カルテ19:護り樹
「・・・!?」
ガサガサと奥の木は揺れて音はどんどん近づいて来ていた。
「お前等、下がってろ!」
矢沢先生がポケットに入れていた小さなナイフを構えながら気配を伺う。
「・・・来るなら来いよ」
一秒一秒上乗せされる緊張感が走る利き腕は固く強張っていく。
『ガサァッ――』
「出やがったか化け物!!」
「・・・・・」
身構える一同、だが目の前に獣どころか生き物の姿は見えない。
「キィッキィ・・」
「え?」
か細い声のする足元に目をやると掌より若干大きい位のリスが一生懸命どんぐりを食べていた。
「あぁん!?何だ!!?」
「可愛い!!」
矢沢先生の手の力は抜けて杏里は心がキュンキュンな状態になってしまっている。
「これはジャンボアンブルリスですね」
「え?瑠唯君知ってるの?」
「はい、体の大きさは普通のリスの数倍ですが、木の実が主食で人を襲う様な事はありません」
瑠唯のナビに矢沢先生はホッと胸を撫で下ろしてナイフをしまい、一同に安堵の顔が見られた。
『スゥ――』
「ちょっと瑠唯君、いくら正解を答えたからって首筋の触り方が官能的過ぎるよ?」
「んだとっ!?瑠唯てめぇ!!」
まるで娘を護る父親の様に矢沢先生は手の骨をパキパキ鳴らす。
「待ってください、僕は触ってませんよ」
両手を上げて無実を証明する瑠唯の姿に杏里は背筋がゾクッと震える・・。
「え?だって今も触って・・」
『カサコソ――』
恐る恐る振り向くと木の枝から糸を垂らして降りて来た蜘蛛が杏里の肩の辺りを這っていた。
「い、い、いやぁあああああああああああ!!!!!!!!」
錯乱して暴れまわりながら放たれる叫び声は夜の山をこだまして深淵の奥まで響き渡る。
「杏里さん落ち着いてくだ…『バキィッ』ヘブシッ!!」
急いで蜘蛛を取りに走る瑠唯だったが、杏里の拳と同時に鳴った鈍い音と共に後ろに仰け反った。
「・・ったくよ」
『バッ――』
見かねた矢沢先生が手で払いのけると蜘蛛は急いで糸を手繰り木へと戻って行く。
「いやぁああああああ」
「おい杏里」
「いやぁああああああ」
「杏里っ!!!」
「!!?」
「もう、取れったってんだよ!ってかお前今、俺の顔見て叫んだだろ!?」
「へ?」
我に返ると恐怖に顔が引きつりながらもゆっくりと肩を見回して確認する。先程まで主観の端に居た足は消えてもう這い寄る感覚も無い。
「はぁ・・良かった。ありがとうございます。貴方は矢沢先生改めブリティッシュ菩薩です」
「もう絶ってぇ助けてやんねぇかんな!!」
恩を仇で返すような杏里の照れ隠しの礼は矢沢先生には全くウケずに再び夜の森に静寂を戻す事となった。
「まぁ何はともあれ、みんな無事で良かったですね!」
「うっし!こんな所で立ち止まっててもしょうがねぇ。さっさと行くか」
「ぼ…僕の鼻血……」
一見解決したように見えた蜘蛛問題はとんだ二次災害をもたらしていた。にしてもこの男、顔はハンサムなのに毎回非常に残念なポジションである。
「んなもん唾つけときゃ治るだろうがよ」
相変わらず同性の後輩には厳格・・というか適当な矢沢先生だが、杏里はそうはいかない。
自分の重い一撃でポタポタというよりかはボタボタという擬音に匹敵する大量の鼻血を垂らす瑠唯を見て罪悪感に呑まれていた。
「瑠唯君ごめんね。私を助けようとしてくれたのに・・これ使って」
上を向いたままティッシュで止血を試みる瑠唯に申し訳なさそうな表情で木綿のハンカチーフを手渡す。
「ウ゛ゥ゛ウ゛ウ゛・・・」
「瑠唯君、謝るからそんな唸り声を上げて怒らなくても・・」
「僕は今、モブ状態なので一言も発してません・・」
「えぇ?」
考えてみればリスの動き位で茂みが激しく揺れるはずが無い。何かもっと大きい生物が居るわけだ。
「さすがに今度は敵意剥き出しの声だな」
矢沢先生は苦笑いを含ませながら再びナイフを取り出して牽制する。
「すいません、きっと僕の血の匂いに誘われて来たんですよね」
鼻にティッシュをつっぺしたまま、ハンカチを靡かせて精一杯格好つけた。
「お前、ハンカチも血まみれじゃねぇか!」
矢沢先生のツッコミに瑠唯はボタボタと鼻血を垂らしながら頭を下げて謝ると雑草がロッソフォリアの様に赤く染まる。
「杏里さんすいません」
瑠唯の煮え切らない感を無視して奥の唸り声は大きくなって来る。
「来るぞっ!」
矢沢先生の声掛けに後ろの二人も身構えた。
