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没落令嬢と冷徹騎士の契約結婚 ~正しさを捨てて、あなたを選びます~  作者: 猫燕


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23. 「少し回り道」

 どこへ行っても、同じ言葉。

 時間がない。

 間に合わない。

 現実を見ろ。

 馬車に戻ったときには、空はすでに薄暗くなり始めていた。昼過ぎに屋敷を出たのに、気づけばもう夕暮れ。

 三軒回って、三軒とも『絶望』という名の壁に突き当たった。

 ランドルフは何も言わず、私が乗り込むのを待ってから、静かに馬車を出した。


「はぁ……」


 ガタゴトと石畳を叩く規則的な音が、重く胸に響く。

 窓の外を流れていくのは、見知らぬ人々の日常だ。荷物を運ぶ男、笑いながら走る子供たち。

 私の領地があと三週間で破綻しようが、この世界には露ほども関係のない、平穏な日常。

 当然のことだ。

 それは分かっている。

 けれど、その当然の景色が、今日はどうしようもなく遠くに見えた。

 屈辱だったのかと問われれば、否定はできない。値踏みされ、門前払いを食らい、何度も『無駄だ』と突き放される。

 同じ言葉が重なるたびに、心の大切な部分が少しずつ削り取られていく感覚。

 でも、私は泣かなかった。

 今ここで泣いても、事態は一歩も好転しない。

 そんな無意味なことに費やす涙は、一滴も持ち合わせていなかった。


(他に道はないの?なんとか時間さえあれば、本当に……)


「クラリス様」


 前方から、ランドルフの静かな声がした。


「……何かしら」

「よろしければ、少し回り道をいたしましょうか」

「……どこへ?」

「街の中心の方へ。少し、気分が変わるかもしれません」


 長く仕えてくれている人の気遣いは、いつもこうして温かくて、鋭い。直接『休め』とは言わず、そっと逃げ場を作ってくれる。


「……ありがとう。でも、今日は戻りましょう」

「承知いたしました」


 馬車が緩やかに進路を変える。

 私は背もたれに体を預けた。革の感触が、固く冷たく背骨に伝わる。

 脳裏に浮かぶのは、レオが書き上げたあの書類だ。

 羅列された数字。

 間に合わないという結論。

 ――あの書類は、正しかったのだ。

 今日、私は自分の足を使って、その正しさをわざわざ証明しに行ってしまったのだ。

 方法はある。だが、時間は残されていない。

 知識として知っていた『事実』が、体感したことで、鉄のような冷たさと重みを持って心にのしかかる。

 規則的な振動の中で、私はそっと目を閉じた。

 気づけば、もう限界まで疲れていた。

 体というより、頭が。

 必死に答えを探し、けれど壁にぶつかり続け、それでも思考を止められない。もう一度、選択肢を脳内に並べる。

 ……やはり、残された道は、たった一つ。

 分かっていた。

 最初から分かっていたはずなのに、今日という日を経て、ようやく本当の意味で『覚悟』が定まった気がした。

 私は逃げ道を、自分の足で一軒ずつ潰して回ったのだ。

 目を開けると、窓の外には橙色の夕光が落ちていた。影が長く伸び、一日が終わりを告げようとしている。

 そのとき、馬車がふっと速度を落とした。


「クラリス様」


 ランドルフが言った。


「前方に、見知ったお方が」


 窓から顔を出すと、街角に一人の女性が立っていた。

 上品ながらも華美すぎないドレス。明るい栗色の髪が、夕風に柔らかく揺れている。

 荷物を抱え、どこかへ向かおうとしているその横顔に、私は思わず息を呑んだ。


(マリエ……?)


 マリエ・ロッテ。

 幼馴染であり、学院で同じ時間を過ごした親友。

 卒業以来、それぞれの家の事情で疎遠になっていた彼女。

 彼女が、不意にこちらを振り向いた。

 視線が重なり、一秒の静止。

 次の瞬間、彼女はパッと花が咲いたような笑顔を浮かべ、大きく手を振った。


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