カルテ20:薬剤錬金術師
快晴の中で赤・オレンジ・黄色と色とりどりの花畑の中を浮遊するリスは瑠唯の肩に留まると両手に抱えていたどんぐりを勢いよく食べ始める。
「参ったなぁ・・そんな可愛い姿を見せられたら溶けちゃうよ。アハハ」
萌え快楽に酔いしれながらつぶらな瞳のリスを撫でまわして愛でていた。
・・・・
・・・
・・
「お前、どんな夢見てんだよ馬鹿野郎!」
暗い森の中で矢沢先生に担がれながら未だ麻酔を撃たれた影響で寝ている瑠唯は、寝ぼけて矢沢先生の頭を一心不乱に撫でている。
「可愛い奴だなぁ!チュー」
「いい加減目を覚ませってんだよぉおおおっ!!!」
男趣味の無い矢沢先生は渾身の力でそのまま背負い投げをすると、瑠唯は平行に木に吹っ飛んだ痛みで目を覚ました。
「あれ?リスは!!?・・ここは?・・そうだっ、僕は狼!」
「阿呆、お前が狼なわけではないだろう!」
逆さまの体勢で木からズレ落ちたまま瑠唯の意識は徐々に回復して戻り始める。
すると景色の中で一人欠けている事に気付いた。
「ん・・あれ!?確かにそうですね・・あの後・・あれれ?杏里さんは!?」
「狼と一緒に下へ落っこちて行ったから救出に行く途中だ!」
呑気に寝ている間の事を悟った瑠唯の顔は後悔で青ざめる。同時に靄のかかっていた二匹の狼と戦っていた時の記憶が鮮明に蘇ってきた。
「僕が寝なければ・・」
「撃ったのは杏里だ。しょうがない事だろ」
木にもたれかかったままの瑠唯は不甲斐無く歯を噛みしめる。
「杏里さん・・」
ポケットに入れていた杏里のハンカチを握り締めると、矢沢先生が歩き出した。
「先生・・」
「杏里を探しに行く」
当然ながら夜の山は甘くは無かった事を悔やみながらも杏里は無事だと信じて瑠唯も立ち上がる。
「ノルンさんも僕らがロッソフォリアを手に入れる所を予言していたんですから、きっとこっから探索開始出来るんですよね!」
「ったりめーだろ。ぬるいE-POPみたいな結末は神が許しても矢沢が許さねぇぞ!」
矢沢先生が懐中電灯で先を照らした時の事だった。
『――タタタタッタッタッタタッタ』
遠くから何か物凄いスピードで迫ってくる足音が聞こえてくる。
「今度は何が気やがる!」
矢沢先生は本日三度目のナイフを取り出し、こんな事なら自分も玄さんの所で強化してもらえば良かったと少し後悔していた。
『バァアアアアアアアア――』
側面から出て来た豪速の影は空中へと舞い上がり空気抵抗を抑えながら風圧と共に降下してくる。
『ドシィイイイイン――』
振動による影響でまるで時が逆戻りしたかのように地面に落ちた葉っぱが空へと浮かんだ。
踊っているに見える葉の嵐の中で白衣の二人は灰色の狼と背中に乗った女性を見つけ指をさす。
「杏里!!」
「無事だったんですね!!」
「みんな、心配をかけてごめんね!」
杏里は早く二人と再会するために狼から降りたが、そこで狼の背中に付いている無数の傷に気付いた。
「アルシアス・・貴方・・・」
谷底へ落ちた杏里が無事だったのは地面が草原で柔らかかった事だけでは無い。
一緒に転げ落ちた様に見えて、実はアルシアスが受け身を取って回転時の衝撃を全て和らげていたのだ。
「何故あなたはそこまで・・?」
杏里がしゃがんで背中を撫でるも月の力が弱まった今、アルシアスは「クンクン」と鳴くしか出来ずに居る。
「何だ?杏里、その狼と仲良くなったのか!?」
「はい。アルシアスのお蔭で怪我もしなかったし、ロッソフォリアも手に入りました」
杏里はリュックから摘み立てのロッソフォリアを取り出して二人に見せた。
「うおっ!でもそれは二の次だ。お前が無事で良かった」
「その通りです。杏里さんが無事でなきゃ意味が無いんです」
「みんな・・ありがとう!」
再会も束の間、アルシアスが三人を見ながら歩き出す。
「アルシアス、どこへ?」
「そういや俺達大分歩いて来たけど、途中から目印も何も付けないで来ちまったな」
「あの狼は僕等を出口まで案内してくれるんじゃないですか!?」
確立は半々だが、他に帰る方法も無い。無言で狼は闇の中を突き進むと三人もその背中に続く事にした。
・・・
・・
アルシアスはニーケブウスの守り神の従者と言っていたが、確かに山に入った時と違って三人を狙った野生動物の気配は消えた気がする。今、デア・サブマの面々を狙うという事は神を殺すのと同じ罪に値する事を悟った様だ。
「あっ!」
杏里が指さす方向には先程、注射銃を撃ちこまれて寝ていたもう一匹の狼が居るが、襲ってくる気配は微塵も無い。寝ぼけ眼で後方に回ると、ふらつく足取りでサポートしてくれる。
