カルテ16:サード・オピニオン
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今までの理論をちゃぶ台返しされたような感覚に瑠唯は脳内にメガトンパンチを喰らったかの様にクラクラシテしまう。
「ど、ど、ど、ど、ど、どどどどどういう事ですか!?」
「あれー?かなりリフレインして聞こえるけれどもターンテーブルとか回してる?」
「いえ・・そそそそ、そりゃ噛みますよ杏里さん」
「でも瑠唯君って元々滑舌そんなに悪くないよねぇ?」
「いやそういう事じゃなくて……ふぅ……あの、そういう事じゃなくて、今まで積み重ねて来た理論を急に崩すからびっくりしたんですよ」
いつもぶっ飛んでいる杏里の脳回路伝達構造だが、今日の飛び方は大会新記録かもしれない。
「確かに大切な箱入り娘にしてきた理論かもしれないけど、患者さんが求めるのはあくまで解決策だよ。推測を積み重ねても方向が違えば意味は成立しなくなっちゃうんじゃないかな?」
「・・・そりゃあ、まぁそうですけど・・でも、一体どういう新説が出たというのですか?」
瑠唯としても非常に興味深い所だが、杏里は勿体ぶって「ゴホン」と偉そうに咳を飛ばす。
「杏里さん!ふざけている場合ですか?」
「ゲホ・・違いますよぉ・・ココアが気管支に入ったんです・・げふ」
敬語に戻っている点から察するに本当に咳き込んでパニックになって居るんだろうと瑠唯は納得した。
「ゴホン・・確かにファーレスさんが二次性細菌性肺炎で低酸素脳症になったのは事実ですが、本人の話だと後遺症のリハビリはある程度順調に進んでいたんですよね?」
「あぁ、治りかけたって聞きましたね」
「はい、やっぱり後遺症にも度合いがあるじゃないですか?ファーレスさんの場合、不幸中の幸いとして軽度の症状で大学病院のリハビリにより快方に向かっていったはずなんです」
確かに一回良くなりかけていたと本人の方からも話があった。問題はその後に何が起きたか・・。
「最初にファーレスさんにお会いした時に壁越しに泣き声を聞いたのですが・・何だろう・・?呼吸のリズムが少し変だなって」
「呼吸の仕方ですか?」
「はい・・呼吸のペースが妙に早くて浅い感じがしてですね。その時は泣いた影響かな?って黙っていたのですが、矢沢先生と話をしていた時の呼吸のリズムも同じように早かったんです」
呼吸のペースが乱れるというのは普通、運動をするか感情が乱れた場合が多い。あの時に大した運動をしていなかったとなると、乱れた理由は後者になる。
「感情のぶれで呼吸もぶれる・・何らかのリンク作用が生じている?」
「私は違和感は感じるものの、ここら辺の知識が薄いのですよ。なので瑠唯君ならこの先の知識を貸してくれるのではないかと・・」
成る程といった顔で瑠唯は頷く。
「・・杏里さん、少しだけ調べる時間をください」
「四十秒で支度しな!」
・・・・・
・・・
著作権ぎりぎりのセリフを残して一旦電話は切れた。
「せめて三分は待って欲しいところです・・」
すると瑠唯は急いで大学時代に使っていたノートを机に広げて精神と呼吸の関連症状を検索する。
「杏里さんがくれたヒント、無駄にはしない!」
彼は幼少期から父親と同じ道を歩むように英才教育を受けて様々な事を我慢して生きて来た。そうすれば未来への道筋は約束されるという道徳上の理論を信じていたからだ。しかし受験に敗れて志願変更をした時、世の中そんなに優しく出来てはいないと挫折を知った。
結果立ち止まって周りを見た時に何をすれば正しく、何をすれば人から喜ばれるのかわからない・・奥を返せば自分自身が何を求めて何に喜びや怒りを感じるのかすらもわからない人間だった事に気付き、自身の今までの価値観は脆くも崩れ去ってしまったのだ。
家での肩身も狭くなり、大学病院からもインホスからも呼ばれずに妥協で働き始めたデア・サブマでも要らないと言われれば、本当に居場所を失くしてしまう。なので矢沢先生に否定されるととてつもなく心が揺さぶられて情緒が不安定になる。
そんな日々もこの件を通して少しずつ緩和を始めた。
(救うように見えて、実は救われていたのは僕の方だった。だから少しでも恩返しがしたい・・)
まだまだ、ヘタレていて残念な部分の多い青年だが情熱だけはデア・サブマの勤務条件に少しは見合うようになったのかもしれない・・。
「ストレス性の過敏症状・・そうか、そういう事かっ!」
ノートの先に書かれた人が喜ぶ未来の可能性・・
触れた事も感じた事も無い未知なる感情の断片を掴みかけていた。
【翌日】
瑠唯の召集により朝も早くから杏里はデア・サブマに来ていた。
「あれ?矢沢先生、泊まり込みだったんですか?」
「あぁ、泊り込みの青春てのはやっぱ若い奴のやる事だな」
返答の声が震えているうえに目の下にクマを作り、若干顔が白くなっている。
「えぇ、皆さん朝早くからお呼び立てしてしまってすいません」
「おぅ、んでどうした?」