『ガサァアア――』
宙へと舞った葉が落ちるよりも早く未確認生物は一行の前へと着地する。瑠唯が冷静に懐中電灯を向けると、そこには灰色の毛に覆われた巨大な狼が二匹、こちらを睨みながら唸って威嚇してきた。
「瑠唯、この狼は何て言う種類なんだ?」
「これは僕のデータに入ってませんね・・」
「何でリスだけ詳しいんだよ!」
瑠唯は大学の志願変更を行った”暗黒時代”と呼ばれる時期に自宅でリスを飼う事で気持ちを癒していた。
「取り敢えず、ここは戦いを避けては通れねぇって事か・・」
「だったら私も武器を」
敵と適度な距離を保ったまま、杏里は急いでリュックの中を探る。
「杏里、お前も武器を持ってんのか!?」
「はい、こんな事も在ろうかと先日に鍛冶屋へ行ってカスタマイズしてもらった武器を昼休みに取って来たんです」
「頼もしいな。さ、出してくれ!」
「ハイッ!」
自信有り気に相槌を打つと、リュックから見るからに怪しげな銃を取り出す。まるでB級SF映画に出て来る様なレーザー銃みたいな造りだが、弾の代わりに小型の針付カプセルを入れるシリンダーが設置されている。
「相変わらず玄さんもロックな仕事をしやがるな」
玄さんとは齢四十歳になるエレオスブルグの中でも有名な刀鍛冶の名士。常に酒を飲みながら工房にひきこもって鉛を研ぎ続ける。一見かなりストイックな頑固職人にも見えるが、実は常に田中タカヤスというサウンドプロデューサーの創るテクノポップを聴いてないと仕事に集中できないという偏った感性の持ち主だ。モッシュしながら鉛を叩きつける姿に感化された杏里は給料前で貧窮していたので、ベストアルバムの初回限定盤についていたライブ応募券を報酬代わりに支払い、カスタマイズしてもらう運びになったわけである。
『彫刻刀、ディスコ♪』
腕は確かなテクノ狂信者は最初に針の部分を刃にした注射刀を考案したが、持ち運びが不便な上にソードスキルの無い杏里にとっては宝の持ち腐れになるので、もうちょい玩具っぽく馴染む銃型になった。ただし本物の銃に関しては無免許どころか触った事すら無いので腕前は絶望的だ。
話は現在へと戻り、構えた銃のシリンダーに透明な液体が詰め込まれている様を矢沢先生は目撃する。
「おぉ杏里、その液体に劇薬とか入れられてんのかっ!?」
「聞いて驚いてください、この中には狂犬病の予防注射に使うワクチンが大量に入っているんです!これでいくら噛まれても私達に伝染する可能性は有りません!」
「・・・・噛まれる事が前提の戦いか」
諦めたように矢沢先生は前傾姿勢で狼へナイフを構えた。
「グゥルルルルル――」
「お手ぇえええええっ!!」
先制攻撃に矢沢先生の振るうナイフは夜風を切り裂く。狼たちは軽快なステップで避けると二手に分かれる。
「危ない!」
一匹が矢沢先生に噛みつこうと飛び跳ねた所に杏里の注射銃が放たれた。
『ズブゥウ――』
「キャイン」
薬の入れられた針は見事に飛び乗ろうとした狼に打ち込まれると、軽く吹き飛びそのまま無言で伏せる。
「あれ?寝てます??狼さん、そんな所で寝たら風邪ひきますよ」
「どうやら即効性のある睡眠薬も入ってるらしいな。口ほどにも無い、俺の矢沢ステップを出すまでも無いぜ!」
杏里がどこからか仕入れて来たこの怪しげな薬は出所は不明だが効き目はバッチリらしい。
「杏里もう一匹も薬で大人しくさせろ!」
「それ来た!!」
「ガルゥウウウ――」
杏里は注射銃を構えるが狼は素早く確実に距離を縮めてジグザグに駆けて来るので中々照準が定まらすに焦る。
「ええぃっ!!」
やけくそに引いたトリガーから勢いよく薬液入りの麻酔針が発射された。
『ピュン――』
「ぐわっ!」
破れかぶれに放たれた銃は狼から逸れて後で格好付けて不意打ちを狙っていた瑠唯に当たってしまっていた。
「ごめ~ん!」
「すぴ~すぴ~」
杏里はイタズラがバレた子供の様におどけて見せるが、当人は既に深い眠りに付いてしまっている。
「――杏里逃げろ!」
矢沢先生の叫び声に急いで銃を構えなおして振り返る杏里だったが、素早く飛びかかって来る狼の体重に押されて後方へよろけた。
「あっ!」
数歩下がった所で後ろに足場が無い事に気付く。しかし背中に重心を置いていたので狼を抱いたまま一緒に急斜面にひっくり返る。
「きゃあああああああ――」
「杏里っ!!」
車輪の様に綺麗な円状に転げ落ちていくと、矢沢先生の声が届かないくらい下まで落っこちた。
