39. 「一人ずつ話せ」
差し出された紙を受け取る手が、一瞬止まった。
不満の声が大きくなっているとは聞いていた。
けれど、もう暴発したというのか。
「昨夜、お前が眠ってからのことだ」
「……なぜ、すぐに知らせてくれなかったのですか」
「起こしたところで、お前にできることはなかった。夜中に飛び出したところで状況は変わらん。だから、俺の判断で朝を待った」
あまりに正論だ。反論の余地もない。
けれど、眠っている間に領地が燃えていた事実に、奥歯が軋んだ。
「……次からは、どんな時間でも起こしてください。領主は、私です」
「……分かった」
レオは短く頷くと、踵を返した。
「行くぞ。今すぐだ」
南区域へ向かう道のり、私たちは飛ぶような速さで歩を進めた。
先頭を行くレオ。その後を追う私。背後にはカルと二人の若手騎士が続く。
朝の空気は肌を刺すように冷たく、吐く息は真っ白に染まる。霜の降りた土を踏みしめるたび、パリパリと乾いた音が足元から響いた。
やがて、遠くから『声』が聞こえてきた。
それは言葉を失った獣の咆哮に似ていた。
怒りと、焦燥と、飢え。
複数の人間が吐き出す熱気が、冬の朝を歪ませている。
「なんであいつらだけ助かるんだ!」
「領主は何もしないじゃねえか!」
「待った所でどうなる!もう待てないんだよ!」
倉庫の前には、十人ほどの領民が詰めかけていた。
老人から若者まで、年齢も性別もバラバラだ。コートさえ羽織っていない女性の顔は、寒さと怒りで赤黒く火照っている。
私たちが近づくと、刺すような視線が一斉に向けられた。
「領主が来たぞ!」
「……なんで、こんなに遅いんだ!」
私はレオの横を通り過ぎ、一歩前へ出た。
「昨夜、何があったのですか」
問いかけに、一人の男が詰め寄ってきた。
「何があっただと!?聞いたぞ、配給が止まったのは、エドモンドが抜いてたからだろう!」
「対応は……進めています」
「進めてるだと?昨日も今日も、うちの子供はろくに食ってないんだぞ!」
「どうなってんだ!」
「どうしてくれるんだ!」
怒号が重なり、一つのうねりとなって私を飲み込もうとする。
私は一度、深く息を吸った。
霜の匂いと、大勢の人間の体温が混じり合った、独特の重い空気。
「――エドモンドの件については」
声を張り上げた。全員の耳に届くように。
「今朝、処分の方針を決定しました。同時に、滞っていた配給ルートの改善をすみやかに開始します!」
「本当か!?」
「誰がやるんだ!」
「なんでもいいから、今日の生活をどうにかしてくれ!」
方向の違うヤジが飛ぶ。
いくつもの声が同時に降り注ぎ、意識が遠のきそうになる。
答えなければ。
けれど、どれから答えればいい――。
「黙れ」
レオの声が、騒乱を切り裂いた。
叫んだわけではない。けれど、その声には不思議な重圧があった。
波立つ群衆が、ふっと動きを止める。
「一人ずつ話せ」




