7. メイドさんと裸の付き合い
ご主人様は、日常生活におけるほぼ全てを、わたしたちメイドに依存しているようです。
たとえば、朝。
ご主人様は七時二十分に起床されますが、もちろんわたしたちが起こしに参るのです。
ご主人様の寝室は、南向き・二階の一番広いお部屋で、時間になるとわたしたちはお部屋に失礼し、カーテンを開き、
「ご主人様、朝ですよ。起きてくださいっ!」
体を軽く揺すりながら、そう呼びかけるのです。
起床の後は、寝間着から普段着へとお召し物を変えるのですが、これもわたしたちメイドのお仕事です。
ご主人様は、自分でお着替えをされません。
メイドが決めた衣服を、メイドの手で着るのです。
今日は瑠璃さんが選んだ、シフォン素材の黒のドレスです。
鏡台の前に立ったご主人様が万歳をすると、瑠璃さんは寝間着のワンピースのボタンを外して、上に引っ張るようにして脱がせました。
瑠璃さんは背が高いので、子供のお着替えを手伝う親御さんといったような情景でした。
そして今度は黒のドレスの裾を、頭から太腿の辺りまで通して着させるのです。
ドレスのボタンを留めて着替えが終わると、上げていた腕を元に戻して、
「ありがとう」
決まってそう言うのでした。
朝食は言わずもがな、瑠璃さんが作ってそれを三人でいただきます。
もちろん食後の片付けや皿洗いなどといったことも、ご主人様は決して行いません。
これらは全てメイド――実質瑠璃さんのお仕事なのですから。
食後は、よくお散歩に出かけます。
郊外の住宅街の辺りをのんびりと歩いているそうです。
ご主人様によると、散歩をしているといろいろな新しい発見があるのだとか。
道ばたに綺麗な花が咲いていたりだとか、ミツバチが花の蜜を吸うとき面白い動きをするのだとか、奇妙な形の雲を見つけただとか。
ご主人様は、とても心に余裕のある方なのだと思います。
心に余裕のない現代人は、身の回りの些細な変化に気がつかないといいますから。
わたしも――ご主人様を見習って、「心の平静」というものを持ちたいなと思います。
散歩の後は、執務室へ。
お仕事に関しては例外で、わたしたちメイドの助けを借りません。
ただときたま、わたしたちに声を掛け、「ブレイクタイムでもいかが」とお誘いになります。
晴れの日はたいてい庭のテラスで、雨の日は一階の談話室で、休憩をなさいます。
そして、ご主人様と言えばココアです。
ココア大好きなのです。
ココアを切らしているとか、コンロが使えないとか、お客様がいらっしゃるとか、そういう例外がなければ、朝食に、仕事中に、ブレイクタイムに、昼食に、また仕事中に、そして夕食、就寝前にも飲まれます。
一日で二リットル近く消費していると思います。
そんなこんなで、わたしたちメイドも必然的にココアを飲む機会が増えてくるのですが、ここにやってきてココアが好きになりました。
甘さとほろ苦さが同居した不思議な味の虜になりつつあります。
「ご主人様は、普段どのようなお仕事をなさっているのですか?」
晴天の下、三人でココアタイム。
そんな和気藹々とした雰囲気でしたので、ある日、わたしはずっと気になっていたご主人様のお仕事をついに尋ねてみました。
すると、ご主人様はくすくすと笑って、