「ふふん♪こうしてるとピクニックみたいだね!」
「お前なぁ、さっきまで死にかけてたんだぞ!?」
呑気に鼻歌を歌う杏里の頭を諭そうとしたが、武装集団に殺され掛けた直後に海へと行った女だった事を思い出して諦めた。
「あ、出口が見えてきました」
茂みの終わりに来るときに乗って来たレンタカーが見える。
すると、あと数歩で森を抜けるという時に二匹の狼はピタっと足を止めてしまった。
「何か、短い付き合いだったけど世話になったな」
「僕は気絶していたのでもっと短い付き合いでしたが、お蔭さまで貴重な天然のロッソフォリアを手に入れる事が出来ました。この御恩は一生忘れません」
杏里がリュックから傷薬の軟こうを取り出す。
「本当はもっとはやく手当てしてあげたかったんだけど・・」
アルシアスの背中の傷口に丁寧に何度も擦り込んでいくと、最期にもう一回頭を撫でた。
「今日は天気が微妙だったけど次の満月にまた戻って来るよ。その時にいっぱいお話ししようね!」
護り木について聞きたい事はあったが、人間の言葉しか分からない杏里たちにとって狼との会話は到底無理である。
・・・・・
車のエンジンが掛けられ杏里も車に乗り込むと、ずっと黙って見守る狼達の姿が小さくなり見えなくなるまで手を振り続けた。
・・・・・
・・・
・・
・
帰りの車の中では三人共疲れていたので口数こそ少なかったが、普段住み馴れている都心部と違って、これまたエレオスブルグの未知なる側面に触れた心境で満たされている。
そのまま街に戻ると解散してそれぞれ疲れを癒すために深い眠りへと着く――
杏里は夢の中で再びニーケブウスの地下層と護り木に辿り着いた。
「あれ?ここはさっきの・・」
月の光が丁度御神木に伸び、ロッソフォリアの影響で柔らかいピンクのレーザーを浴びて居る様である。
『杏里、大きくなりましたね――』
「!!?」
木が喋っているとなれば、いつもの杏里はお返しにパペットをするはずだが・・再び一人で森の奥に置かれたこの状況で出来るはずも無く心細さに呑まれた。
「杏里様」
聞き覚えのある声がする方へ振り返ると、人間の姿になったアルシアスと隣に同じ白いローブをまとった銀髪の美人が立っている。切れ長の瞳に白い花飾りを頭に付けた姿は神聖なオーラを醸していた。
「その声はアルシアス!・・それに隣の貴方もさっきの狼なの?」
「はい、セリシアと申します」
「んじゃぁ”せりりんこ”で決まりだね!」
「はい?」
荘厳な空気はお得意のユーモアにて打ち破られてしまう。隣でアルシアスが口に手を当て吹くのを我慢していた。
『――杏里よ、貴方には使命を与えて肉体と心を授けましたが、その器は順調に成長している様で私は嬉しいです』
母性という言葉を漂わせる優しい声に杏里は恐怖心は無く、桃色の光を浴びる巨樹に魅入るが疑問が晴れる事は無い。
「ちょっと待ってください!私には元々お父さんとお母さんがちゃんと居ます。貴方とキャッチボールやおままごとをした記憶はありません!!」
『更に前の刻に器を戻せば見えてくるはずでしょうが、現世でその能力は失われています』
「更に前?ひいひいお婆ちゃんくらい?」
『――もっと前です』
太古の昔、それは杏里の父親が調べようとしていた時代。すぐそこまで迫っていながら解明出来ないままにしてしまった時代。
「ひぇえええ!!私は何者なんですか!!?」
『――いずれ知る時が来るでしょうが貴方の器はまだ事実を受け止めるまでの成長はしていません。そちらの世界で経験を積み、いつか再び会いましょう』
「経験・・・ねぇっ?」
『・・?』
「私が看護師になりたいと思った気持ちや、デア・サブマに入った事って貴方の言う経験になってますよね?みんなと毎日一緒に仕事をする日々って成長に繋がっているんですよね!?」
『・・・・・』
護り樹は何も応えないがアルシアスは杏里に微笑んだ。
「大丈夫です。護り樹様からとても心地良い波長を感じます。きっと貴方の考え方と一致しているのでしょう」
「・・・」
杏里も言葉を詰まらせ黙っている。取り敢えずこれまでの日々が無駄では無かった事を第三者に認めてもらった事で根拠も無く少しだけ安心していた。
「杏里様、もうすぐ夜が明けます。そろそろお戻りください」
セリシアがゆっくりと、華奢な白い腕を差し出す。
「せりりんこ・・」
杏里も腕を差し出すが、頭の中はあの時撃ち込んだ麻酔の効果が抜けずにふらふらと山の中を歩いていた狼がセリシアの姿のままだったらと想像して勝手に萌えていた。
「また、いらして下さい」
順応能力が高く、小さくも丁寧に手を振るセリシアは既に”せりりんこ”と化している。
