カルテ22:路地裏の女神
解放の間を出た司祭様が最初にリアンの零した液体で溶けた絨毯を見て発狂していた頃、瑠唯はアン邸の居間でファーレスの右腕を揉みほぐしていた。
「こういうのは毎日少しずつやって行くのが大切ですからね」
「アンタ等、ここんトコ俺のせいで休んで無いんじゃないのか?」
「僕らの事は気にせず治療に専念してください」
確かに本日は休診日、ボランティアで来ている。
「ファーレスさんに最善を尽くすってデア・サブマ一同約束したので」
「だからって、こんなのいつまでもやってたら体が持たねーだろ?」
「でも、今日は昨日よりも良くなるかもしれません。もしもそのチャンスを逃して治療を語るなら、体以前に僕の心はダメになってしまう気がするんです」
瑠唯にとっては自分のためにしている部分も在るが、ファーレスにとっても自分のためにここまでしてくれる周りの熱意に徐々に心がほぐされていた。
「・・王冠継承記念式典、今年ももうすぐ行われるのか?」
「はい。二週間を切りました」
「前まで俺も騎士団を代表して警備隊の中に居たんだぜ!?」
「はい・・」
「また、あの輪の中に入りたいなぁ・・」
「・・最善を尽くします」
手の機能こそ追い付いてはいないが、最初に部屋で寝っころがって周りの全てを拒絶していた頃から比べて確実に彼の中の世界は動き出している。
空を飛ぶ飛行船は魔掲示板を側面に付けてゆっくりと心の時間の流れを教えてくれていた。
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青い空から射す光に影を作り続ける駅通り横の路地裏。
先日と同じく日中はシャッター通りとなっているが、その中の古いBARの入り口でノルンは鍵のかかった戸を叩いていた。すると中から人の気配がする。
「合言葉は?」
「『桜前線のコカトリス』絶賛寄稿中!」
「よし、入れ!」
古びた木製の戸を開けると、中は小さなカウンターと大量の本棚が狭い敷地ギリギリまで置かれていた。
「おう、ノルンか」
「ったく『おう』もクソもねーよ。こんな朝早くに」
ノルンが舌打ちをしながらカウンターに腰かけるとマスターらしき白髪のじいさんがホットミルクを差し、彼女は機嫌を戻してゆっくりと飲みこむ。
「・・で、あんたが私を此処に呼ぶという事は仕事の依頼か?」
「まぁ、朝から宴会では無いわな」
此処は「図書BAR」と呼ばれる酒場でラノベから文学書まで、店の好きな本を読みながら酒が飲める憩いの場・・というのは仮の姿でもう一つの姿は時代の陰で暗躍をする隠れギルドだ。
ノルンは天性の占い能力を活かして予期せぬ事が起きそうな場合、断片的にでも察知して仲間をサポートして状況を好転させる。そのためメンバーとして商店街組合からオファーを受けて大きな活動が行われる際にこうして呼ばれてやって来るのだ。
「長い前置きは嫌いだ。手っ取り早く行こうぜ!」
「単刀直入に言うとこうだ。王冠継承記念式典が近づいているが、どうやら不穏な影が水面下で動き出しているらしい・・。我々商店街ギルドでそのテロリストどもを炙り出して叩くから是非ともお前さんにも力を貸して欲しいのだよ」
今回の王冠継承記念式典では国王を乗せた車がこの駅前通りも通過する訳で、商店街の自治会メンバー達は仕入れた情報にナーバスになっている。
「けどさぁ、さすがに私の”演奏占い”はギターの音で逆に敵から察知されないか?地味に時間もかかるし・・」
「しかし、今回の場合・・”絶対的な危険性がある”という情報だけが先走ってしまい肝心の犯人やら目的の情報が何も入ってこない・・。そこをお前の能力で先読みして事件を未然に防ぎたいわけだ」
万人単位の参加する式典でテロが起きれば辺りが血の海の惨状となる事は言うまでも無いことだが、ノルンは気怠そうに髪の毛をかきまわした。
「面倒くせぇな、そこまでヤバいなら式典を中止にすりゃあ良いじゃねぇか」
「お前、そんなことしてみろ?国内外に自分の国の治安の悪さを公表するようなもんだぞ」
「だって、本当の事なんだろ?」
情け無い事実にマスターも頷きながらコップを洗う。
「まぁ・・言う通りだ。この前も右翼団体が住宅街を襲撃した事件もあったし、今回は左翼の可能性も出て来るな」
左翼は右翼の反対思想で常に革新や新しい価値観の導入に力を入れる集団の事を言うのが、そもそも何故そういった団体が多いかと言うとエレオスブルグの中の豊富な資源が原因だった。
例を挙げればロッソフォリアなどまさにその部類だが他にも発掘される資源の利用価値は非常に高く、他国にも高値で輸出される事が多い。そしてその財源を巡って思想家達が右翼や左翼に回って対立を繰り返しているが、根無し草のノルンにとってはその討論の価値というものを見い出せずにいた。
「第一、右翼や左翼が喧嘩した所で、その財源だってあいつ等の物じゃないだろ?」
「だな!・・逆にその過激派を一掃するチャンスでもあるんだが、これは強制じゃない以上お前のやる気が無いのであれば、後は我々商店街ギルドでやる事にしよう」
「悪いな、私は組織の中で飼いならされる馴れ合いが何よりも嫌いなんだ」
諦めたマスターに背を向けて戸口に手をかけると、脳に戦慄が走る。
”実は今、僕らにはどうしても助けたい人が居るのですが、それにはあなたの力が必要なんです”
あの時の瑠唯やデア・サブマとの会話を思い出していた。彼等がロッソフォリアを摘みに行ったという事はエレオスブルグの財源に触れたという事になる。
(この右翼と左翼がピリピリしているという時に・・何も無きゃ良いが・・)
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ノルンは図書BARを出ると、急いでガラクタの山へと走り出してギターを弾きじめた。
彼女が奏でるフォルムジナの仕組みだが、厳密に言えば占いというよりかは召喚術の枠に含まれる術式と説明した方が正しいのかもしれない。
ノルンの場合は玄楽器を弾く事でノエと呼ばれる女神と交霊出来るのだが、彼女が
この世界の要素を感じ取って描き出す想像の断片。その映像を伏線としてノルンが物凄い速度で理解をした後に周りに咀嚼して伝えるという、世の作家陣達の多くが喉から手の出るほど憧れる能力の持ち主だった。
くすんだ路地裏に優しい音色が長時間響き続けていると、ふわふわと女神が舞い降りる気配がする。
「あら♪どうしたのですか?」
勿論この声は誰かに聞こえる事は無く、デア・サブマの面々が来た時も実は真横に居た。
(ノエ、お前の力でこの前の医者の若造がその後どうなったのか視てくれ!)