「そうね。わたしのこと、七菜にもお話しなくちゃって思っていたのよ。ちょうどいい機会だわ。
わたしはね――物書きをやっているの」
「物書きさんですか?」
意外な答えが返ってきて、驚きます。
「そう、物書き。具体的に言えば、小説家よ。ファンタジーものを書いているの」
「そうだったんですか! ファンタジーものっていうと、剣と魔法の世界の――」
「ええ。魔法使いが主人公の小説なのよ」
「わぁ、そうなんですね! もしよろしければ、今度読んでみたいです!」
「そうね、今度、もし機会があれば」
小説家さん――自分の考えたキャラクターや設定をストーリーの上に走らせるお仕事――素敵です。
ペンは剣よりも強しって言葉がありますけど、ご主人様はまさにそれを体現しています。
ご主人様の言葉は、一つ一つ大きなお力を持っていますから。
今度是非、小説を読ませていただければなと思ったのでした。
午後は、お使いや投函されるお手紙の受け取り、夕食の準備などを行います。
こういったことも、ご主人様は一切手を下しません。
ただ、お使いや夕食準備は、自ずと瑠璃さんの負担になってしまうので、わたしは午後はしばしばご主人様のお話相手になったりしています。
問題は、夕食の後にありました。
ご主人様は、身の回りの事をほぼ全てメイドたちに任せています。
そしてそれは、「入浴」においても例外ではないのでした。
「七菜、お風呂に入りたいのだけれど」
食堂の清掃が終わり、使用人室へ戻るところ、ばったりと別館の廊下で出くわしました。
瑠璃さんはまだ、キッチンで水回りの仕事をしているところです。
「かしこまりました。それでしたら、今すぐに浴槽にお湯を張ります! 準備ができたらお呼びいたしますので、少々お待ちいただけますか?」
ご主人様用のお風呂は、当然使用人用のものとは別にありました。
準備をするために、二階にある浴室へと向かうことにします。
ですがご主人様はメイド服の袖を掴んで、わたしの邪魔をしました。
「ご主人様?」
意図が読み取れずに、首をかしげます。
「いいのよ、七菜。わたしをお風呂に案内して頂戴」
「ですが、まだお風呂は沸いておりませんでして、二十分ほどお時間が掛かりますが……」
「あら、瑠璃に聞かなかったのかしら?」
「ふぇっ、な、何をですか?」
「はぁ、あの子ったら、七菜に教えていなかったのね。うちのお風呂の入り方を」
お風呂の入り方――と言われましても、わたしは湯船にお湯を張って、普通に入るぐらいしか思い浮かびませんでした。
他に何があるというのでしょうか?
「わたしは、身の回りの事は全てあなたたちに任せているわ。それは、お風呂も例外じゃない、ということよ。だから、七菜、これは主人からの命令。わたしの背中を流して頂戴」
話を伺えば、これまで瑠璃さんは、毎日ご主人様のお背中を流してあげていたとのこと。
お掃除とか、お洗濯とかは、一緒にやって教えてくれたのに、「お風呂」のことを教えてくれなかったのは、いまのわたしにはなんとなく理由が分かります。
「業務命令よ、脱ぎなさい」
脱衣所で、ご主人様のお召し物を全て脱がすと、メイド服のままでいたわたしに、「業務命令」を下すご主人様。
当然、わたしは拒絶をします。――メイド服のままでも、お背中はお流しできるって!
