51. 「俺の影響」
それから、レオは手帳を私の方へ向けた。
整然と並ぶ数字の列。
「今の計算だと、本修復には今の倍以上の人手が必要だ。仮補強がうまくいったとしても、物理的な限界がある」
「全体を同時にやる必要はないわ」
「どういう意味だ?」
「水の流れに直結する重要区画から、段階的に修復するの。そこを固めてから次へ進む。一度にやろうとするから足りなくなるのよ」
「その間、他の部分は放置か?」
「『仮補強』で持たせるの。今夜からやることを、順繰りに続けていくのよ。ローテーションで」
レオが再び手帳に視線を落とし、計算を始めた。
ペンが走る。
「……なるほど、可能かもしれないな。だが依然として人手は足りない。あと七人は集めてもらわないと計算が合わないぞ」
「午後も探し回るわ。今日中に無理でも、明日の朝まで続ければ間に合う」
レオが手帳を閉じ、私を真っ直ぐに見た。
「……一つ全体を守る方法と、守れる部分から順番に広げていく方法がある。お前は、後者を選んだわけだ。最初からそうするつもりだったのか?」
「いいえ。……あなたと話しているうちに、今の状況に合っているのはこちらだと思ったの」
「俺の影響か」
「あなたの冷徹な合理性と、私の『全員守りたい』という執着が混ざった結果よ。全員を守るために、守る順番を決める。それだけのことだわ」
レオはしばらく沈黙を守っていたが、やがて短く答えた。
「……違わないな」
「なら、決まりね」
水路に冷たい風が吹き抜ける。
亀裂の入った石組みをなで、水の匂いを運んでくる風。
「午後の作業を始めましょう。あなたは物資の手配を」
「ああ、住民の説得は頼んだぞ」
「今夜の仮補強、絶対に間に合わせましょう」
二人は同時に背を向け、別の方向へと歩き出した。
水路に残された亀裂はまだそこにある。けれど、今日から手が届く。
全部は直せない。でも、直せる場所から始める。
言葉にはしなかったけれど、私たちの視線が同じ未来を向いたことを、私は確信していた。
☆
午後の訪問は、楽なものではなかった。
六軒を回って、二軒にはにべもなく断られた。
農繁期への備えや、没落しかけている我が家への不信感。冷たい現実はそこかしこに転がっている。
けれど、四軒が、合わせて六人の人手を差し伸べてくれた。
これで計十三人。
……目標まで、あと二人。
夕方、疲れた足取りで屋敷に戻ると、玄関前に小さな影が立っていた。
「トーマ?どうしたの?」
「クラリス様!あの、水路の話を聞いたんだ。みんな噂してたから」
「そう。耳が早いのね」
「ぼくも手伝うよ」
トーマの手には、古びて少し曲がった二本の蝋燭が握られていた。
「これ、うちにあったやつ。明かりが要るって聞いたから持ってきたんだ」
「トーマ……ご両親は?」
「お母さんは『危なくないなら』って。お父さんも、ぼくが一生懸命頼んだら『まあいい』って言ってくれたよ!」
トーマは胸を張って、蝋燭を差し出してきた。
「ぼくも、ここで生きるって決めたから。見てるだけなんて嫌なんだ」
昨日と同じ言葉。
今日は、その手に確かな光が握られていた。
胸の奥が熱くなるのを、私は必死に堪える。
「……ありがとう。一緒にやりましょう。でも、絶対に危ない場所には近づかないこと。いいわね?」
「うん、約束する!」
「今夜、レオにも伝えておくわ」
トーマの瞳がぱっと輝いた。