「先日、杏里さんから助言を頂き自分なりにファーレスさんの症状と改善策を調べてみました」
瑠唯もまた目の下にクマを作っている。
「ファーレスさんの二次性細菌性肺炎の後遺症は大学病院側の懸命な介抱によって社会活動が出来るまで回復しました。しかし、此処でファーレスさんは日頃から蓄積していたストレスが爆発して体に出てしまったんです」
治療に掛かった時間に比例して増えるのは治るか分からない不安、仮にある程度治ったとしても今から騎士団に復帰できるのかも分からない日々は彼の苛立ちを膨らませて来た。
「彼はストレス性の過換気症候群を発症してしまったのです」
過換気症候群とは精神的な不安によって過呼吸になり、その結果、手足や唇の痺れや動悸、目眩等の症状が引き起こされる心身症の一つである。
「ストレスが続くと無意識の内に自律神経バランスが崩れて血流の循環が悪くなり神経を圧迫します。そしたら再度低酸素脳症と同じ状態に近づいてしまうんです」
「つまりファーレスは二度同じ症状に悩まされたという事か・・」
「偶然にも一番不安定だった右腕の症状が再発して、発症原因が変わった事によって治らなかったのではないでしょうか」
あの日、杏里が聞いた不規則な泣き声とはファーレスが軽度の過呼吸を起こした状態を意味していた。
「ファーレスさん、ずっと症状を我慢していたのですか?」
「騎士となれば公家の人間も多いからな、平民出身のアイツも差を付けられたくなくて痩せ我慢をしていたのだろう」
この国は様々な文化が入り混じっているが、全員が全員上手く立ち回れる訳では無い。騎士でも学生でも会社役人でも同じ事。
「瑠唯君、だとしたらファーレスさんの治療方法は」
「・・はい、やはりファーレスさんがストレスを抜いて安静にするのが一番なんです。ただ、ストレスを抜くのに良い方法を大学の時の講義で聞いたことがあります」
「それは私達にも出来る事?」
「微妙ですね」
「やるしかねぇだろ・・」
矢沢先生が窓の外を眺める。きっとファーレスの家の方向だ。
「やれる方法が有るならやるしかねぇよ。人の命を預かるならこっちも代償に命を懸けるくらいの覚悟でやっと同等だ」
「はい・・その方法というのはですね、これです」
瑠唯はお茶のパックを取り出して二人に見せつけるが反応は薄い。
「・・・・あ?」
「瑠唯君?私のようなノリに目覚めた?」
「違います。このお茶っ葉のロッソフォリアから出る成分の中にストレスを抑えるリラックス効果があります。セロトニンという幸せを感じるホルモンが促されるんですよ」
”ロッソフォリア”
最初にアンが来た時に杏里が差し出したお茶である。今思えば、あの時三人がアンから許してもらったのもこのお茶の効果に救われた部分もあるのかもしれない。
「そんな画期的な茶葉が在るのか!?」
「はい、しかもこれを含ませた湿布は血流を良くする作用もあります」
「凄い!これはもうファーレスフォリアで良いんじゃないですかねぇ!?」
「んで瑠唯、このファーレスフォリアはすぐに手に入るのか?」
「・・それがこの茶葉はとても高級で希少な物ですので、製薬会社にもほとんど出回りません」
確かにかなりの高級品で診療所に置いてあるロッソフォリアも前にマリア先生がインホスでVIP患者の手術を成功させた御礼に貰ったものだ。
大会社の社長レベルからやっと少量に貰える程度の希少品を大量に仕入れるとなると、困難を極めることは容易に想像できる。
「取り敢えず、私聞いてみます!」
そういうと杏里は給湯室へと走り、パックを入れていた箱を取り出して裏に記載されていた番号に電話を掛ける。
・・・・
・・
・
しばらくすると杏里は萎れた体勢で診察室に戻って来た。
「う~ん、だめでした!」
「厳しいか!?」
「はい、商品分は既に全部加工してまい、畑も企業秘密で教えてもらえませんでした」
「んだと!てめぇ!!」
怒り狂った矢沢先生は手元にあった医療業務用電話の受話器を首を絞めるようにして思いっきり吊るし上げる。
「わぁあああっ!落ち着いてくださいよぉ、電話君は冤罪なのです!!」
企業側にとっても利益を得る義務がある。もしこの電話主が医療従事者に見せかけたスパイだったら大きな損失を被ってしまう危険性は高く、無難に相手をしないのが普通だ。
「なので、難しいんですよ・・」
「諦めてたまるかよ」
薬局へ電話を掛けるも供給元が無ければ結果は同じ。
「理論はあるのに手も足も出ないんです」
「・・くそう、こうなったら俺等で見つけんだ」
「え?」
「俺等で野生のロッソフォリアを摘み取って薬を作るしかないだろ」
正に究極の結論である。勿論言うのは簡単であるが、ただでさえ手に入りにくい希少な材料を素人が直感で見つけられるわけがない。
「う~ん・・」
・・・・・
・・・・
診察室は歯痒い沈黙に包まれる。
「あっ!」
杏里の頭上に電球が現れ、いやらしいにやけ方を見せつける。
「どうした杏里!?」
「あのぉ、どうせ方法が無いのならいちかばちか懸けてみませんか?」
二人は唾を飲んだ。