簡単なかすり傷こそ出来ているものの、地面が柔らかかったため奇跡的に大きな怪我は一切無い。
「グゥルルルル――」
無事だったのは狼も一緒だが、着地時に体を打ったのか少し弱っていた。
ゆっくりと起き上がる杏里の傍には手から離れた注射銃が落ちている。それを拾うと構えずにリュックへと閉まってしまった。
「大丈夫?」
攻撃し直すどころか、狼に近寄って体を摩り始めると狼は大分楽そうな声を上げる。
「う~ん、君も特に大きな怪我はなさそうだね・・にしても」
杏里は崖の上を眺めるが急斜面な上に恐ろしいほど高く、自力で上がるのは無理そうだった。
「ここで、助けが来るのを待つか・・」
上部は気に覆われて中々周りも見渡せない暗闇の中で杏里は体育座りをして、起き上がった狼の頭を撫で続ける。
「さっきは君の友達を撃っちゃってごめんね」
狼も心中を察したのか?攻撃する様子は無く、黙って撫でられ続けていた。
そのまま、助けが来るまでの静かな時間が数分続くと狼は撫でられたまま急に空を見上げる。
「ワォオオオオン――」
「え?どうしたの!!?」
何度も遠吠えを始めて杏里もびっくりするが、闇に覆われていたはずの周りの景色が少しずつ明るくなってきた。
「月が出て来た?」
上部に巨大な満月が昇り、最下層の杏里たちまでもを照らし始めると、その光の柔らかさに不安だった気持ちが緩和される。
しかし、月の影響はそれだけでは無かった。
「朱い・・」
落っこちた草原は一面が朱く、目の錯覚か段々と月や蛍までもが赤く見えてくる。
「あれ・・?この朱い草ってもしかして・・・ロッソフォリア」
こんな闇に埋もれた地層深くに隠されていれば、業者やハンターがどんなに探しても見つからないはずだ。
「それにあの樹・・私、此処に来たの初めてじゃない気がする」
草原の中心には満月の光に照らされた湖とその真ん中に聳える巨大な樹が一本立っている。この森の木も公園の木の何倍も大きかったが、この樹は更に数倍の大きさを誇っていた。
「その気は此の地の守り神です」
「え?」
声のする後方を振り返ると、白いローブを纏い透き通る様な銀長髪の美男子が立っていた。
「・・・誰?」
「狼だった者です。先程の非礼をお許しください」
すると、狼だった細身の美男子はかがんで謝罪を始めるが杏里には何の事だかさっぱり理解できない。
「ちょっと待って!まず、何でそんな進化を遂げちゃったわけ??貴方は何者なんですか?」
「私はアルシアスと申します。この森の神に仕える従者で、普段は狼の格好をしていますが月の光を浴びて魔力が高まると人間の姿にもなれるのです」
「へぇ~」と頷く杏里だったが、逆にアルシアスに対してかがんで申し訳なさそうな表情になった。
「ごめんなさい。私達は金儲けに密漁をするつもりでは無かったんです・・どうしても助けたい人が居たくて」
「助けたい人?」
杏里は此処に来るまでの経緯を全て話す。
「そうでしたか・・杏里様。我々の御神木が貴方を此処まで導いたという事は許可を下したという事なのでしょう」
「良いんですか!!?」
「はい、きっと貴方様が此処に来たのも何らかの運命の糸を手繰り寄せた結果であるはずです」
言葉に甘えて必要な分だけのロッソフォリアをリュックへ入れると、アルシアスはにこやかに微笑んでいた。
「杏里様、本日お会いできて本当に嬉しかったです。エレオスブルグに祝福を――」
それだけを言い残しアルシアスは狼姿へと戻ると、伏せて背中の部分を差し出す。
「え?乗って良いの?」
杏里の問いに狼は一回だけ静かに頷く。
「ありがとう。重くてもそれはリュックのせいで私の体重じゃないんだからね!」
赤面のまま、そぉおっと背に跨り首に腕を掛け捕まると、再び崖に上を眺める。
「ワォオオオオン――」
一回遠吠えをすると、次の瞬間に物凄いスピードで急な斜面を駆け始めた。
「うわぉおおおおお」
杏里も振り落とされないように必死に掴まると遠吠えに近い悲鳴が喉から自然と出る。
普通の人間じゃ無理な足場を難なく数百メートル登った時に、振り返ると巨木の全体像が見えた。
恐らくデア・サブマ程の面積を持った樹は無言で見送るが、杏里は他人とは思えない温かい気持ちで心を満たされながら頂上へ運ばれて行く。
「ありがとうございました」
そっと呟いた時、満月は雲で隠れて地層は封印されたかの様に閉ざされたのだった。