「わかったわ♪」
ノエは楽しそうに鼻歌を奏でながら笑い顔で瞳を閉じてギターの音色に乗り始める。
普通、女神というと高貴なドレスを纏い透けるような白い肌を持ち、セリシアっぽい雰囲気を醸しているはずなのだが、ノエは今時のワンピースを着て毛先がピンクのエクステまで付けてモード臭がプンプンしていた。
「ふふん♭ふふふん♭・・」
ノルンとは対照的で女神というポジションの割に非常に気さくなキャラクターに凸凹な音楽性が生まれて、これまでに様々な問題を解決して来たのだから世の中不思議なものだ。
(どうだ?何か情報は入ったか?)
「・・うん、ロッソフォリアは手に入れたみたいよ♪薬を作って王冠継承記念にも関わりそう」
(・・やはりか、という事は私がギルドに関わる事で当日に瑠唯と出会う可能性が高く、あわよくば力を合わせて行動する場面もあり得るのだな)
計算のスペシャリストなのか? 厨二病を患っている隠れ痛い人なのか?
「あらぁ?ノルンちゃん、ひょっとして誰かにお熱ぅ♪?」
(・・るせぇなっ!しかも言い方がうぜぇんだよ!)
ノルンがギターの演奏を辞めるとノエの体はどんどん透けて、スゥ―っと居なくなってしまった。
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図書BARではマスターがカウンターを拭きながら次のギルドメンバーを考えている。
「あぁ、ノルンが居てくれれば助かんのになぁ・・やり直しか」
『ダンダンダンッ――!!』
ドアを勢いよく叩く音にマスターが慌てて振り向くと、そこには息を切らしたまま睨みつけるノルンの姿があった。
「うぉっ!どうしたノルン」
「……ぜぇ……ぜぇ………悪いな……さっきの話だが……やっぱ……やる!…引き受ける!!」
「おお・・そうか・・でも、どういう風の吹き回しだぃ?」
「……うぜぇな馬鹿野郎!」
「????」
・・・・・
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・・
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一方、矢沢先生は追加資料の提出に再び大学病院へと訪れていた。
楽園の様な中庭でフィーレは相変わらずオシャレなロングパーマで出迎えると会議の書類作成で疲れていたのか、少々しぼんでいる。
「ファーレス君の容態はいかがですか?」
「えぇ、完全回復とまではいきませんが本人がやる気を取り戻してくれたので治療は順調ですよ」
「・・そうですか」
少しつまらなそうな顔で頷くと丁度別の医者がフィーレの元へと顔を出す。
「あぁ、この度は大変お世話になりまして・・わざわざ応援に駆け付けて下さるなんて」
「おおう、フィーレ君!会議に向けての準備は順調かね」
自分等よりも貫禄のあるその顔を矢沢先生は過去に見た事があった。
「では、俺はこれにて・・」
矢沢先生は顔を背けようとするが、年上の医者が顔を覗かせる。
「君は・・?」
「はい、こちらの方はデア・サブマ診療所の矢沢先生です」
フィーレに解説を聞くなり何か閃いたように笑った。
「おおう、これはこれは挨拶が遅れまして、息子がいつもお世話になっております」
「いえいえ、瑠唯君はとても情熱的で、ファーレス君の病気の解明と治療方法を導き出したのも彼なんですよ」
矢沢先生は皮肉そうに苦笑いながら去る。
「チッ、相変わらず生意気な医者だ。君はああいう人間と関わらない方が良い」
「はい、勿論です」
「それで、今度プレゼンをする研究の方は順調に進んでいるのかね?」
「はい、只今鋭意研究中です」
・・・・
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病院地下の研究室には一体の遺体と教会の名前が書かれたカルテが置かれていた。