「ダメよ。あなたのドレスは足下まですっぽりと覆うロングタイプだもの。そんな姿で浴室に入ったら、ドレスがずぶ濡れになってしまうわ。それに――裸の付き合い、というものもあるでしょう? ふふっ、これは誤用だけれどね」
「…………」
この方には絶対に勝てません。
わたしはしぶしぶメイド服を脱ぐよりほかなかったのです。
鏡に映ったわたしの顔は赤くなっていました。
親族を除いて、他人に一糸まとわぬ姿を見られたのなんて初めてでしたから。
そして、瑠璃さんに共感をします。
そうですよね。恥ずかしいですよね。裸になってお背中流しなんて。
なぜ「お風呂」の事を教えてくれなかったのか、合点がいきました。
ボディタオルに固形石鹸をこすりつけ、泡立て、それで背中から前まで全身を綺麗にしてあげたり。
シャンプーでご主人様の美しい金髪を洗ってあげたり、トリートメントしてあげたり。
ご主人様の全身の汚れを落としている間に、蛇口から浴槽向けて勢いよくお湯を注ぎます。
体中を包む泡をシャワーで流す頃にはお湯も張り終わって、ご主人様は満足げに浴槽に浸かりました。
その幸せそうな表情を見ると、わたしも幸せな気持ちになれます。
「七菜、ついでだし、あなたも体を洗っておきなさい」
命令を受けて、わたしはご主人様の全身を洗ったボディタオルで、そのまま全身を洗いました。
使用人室にある石鹸よりも、ここの石鹸はよい香りがして、これがご主人様の美しいブロンドの髪や体から匂う心地よい香りの元なんだって理解しました。
お風呂から上がると、全身をタオルで拭き、髪は乾いたタオルで水分を軽く拭き取ってからドライヤーで乾かしてあげます。
寝間着の事を忘れていましたので、急遽衣服室から寝間着と下着を一着ずつ取り出してきました。
ピンク地に、アラベスク模様の白い刺繍が縫われたワンピースタイプのパジャマと、黒いレースのパンツ(瑠璃さんによると、ご主人様は黒しかはかないそうです)です。
さすがに脱がせるのならまだしも、パンツを他人にはかせるのは、かなり手間が掛かりました。
ご主人様に右足を上げてもらい、そこに片方を通し、逆も同じ要領で通し、最後に上までずりあげるという、かなり恥ずかしい手段で。
だからわたしは心の中で唱えました。
ご主人様、さすがにパンツは自分ではいてください、と。
「七菜、あなた、ちょっと手慣れているのね」
でも、ご主人様はそう言うのです。
「お洋服をお着替えさせることが、でしょうか?」
「ええ。自分で着替えをするのとは違って、人のお洋服を替えることって、結構難しいはずよ」
「そうですね」
特に下着が。
「初めは手間取っても仕方ないはずなのに、七菜はスムーズにやってくれるから」
それには理由がありました。
「――お姉ちゃんがいますから」
「姉? あら、初めて聞くわね」
「別に隠していたわけではないんですけど、言う機会がありませんでしたので。
お姉ちゃんは、いま病院にいるんです。それでお着替えを手伝ったりしたこともあったので」
「あら、そうだったの」
ご主人様は、お姉ちゃんのことにはそれ以上深入りせず、着替えが終わると、
「ありがとう、七菜。あなたとの裸の付き合い、なかなかに楽しかったわよ」
にっこりと微笑みました。
そしてこの笑顔のために、わたしは頑張っているんだとふと感じました。
*
「ご苦労だったな」
部屋に戻ると、瑠璃さんが戻っていらっしゃいました。
「ご主人様のお背中を流していたんだろう?」
「わ、分かるんですか?」
「今日の七菜からは、ご主人様愛用のシャンプーの香りがするから」
「やっぱり分かりますか?」
「ああ。かぐわしいアロマの香りがする」
「そうだ、瑠璃さん」
「どうした?」
「その……恥ずかしかったです」
「そうだな。ご主人様と言えども、自分の裸体を晒すというのはな……」
瑠璃さんは顔を赤らめました。
「だがいい経験になっただろう」
「そうですね。もっとご主人様に近づけたような気がしました」
「そうだ、提案なんだが……明日からは、一日おきにご主人様の背中をお流しするというのはどうだろう」
「う~ん……えっと、賛成ですっ!」
食後に、お風呂でご主人様のお世話をするのは、結構な負担が掛かります。
それは夕食後の片付けをする瑠璃さんにとってはなおさらでした。
だから一瞬、お風呂でのお世話は、全てわたしが引き受けようかと思ったのですが――
「裸の付き合いって特別ですからね。……ちょっと恥ずかしいですけれど」
瑠璃さんの、ご主人様と過ごす特別な時間を奪ってはいけない。そのことに気がついたのでした。
ご主人様が、わたしたちに過剰なまでに日常のお世話をさせてくれるのも、もしかしたらメイドと交流する時間を増やすための、ちょっとした方便なのかもしれませんね。




