう駒だったのだ。
「……クラリス様。お辛いでしょうが、現実的にはこれが『正しい判断』なのです」
私は使者から目を逸らし、窓の外を見た。今日も空は厚い雲に覆われている。けれど、雲の切れ端は昨日よりわずかに明るい。
春が、すぐそこまで来ようとしているのだ。
……春が来ても、私はもうここにはいられないのに。
「移管の時期は、いつですか」
我ながら驚くほど、声は落ち着いていた。
「二ヶ月後です。それまでの間、滞りなく引き継ぎを進めていただきます」
「……分かりました」
取り乱すことを期待していたのか、使者は意外そうな顔を浮かべた。
叫びたかった。泣き喚きたかった。でも、声が出なかった。ただ、身体の芯からバラバラと崩れ去っていくような感覚だけがあった。
使者は一礼し、レオを一瞥してから部屋を出ていった。
扉が閉まり、馬車の音が遠ざかる。
やがて、その音さえも消え去った。
応接室には、重苦しい沈黙と、私とレオだけが残された。
私は膝の上の、真っ白になった自分の指先を見つめ続ける。力を抜こうとしても、指が固まって動かない。
「……」
何か、言わなきゃ。
「クラリス」
先に声をかけたのは、レオだった。
「……はい」
「今は、何も言わなくていい」
「でも……」
「今は、だ」
彼の声は、いつもよりずっと低かった。ぶっきらぼうではない、言葉を慎重に選んでいるような、そんな響き。
顔を上げると、レオは窓の外、あの低い雲を見つめていた。
表情は読めない。けど、その広い肩には見たこともないような緊張が走っていた。
「……最初から、決まっていたのですね」
「そうかもしれない」
「私たちが何をしても、無駄だった」
「無駄ではない。成果は参考にされると言っていた」
「参考、ですか……」
自嘲気味な笑いが漏れる。
レオは視線を空に向けたまま、静かに肯定した。
「ああ。そうだ」




