60. 「お揃いですね」
どんよりとした、重い朝。
私はちょうど水路の最終確認から戻ったところだった。ブーツには泥がこびりつき、コートの繊維には外の冷気が芯まで染み込んでいる。
玄関ホールでは、ランドルフが私を待っていた。
「王宮からの使者が、お見えです」
その顔を見ただけで、悟った。
ランドルフは、感情を完璧に律することのできる人だ。長年ヘインフォード家に仕え、どんな苦境でも訓練された執事の表情を崩さない。
だけど今朝の彼は、わずかに違っていた。その瞳の奥に、言葉にならない『何か』が澱んでいた。
「……どのお部屋に?」
「応接室です。レオ様には、すでにお伝えしてあります」
「ありがとう、すぐに行くわ」
冷え切ったコートを脱ぐ暇も惜しみ、私は応接室へと急いだ。
使者は一人。
先週の年配の男性ではなく、一番最初に来た、あの事務的な男だ。濃紺の制服に王宮の紋章。あの日と同じ無機質な格好で、あの日と同じ場所に立っていた。
レオは、すでに部屋にいた。
私が入室すると、使者は形ばかりの会釈をする。
「お揃いですね。ちょうどよかった」
その声音を聞いた瞬間、嫌な予感が背筋を駆け抜けた。私は重い体を引きずるように椅子に座る。レオは座らず、壁際に立ったままだった。
使者が、一枚の書類を取り出す。
「本日は、ヘインフォード領に関する王宮の正式決定をお伝えに参りました」
「……はい」
「先週までの調査の結果、貴殿らの再建の評価は『十分』という判断が下りました」
「それは、先日伺いましたが……」
「そのうえで、です」
使者が書類に視線を落とし、宣告を続けた。
「当該領地は、予定通り――」
『予定通り』。
その不吉な言葉が放たれた瞬間、胸の奥に冷たい泥が沈殿した。
「――長期的な安定運用のために、別の貴族家への『移管』が決定されました」
部屋が、しん……と静まり返る。
窓の外で鳥が短く一声だけ鳴き、それ以上の音を拒むように静寂が戻った。
「……移管、とは?」
ようやく絞り出した声。自分でも驚くほど、その声は震えていた。
「領地の管理権を、より盤石な体制を持つ別の家系へと譲渡するということです」
「再建は、成功したはずです。評価されたと、今おっしゃいましたよね?」
「ええ。成果については高く評価されています」
「では、なぜ!」
「当該領地は軍事水路を有する特別管理区域です。王宮としては、より長期的な観点から、確固たる背景を持つ体制が必要だと判断したまでのこと」
淡々とした声。責めるでもなく、単なる事務連絡を繰り返す唇。
それが余計に、私の神経を逆撫する。
「私たちの体制では、不足だと……そういうことですか」
「現時点では十分でしょう。ですが、あくまで『現時点』です」
「……つまり」
私は唇を噛み締め、使者を真っ向から見据えた。
「最初から、移管するつもりだったのですね?私たちの再建は、ただの『暫定管理』だったのですか?」
「当初から、長期管理の候補として他家への譲渡案は検討されておりました」
「それでは私たちがどれほど結果を出そうと、関係なく……?」
「出した成果は、引き継ぎ先の他家にとって大変有用な『参考資料』として活用されます」
――活用される。
その言葉が、虚空に醜く浮いた。
私たちが泥にまみれ、何ヶ月もかけて必死に守り抜いたものが、顔も知らない誰かのための『参考資料』。
「それから」
追い打ちをかけるように、使者が言葉を継ぐ。
「グランツ殿への辞令も届いております。今回の功績を鑑み、昇進が決定しました。それに伴い、新たな任地への異動、および『次の任務に適した婚姻関係』の構築が求められます」