そんな幻想的で夢か現実の世界なのかも定かでは無い空間も徐々に薄く儚くブレていった。
・・・・
・・・
・・
・
朝が来た事で徐々に射し込む光に呑まれた毛布は温かみが増して起きるのを妨げようとする。
「変な夢・・じゃないレベルだったよね」
夢にしてはあまりにも鮮明に残る出来事は現実の記憶として形を成した。
枕の隣の台座に立てている花瓶には昨晩摘んだロッソフォリアが丁寧に入れられている。
目をこすりながらもゆっくりと起きてカーテンを開けるとロッソフォリアの朱さが屈折して反射した。
夢でも何でもロッソフォリアが手に入った現実があるのなら今はそれで良い。
「さぁ、行かないと」
ナース服に着替えて灰色のカーディガンを羽織った。
・・・・
・・
・
『ブロロロ――』
エアバイクに乗って騒がしい街を抜け、更に畑や田園地帯を抜けて郊外の喉かな草原地帯を突き進むと大きな湖が見える。そこを渡るための橋もそのまま進むと中央に巨大な白い神殿が姿を現した。
神殿の上にはエレオスブルグの国のシンボルを象ったエンブレムが付けられ神聖な場所だという事が伺える。
杏里は神殿の離れにバイクを止めると歩きながら髪と身なりを整えて咳払いをした後、目の前に現れた巨大な扉を力一杯押した。
『ギィイイイイ――』
重い蝶番の音と共にすぐに目の前に三方向の扉が現れて選択肢を迫られる。
「えぇっと、確か中央は礼拝堂だったんだっけな」
休みの日には讃美歌も聴こえてくる中央の礼拝堂はこの地域の中でも、とても巨大な規模のものとなるが今日の用事は決してお祈りでは無いのだ。
「確かこっちだった気が・・」
うろ覚えの曖昧な記憶で左側の扉を開けてみる。
すると白い股引を履いている途中のオッサンが現れた。
「え?何で!!?」
「君こそ何なんだね!!?」
「あ・・お邪魔しました!」
深入りはいけないと思い、杏里は素早く戸を閉める。改めて表札版を見ると今の部屋は神父様の更衣室だった事を知り舌を出した。
「本当は右の扉か!」
今度こそ!と勢いよく最後に残された右側の戸を開けるとホーリーネーベルという、ふわっとした柔軟剤の様に優しい香りの霧で包まれる。
「当たり!」
ホーリーネーベルとは元々は教会側が邪気を払うための聖なる雫として精製していた人口の霧だったが、現在でも消毒効果があるという化学作用が認められてこの神殿では使われていたのだ。
「ほんじゃ、お邪魔しますっと!」
廊下をひた進んだ先のドアを開けると、今度は様々な薬液の匂いが鼻孔を刺激してくる。
杏里にとっては診療所で慣れた匂い。何故なら今居る場所は薬を精製する製薬研究所なのだ。
「うーんと、あっ、居た居た!リアンちゃん!!」
「・・んん~?どちらさま??」
液体の入ったフラスコの山からひょっこりと顔を覗かせる栗色ミディアムショートヘアの童顔少女は教会の法衣を身に纏っている。
「おひさっ!」
「杏里さぁん!おひさしゅうです・・今日はどうしました??」
リアンも杏里の存在に気付くと、眠そうな垂れ目でホーリーネーベルに劣らない柔らかな対応を始めた。
「実はさ、折り入って頼みごとが有って来たんだけど良いかな?」
「ん~・・内容にもよりますが、ぜひとも話は聞きましょう」
彼女は癖のある杏里スタイルにも初期から友好的に対応出来ていた貴重な仕事仲間であり、周りからはその清純な優しさを讃えて柔軟剤系女子と賞賛されているが、杏里と波長が合う時点で”ヤバい奴”と矢沢先生は警戒して一切近づこうとはしない。
「あのね、急ぎで薬を精製して欲しいんだ!」
リアンは薬剤錬金術師という国家上級職に就いている、業務内容を簡潔に言えば治療に必要な薬を精製する研究者だ。しかし、この世界では特殊な薬を作る時には材料と知識の他に、純粋な魔力が必要とされて昔から精霊の力を宿しているとされた一部の能力者しか薬剤錬金術師にはなれなかった。
「私のMPで作れる代物だと良いのですが・・材料はお持ちですか?」
「はいこれ――」
杏里はショルダーバックから摘んで来たロッソフォリアを取り出す。
「杏里さん・・これは!」
「リアンの旦那、こいつぁ命懸けで取って来た唯一無二の代物でっせ!」
熟練の錬金術師達にとっても中々目にする事の無いロッソフォリアは駆け出しの称号でしかないリアンにとっては初対面だった。
「難易度は高めなので私一人では決めかねる所ですね・・でも折角お越し頂いたのですから力になりたいですねぇ・・ちょっとついて来てください」
するとリアンは急に思いついたように研究室から足早に出て、杏里もそれに続いた。




