カルテ21:解放の間
白いワンピースの様な法衣の上にブラウンの編み込みポンチョを着こんだ少女は、その穏やかで温和そうな顔立ちとは裏腹にフラスコを片手で持ちながらシスターの群れを掻き分けた。
「リアンちゃん、フラスコから液体が零れてるよ!何か絨毯が溶けちゃってるもんっ!!」
「その液体は人体に無害な成分で構成されているので大丈夫です!」
溶けている床は何も大丈夫では無いのだが・・リアンは天才的な頭脳故に追及したい事柄に関しては病的に関わるが、逆に興味の無い事柄に関しては常識的な教養に関しても一切のスイッチが入らない。
「さて、このドアの先に――」
リアンは先程杏里が間違って入った司祭の間の戸口に手をかけた。
「そ、その部屋は開かずの間にしておいた方が、これからのお互いのためだよっ!」
「??杏里さん司祭様と喧嘩でもしたのですか?」
「いやぁ、喧嘩では無いけど・・」
もじもじしている杏里の手の甲にリアンが掌を被せる。
「・・?杏里さん、私がついているから大丈夫ですよ」
リアンは一回微笑んでみせると、そっと『開かずの間』に成りかけていた戸を開ける。すると先程の失態が嘘の様に黒い法衣を着た厳格な司祭様が椅子に掛けながら聖書を読んでいた。
「失礼します」
「ん?おぉ、リアン君!どうしました?」
「司祭様にご相談したく参りました。少々お時間を頂けませんか?」
「あぁ、構わないよ・・・うぉっ!!?」
司祭様は快く返事したが、リアンの背中に隠れていた杏里を発見して顔を赤らめる。
「・・ゴホン、では話を伺いましょう」
二人はロッソフォリアを見せて此処までの経緯を説明した。
・・・・
・・・
・・
・
「・・そうですか、それでは二人共礼拝堂の方へ来なさい」
司祭様は部屋から出ると、礼拝堂の祭壇に立ち瞑想を始める。
大きなホールには祈り子達のために用意された大量の椅子が何列にも並び、祭壇の後ろのステンドグラスにはかつてこの地を滅ぼそうとした心悪しき竜と、悪竜達を慈愛で改心させたとされる女神のイメージデザインが施されて昔話として古くから言い伝えれられていた。
「さぁ、それでは二人共前へ出て祈りなさい」
司祭に言われるがままにリアンは祭壇の前にかかんで手を合わせて祈りのポーズをとる。段取りの分からない杏里も薄目でリアンの動きのマネをして雰囲気だけ合わせていた。
「――この地に使われし、慈悲と宿命の神よ 新たな生命と絆のために精霊の力を貸し与えた給え」
司祭様は神と交信するための会話を始めると、祈っている二人に白銀に輝く粉を振りまく。
(くんか・・くんか・・この香りは)
杏里は目を瞑りながら残された神経を研ぎ澄ませて粉の匂いの解読を試み、これはホーリーネーベルの香りだと断定した。
(そういえば前に仕来たりでホーリーネーベルの雫を固めて粉末にした物を振りかざすって聞いたことがあるな・・)
聖なる粉を与える事で神に精霊と同等の清らかな魂を持っている事を知らせるための行為であり、決して司祭様の性癖では無い史実だけは覚えておきたい。
「それでは二人共、力を解き放つ理由を思い浮かべ、述べなさい」
言われるがまま、杏里は雲の奥に居る様なふわふわとした感覚の中に居た。
これまで、矢沢先生や瑠唯君と力を合わせて来た理由――
オルグリオからグルトップを借りた理由――
ノルンに占ってもらいアルシアスやセリシアにロッソフォリアをもらえた理由――
リアンが一緒に祈ってくれている理由――
やがてゆっくりと目を開け、ステンドグラスの女神を見上げる。
「――私は看護師です。どうしても助けたい患者さんが居るんです!お願いです力を貸してください!!」
すると続いてリアンが目を開け上を向く。
「私の創った薬で命の可能性が拡がる事を、自由な慈悲へ繋がる事を願います」
・・・・
『スゥウ――』
そのまま祈りの格好を続けていると陽の光がステンドグラスへと射して二人を照らし出した。
「おぉ、神よ・・この二人の清廉な願いに其の手を差し伸べて下さるというの言うのでしょうか」
「っ!!?」
急に杏里の中に入ってくる映像の数々。
湖、アルシアスとセリシア――
それらを見守る巨樹――
「杏里さん?どうしたんですか!?」
「わっ!」
リアンに肩を触られてやっと正気に戻ったが、まるで夢の続きをみているかの様な情景に杏里は昨日からの不思議な感覚を思い出していた。
