59.「怒鳴り散らす上官」
レオは私の緊張を見抜くと、短く息を吐いた。
「出る前に、一度深く息をしろ。それだけで多少はマシになる。俺も騎士団の査問で、怒鳴り散らす上官を相手に覚えた技だ」
「……レオでも緊張することがあるのですね。少し安心しました」
「動じていないわけではない。動いていても、表に出さないように慣れただけだ」
「……それが『慣れる』ということですか。でも、それはレオの中にちゃんと感情がある証拠ですね。最初から無感情なら、慣れる必要なんてないんですから」
レオが、一瞬だけ言葉を失ったように私を見つめた。
「……そういう解釈か」
「間違っていますか?」
「……いや、間違っていない」
私は小さく息をつき、彼に微笑みかけた。
「きっと、うまくいきますよ。二人で準備したんですから」
「……そうかもしれないな」
レオはそう言って、視線を逸らすように前を歩き出した。
使者を連れ立っての査察は淡々と進んだ。二人組の使者は、レオが提示した数字と実態を照らし合わせていく。
修復された水路、整えられた倉庫、そして――平穏を取り戻しつつある住民たちの姿。
道中、幼いトーマと出くわした。
「クラリス様!」
駆け寄ってくる彼を使者に紹介すると、トーマは誇らしげに胸を張った。
「俺、水路の修理を手伝ったんだぜ!三日間も明かり持ちをしたんだ!」
使者が記録係に目配せをする。
ペンが走る音が耳に心地よかった。
「見事な再建ぶりだ。ヘインフォード嬢、あなたの手腕は高く評価されるべきだ」
年配の使者が放ったその言葉に、私は安堵の吐息を漏らしそうになった。
念のため、確認のために重ねて問いかける。
「……ありがとうございます。では、これで領地の管理継続は認められると考えてよろしいでしょうか?」
使者が、動きを止めた。
若い記録係のペンも、宙で止まる。
「ええ。再建の評価は十分です」
その言い方が、棘のように耳に残った。
『評価は』十分。
それは、裏を返せば『評価以外』に何か障壁があると言っているも同然だ。
「……一つ、伺ってもよろしいですか。その評価は、継続の判断に直結するのでしょうか」
「正式な通達は、別途ございます。来週中に届くでしょう」
「判断を下すのは……どなたですか?」
「王宮政策担当、ヴァルディス卿です」
使者の声から、すうっと温度が消えていく。
直接の面会を求めても、丁寧な、あまりに丁寧な言葉で拒絶された。
去っていく馬車の音が、遠ざかっていく。
石畳に残った蹄の跡を見つめながら、私はレオと並んで立っていた。
「……『評価は十分』。そう言いましたね」
「ああ、言ったな」
「でも、継続とは言わなかった」
「……ああ」
視線を交わす。言葉にしなくても、二人の間に流れる予感は一致していた。胸をざわつかせる、嫌な予感。
「……来週まで、待つしかありませんね」
「そうだな。だが、通達が何であれ、今日やるべきことは変わらない」
「ええ。北の区画の修復、午後に続けましょう」
屋敷の扉が閉まる。
暗い廊下を歩きながら、私は必死に自分の心に言い聞かせていた。
怖い。
けれど、立ち止まるわけにはいかない。
たとえどんな通達が届こうとも、私がこの領地を守るために流した汗と、レオと共に積み上げた時間は、嘘にはならないのだから。
――正式な通達が届いたのは、翌週の木曜日のことだった。




