55. 「例の騎士さん」
レオは少しだけ視線を泳がせ、木材の繋ぎ目を確認するふりをした。
「帰るぞ」
「はい」
並んで屋敷へと向かう。
いつもなら、彼は私の一歩前を歩く。だけど今夜は、肩を並べて同じ速さで歩いていた。
交わされる言葉は、出会った頃と変わらない不遜なもの。
それでも今夜の私たちの声には、暗闇の中でも互いを見失わないような、確かな熱が宿っていた。
見えてきた屋敷の窓には、ランドルフが灯した明かりが浮かんでいる。暗闇の中にぽつんと灯る、帰るべき場所の印。
☆
三日後の朝、ついに水路が持ち直した。
完全な修復には程遠いけれど、決壊の危機は脱した。
仮補強から始まり、この三日間、私たちは泥にまみれて重要区画を固め続けた。
驚くべきは住民たちの反応だ。
初日はわずか八人だった協力者が、二日目には十一人、そして三日目の今日は十四人にまで増えていた。
「昨日参加した人が、近所に声をかけてくれたみたいですよ。明日はうちも行く、なんて声も上がっているそうです」
現場監督のカルが、弾んだ声で教えてくれた。
「明日も、みんな来てくださるかしら」
「ええ、そのつもりだと」
小さな、本当に小さな変化。だが、止まっていた時計の針が、確かに動き始めていた。
三日目の夕方。
本修復の第一区画が完了した。石材を組み直し、石灰で隙間を埋め、固まるのを待って水の流れを解禁する。
――水が、正しい方向に流れていった。
物理の法則に従えば当然の結果だ。
けれど、その『当たり前』の光景が、この三日間で何よりも嬉しかった。
住民の一人が水路の端にしゃがみ込み、流れてくる水を手のひらで受け止めた。
男性はしばらく水面を見つめていたが、やがて顔を上げた。
「……本当に持ち直したんだな。正直、信じていなかったんだが」
「信じてもらえるように動きましたから」
「あんたらが動くのを見たから、俺たちも来たんだ」
「皆さんが来てくれたから、できたんですよ」
男性の口元が、わずかに綻んだ。
照れ隠しだろうか、彼は視線をそらすようにして、
「まあ……明日もまた来るよ」
「ありがとうございます」
「それとな」
彼は少しだけ声を潜めた。
「例の騎士さん、いつも難しい顔してるが……あれはちゃんとやる人だな」
「ええ、私もそう思います」
そう答えると、男性は『変な領主様だ』と笑って、仲間の元へ戻っていった。
日が落ち、後片付けが始まる。
道具をまとめ、余った資材を整理する作業にも、数人の住民が手を貸してくれていた。その中に、三日間皆勤のトーマの姿があった。
彼は今日もレオに言われた通り、二本の蝋燭を握りしめてやってきたのだ。
「トーマ、三日間本当にありがとう。とても助かったわ」
「ぼく、役に立てましたか?」
「ええ、もちろん。あなたが毎日来てくれたから、他のお子さんも、そして大人たちも来やすくなったのよ」
私がそう告げると、トーマは少しだけ頬を染めて、照れたように拾った小石を遠くへ投げた。
「大人って、面白いですね。ぼくに張り合って来るなんて」
「ふふ、そうね。でも、あなたの純粋な気持ちが皆を動かしたのは事実よ」




