4. 「優秀です」
「……それが、条件ですか」
「ええ。最も現実的な方法です」
私は一度、まぶたを閉じた。
騎士との、婚姻――。
その言葉を頭の中で転がしてみる。
形を確かめるように。
それが何を意味し、何を失い、そして何を得るのかを。
「他に……他に方法は?」
顔を上げ、すがるような思いで聞き返した。
使者は一瞬だけ間を置いた。書類から目を離し、私をじっと見つめる。
その瞳の中にあったのは、同情か、あるいは単なる事務的な確認か。
「無くはない……」
「では――」
「ですが」
食い気味に放たれた使者の言葉が、私の淡い期待を遮った。
「間に合いません」
その声が、部屋の床に重く落ちた。落ちて、そのまま底なしの闇に沈んで消えた。
「現状の資金状況と、強制管理までの猶予を考慮すれば……」
使者は淡々と言葉を継ぐ。
「他の手段で条件を整えるには、最低でも三ヶ月は必要です。しかし、期限はあと一ヶ月を切っている。違いますか?」
「……っ」
「婚姻による手続きであれば、二週間以内に完了できます。その後、共同管理の実績を半年で示していただければ、王宮は強制管理を考え直すでしょう」
どこまでも論理的で、反論の余地がない。
感情を入り込ませる隙間など、最初から一寸も残されていなかった。
「感情的にはお辛いでしょうが」
使者は声量も変えず、淡々と言った。
「これが、最も『現実的』です」
現実的。
その言葉が妙に長く耳に残り、棘のように刺さる。私は逃げるように窓の外を見た。そこにあるのは、今朝と変わらぬ灰色の空だ。
平らで、冷たく、何も答えてはくれない空。
逃げ道を探しているのではない。この男が提示した地図には、最初から逃げ道など載っていないのだと、ようやく理解した。
「候補となる騎士は、すでに選定済みです」
その言葉に、弾かれたように視線を戻す。
「えっ……もう、決まっているのですか?」
「はい」
カサリ、と書類をめくる音がした。
使者はそのページを私の方へ向ける。そこには一行だけ、名前が記されていた。
『レオ・グランツ』
その名前を目で追っても、心には何の波紋も起きなかった。
当然だ。
見たことも聞いたこともない名前なのだから。
「騎士団所属の男です。平民出身の叩き上げですが、現在は出世候補として王宮からも注目されています」
「……どのような方、なのですか?」
「優秀です」
説明は、それだけだった。
優秀。
その一言ですべてを終わらせる。
私が何者であるかを、この男が「ヘインフォード家のクラリス様」という肩書きだけで終わらせたように。
「近日中に、挨拶へ伺うよう手配しております」
使者は書類を閉じ、立ち上がる気配を見せた。
「ご返答は、一週間以内にお願いいたします」
「あの」
去ろうとする使者を、私は必死に呼び止める。
「……仮に返答が、『否』であった場合は?」
「先ほどの説明通りに強制管理に移行します」
使者は振り返ることもせず、事務的に告げた。
「その後の手続きについては、別の担当者が参ります。……では」




