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没落令嬢と冷徹騎士の契約結婚 ~正しさを捨てて、あなたを選びます~  作者: 猫燕


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32.「暖を取る薪」

「カル、ここの数字を言え」

「はい」


 カルが慌ててページを繰る。


「この区画は……」

「記載より、四十ほど少ないだろう?」


 カルが帳簿の数字と、目の前の棚に並ぶ実数を何度も見比べた。


「……おっしゃる通りです。四十二、不足しています」

「この区画の担当は誰だ」

「エドモンドさん、です」


 レオが短く頷き、次の棚へと視線を移した。

 エドモンド。

 その名前が口にされた瞬間、私の心臓が嫌な跳ね方をしたのを、きっと生涯忘れないだろう。

 確認作業は三十分ほどで終了した。

 突きつけられた結果は、あまりにも明白だった。

 特定の区画だけ、実数が記載数に追いついていない。そしてそのすべてが、エドモンドが担当している場所だった。

 他の三人の担当区画には、一粒の狂いもなかった。

 レオが、


「エドモンドを呼べ」


 と命じた。

 カルが呼びに行っている間、私はレオの隣で待機した。倉庫の外、冷たい石壁に背を預ける。

 午後の日差しが、建物の影を長く、長く伸ばしていた。


 ☆


 やがて、覚束ない足音が近づいてくる。

 姿を現したのは、エドモンドだった。

 六十代半ば。

 白髪の混じった頭を垂れ、少し腰の曲がった老人。最近、歩き方が遅くなっているのは冬の寒さのせいだと思っていたのに。

 彼は私を見て、それからレオを見た。

 その瞬間の表情の変化で、すべてを悟ってしまった。驚きなど、そこにはなかった。

 あったのは、いつかこの日が来ることを予期していた者の『覚悟』だ。


「エドモンド」


 レオが口を開く。


「……はい」

「台帳に記載された数と実数が合っていない。理由を聞かせろ」


 沈黙が流れた。

 エドモンドは、石畳に生えた古い苔をじっと見つめていた。

 それから、意を決したように顔を上げ、私と目を合わせた。


「……申し訳、ございません」


 掠れた、低い声だった。

 謝罪の言葉を聞きたかったわけではない。

 私はただ、動揺で何も言い返せなかった。


「謝罪は求めていない。理由を聞いているんだ」


 レオの声は平坦だった。責める色もなく、ただ事実だけを抽出するための淡々とした問いかけ。


「……食料が、足りなかったのです」

「誰の分だ」

「私の家族と、近所の者たちの分です。南の外れに、十人ほどで身を寄せ合って暮らしております。配給が届かず、冬になってからは特に……」

「配給の不備については、すでに別件で確認済みだ」


 レオが遮る。


「ならば、事前に申告すれば対処できたはずだろう」


 エドモンドの肩が、微かに、けれど激しく震えた。


「……申告しても、間に合わないと思ったのです」

「なぜだ」

「以前も申告したことがありました。先代の管理者の頃です。ですが、動いてもらえるまでにあまりに時間がかかり……その間に、一人が……」

「一人が、どうした」

「亡くなりました。食料も、暖を取る薪も足りず……」


 倉庫の前が、しん、と静まり返った。

 冷たい風が石壁にぶつかり、うめき声のような低い音を立てる。


「だから今回は、自分で動くのが一番早いと。それに、……領主様が、お優しい方だと分かっていたから」


 最後の一言が、刃となって私の胸を貫いた。

 お優しい方だと分かっていたから。

 優しいから、言わなかった。

 優しいから、盗んだ。

 優しいから――きっと、見逃してくれると思った。

 私の『優しさ』という名の甘さが、この不正の温床になっていたのだ。


「どうして……」


 気づけば、声が漏れていた。


「どうして、私に言ってくれなかったのですか。エドモンド」

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