「大丈夫・・ですか?」
「あぁ・・ごめんなさい。大丈夫です」
心配するリアンに気丈に応える杏里だったが、見かねた司祭は聖書を閉じると杏里に手を差し出して体勢を整えさせる。
「現在のお二人・・特に杏里さんは精神が覚醒するくらい内面のエネルギーが高まっています。ロッソフォリアを原料にした薬は歴史の中でも決して安易には創れていませんが、今のあなた方ならきっと精製出来るでしょう」
「本当ですか!?」
「杏里さん・・」
杏里とリアンは手を握り合って喜ぶと司祭様はもう一度ホーリーネーベルを振りかざした。
「貴方たちに、そしてエレオスブルグに神のご加護があらんことを」
するとリアンは立ち上がり司祭様と一緒に礼拝堂の奥の扉へと進む。
「杏里さん、私は居間から耳のピアスを外さなければなりませんのでこれにて失礼します。ロッソフォリアは責任もってお預かりいたします」
「うん・・宜しくお願いします・・あっ!」
「ん?」
「ううん、宜しくお願いします」
杏里の歯切れが悪いのはリアンが身に着けている金のピアスがただのピアスでは無い事を知っているからだ。既に察しかもしれないが魔力を封じるために能力者達が付ける事を義務付けられている矯正器具はマギアスのペンダントと同じ効力を持っている。
正統派の魔法能力者達は日頃の訓練でエネルギーを調整出来るのに対して、自然の摂理に身を委ねるリアン達、教会の人間はこの矯正器具を外すとパワーが暴走を起こす事があるので厳重な注意が必要だった。
リアンがこの奥の間に入る時、結界を張られて一般人の杏里はいつも見送る事しか出来ずに歯痒さと申し訳ない気持ちで胸を締め付けられる。
最初に此処に訪れた時もそうだった。
以前にどうしても必要な薬がどこも欠品していたので杏里自身が材料をかき集めて精製を試みたが、この国の薬剤法として免許の無い人間の勝手な精製は許されない。矢沢先生から持っている資格を聞かれて看護師資格と漢字検定準2級しか持っていないので当然薬の精製を中止させられた。
研究所も人手が足りずに予約を求められて焦りを感じて地団駄を踏んでいると、後ろから足音が聞こえて振り返る。
『――であれば私がお創りします』
その時に教会の礼拝堂から現れたあどけない少女は奥の間でピアスを外すと、三日三晩を研究所で過ごし、望み通りの精製を成し遂げた。
杏里は自分とそんなに歳の変わらない少女が大量の汗を流しながら、青ざめた顔で奥の間から出て来て作業に没頭する姿を何度も見て来ている。
「大丈夫、すぐに戻って精製します」
「リアンちゃん・・」
薬の様に意識して造られた笑顔を見せて部屋へと入ったリアンに対して、杏里は戸に頭を付けてう傾れるしか出来ない。
・・・・
・・
・
奥の『解放の間』の中は薄暗く、聖なる松明と共に覚悟を決めたリアンの表情が照らし出されていた。
「リアン君、君の体内に眠る魔力が先程の儀式で活性化してきている。今からそれを体外に解放するが、心の準備は良いかい?」
「・・はい」
すると、司祭様は再び分厚い聖書を開きゆっくりと読み始める。
「汝の御霊はこの世界の摂理と共に在り、如何なる時も大自然の掟に乗っ取り健やかにあれ」
次々と朗読されていく旧約聖書を聞きながらリアンは深呼吸をすると、震える手でピアスに手をかけた。
「ぐっ!」
錬金職人としては新人の枠と言えど、体内全体に眠る膨大な魔力を小さなピアス一つに集約させていたのだから外そうとする時にかかる衝撃と、何かを閉じ込めていた力に覆い尽くされそうな支配欲にも似た恐怖に晒されている。
(負けちゃダメ・・でも、自分で自分を制御しきれないっ!)
ピアスを外したリアンはその場にうずくまりながら大きく震えて呼吸が荒くなった。
「天と地を作られた神よ、創世と崩壊の序章が起こりうる周期の中で――」
司祭様はこの部屋で聖書を読むことで精霊の力を借り、リアンの情緒の乱れを抑えようとしている。もし、この朗読が無ければ未だ抗う能力の低いリアンは力に呑まれて力に溺れた悪鬼と化していたに違いなかった。
そんなギリギリの状態を難易度の高い薬の精製の度に何度も体験してきたというのに、先輩錬金術師も含めて慣れる事などない。一般時でいう痒い、痛い、恍惚、など本能にも近い感覚を無かった事の様に処理するのは到底無理というものだ。
(何て禍々しい渦の中に居るんだろう・・欲望が抑えきれないっ!)
自我の中に備わっている秩序や理性を消し去ろうとする快楽の中で殺伐とした現実が消え去ろうとしている。
(あぁ、このまま・・)
瞳が輝きを失いかけ、体に入れていた力のベクトルがズレて大切に護って来ていた何かが音を立てて崩れる瞬間がわかった。
「・・マズい!気をしっかり保ちなさい!!」
変化に気付いた司祭様が声掛けをして正気を呼び戻そうと試みるが、呆然と一方向を向いたままリアンは煩悩に取り込まれていた。
「ダメだっ!」
祈りを中止するためにリアンに触れようとした瞬間、彼女の体から黒と紫色をした妖艶なプラズマが放たれて司祭様の手を”バチン”とはじく。
「くっ・・遅かったか」
赤く火傷した手を摩りながら司祭様は聖書の最後のページを開いた。
今起きて居る様な緊急事態が起きた場合、協会側としては最後の手段として力を強制排除するリセットボタンの様な禁術を使う事を許可されている。
・・勿論、使われたリアンが廃人になってしまう事は言うまでもないが
司祭様の詠唱とプラズマの弾ける轟音が響く狭い部屋、僅かに残された思想の中でリアン本人もどちらにしろ”自分”というものが消失させられてしまう事を理解して目頭に涙をためた。
「リアンちゃんっ!!」
強引にこじ開けられたドアと共に杏里の呼び声が中の音に負けないくらいの強さで響く。
「・・!!?この部屋は結界が貼られて一派人が入れないようになっているはずなのだぞ」
「リアンちゃんのためだったら私はどこにだって現れるわよ!早く彼女を解放しなさい、この股引司祭!!」
「・・ゴホン、やろうとしてるがもう手遅れだ。こうなっては強制終了させるしかない!」
「あ…杏里さん…逃げて…」
杏里の声にほんの少しだけ、状況の把握をしたリアンは微かに口を動かして精一杯の啓発をした。しかし、杏里は引き下がる所か前進する。
「私は看護師です!リアンちゃんが薬の精製に命を懸けてくれたように、私も命に代えてでもリアンちゃんの支援をするよ」
すると杏里はプラズマの前に立ち、強靭なエネルギーの壁に弱々しい手で触れる。
「いかん、怪我するぞ!」
司祭様の注意を無視して杏里は”バチン”とはじかれても強引に手を伸ばす事を止めなかった。
「うぅっ、いつも気付いてあげられなかった・・ごめんね」
押し寄せる手の痛みなど気にせずに、闇に拒まれながらも慈愛を伸ばし続ける。
「もう、一人にしないから・・」
気丈に笑顔を振舞うと徐々に手がプラズマの中へと入って行った。
「精霊が彼女を受け入れたというのか!」
礼拝堂で司祭様の力を借りて祈りを成功させた杏里の魂は体ごとリアンの放つ力に同調している。
「リアンちゃん!」
点灯発行を繰り返す空間で杏里自身を欲望が突き抜けようとも、もがき続けた。
『ガシィッ』
闇雲にも腕を伸ばした先、お互いの指先が触れ合う。すると杏里は感覚を手繰りよせてリアンに近づき背中を摩った。
「リアンちゃん、諦めないで!!」
「…あああ…あああああああ」
頭を駆け回る力への高揚感と背中を巡る温かみが鬩ぎ合うと、苦しくて叫ぶ。それはまだリアンの中に自我が存在している証拠。
『私はここだよ・・』と産声をあげる赤子の様な自己証明する少女に触れながら、杏里の脳内には再び護り樹の映像が浮かんでいた。
「何でこんな時に・・?」
そう思ったのも束の間、杏里の体から柔らかいピンクの光が放たれて黒く広がっていたプラズマに重なる。
「これは・・世界の始まりなのか?それとも終わりなのか?」
聖書の最後のページの詠唱を止めて杏里の力の助長をしようと別の詠唱をしていた司祭様も、突如目の前が黒とピンクに覆われて混乱をきたしていた。
「…あんり…さ…んん」
「・・大丈夫、何があってもすぐ傍に居るから」
オーラの渦の中心で手を握り、背中を摩り続け看護師としての業務に徹する。
「……その手…あたたかいです………」
人としての温もりに触れた事でリアンから放出されている黒いプラズマが縮小されていくのが分かった。
「もうちょっとだよ」
微笑む杏里の隣で司祭様も引き続き支援詠唱を始める。悪意を癒す場所として力を解放する本来の部屋としての役割を取り戻した。
「…私は…薬を…精製するんだ!!」
『ゴォオオオオォォォ・・スゥウウウ――』
覇気に満ちた叫びと共に黒いプラズマは完全に消えて部屋中を取り巻いていた風も止む。
まるで何事も無かったかの様に静けさを取り戻した解放の間に、息を切らした三人がへたり込んで呆然と目を泳がせた。
「リアンちゃん・・良かった」
「杏里さん、ありがとう」
安定した精霊エネルギーが二人を取り巻く。
「薬・・創ります」
少々声は疲れているが、リアンは始めて会った時とは違う・・解放された笑顔で応えた。




