カルテ12:カンファレンス
早速デア・サブマに戻って来た三人は、診察室に入るなり各々の役割分担を始める。瑠唯はホワイトボードを引っ張り出し、杏里は給湯室からガスコンロを持ってきてお湯を沸かし始める。矢沢先生は薬品を入れている戸棚の奥から隠していたカップラーメンを取り出して、ダンボールをひっくり返して作った簡易テーブルの上に置いた。
「さて、三分じゃ解析不能だな」
「僕は固麺の方が好きなんで二分半でお願いします」
「私は冷凍炒飯が食べたかったです」
もはや何の会合なのか?肝心の方向性を見失いそうになっていたが、矢沢先生が指揮棒の代わりに割り箸を持ち、マジックでホワイトボードに書かれた膨大なデータから必要な部分をピックアップしようとしている。
「さて、今回の件だが病状としては低酸素脳症から発展した後遺症による右手の麻痺。リハビリも帰宅許可が出た後は途中で放棄、段々に社会と距離を取って去年部屋にこもってから約一年の期間が経過」
瑠唯が目を細めながら矢沢先生の割り箸の先を喰い入る様に集中して眺める。
「リハビリが遅れると筋肉の萎縮や関節の拘縮が残って機能が十分に回復しないかもしれないですね。今回の場合も筋肉や神経の修復は困難かと・・」
拘縮:関節を動かさないために,次第に関節の動く範囲が狭くなる状態のこと。
瑠唯も学生時代から理学療法の基礎を学んだ経験がある。そもそも理学療法とは身体に障害のある人に対し、基本的動作の能力の回復を図るために様々な物理的手段を加える事をいう。
方法としては治療体操運動を行わせたり、電気療法、マッサージ、温熱など、多方向に渡る。
「確かに此処は難しい所だ。低酸素脳症のリハビリに関して、決定的な治療は未だ解明されてはいないからなぁ」
「僕が大学で学んでいた頃にも火事による一酸化炭素中毒に陥った患者さんが、低酸素脳症と火傷の治療で大学病院に運ばれてきましたね」
「その患者さんの現状は?」
瑠唯は目を瞑り、首を横に振った。
「脳障害の症状が重篤だったので、今でも意識は回復していないと思われます」
現実という概念は、常に力不足である絶望感に浸らせてくる。医学が発展したとはいえ、未知なる状態には打開策も、それに伴う臨床データも少な過ぎて人類は安心な未来には進めないでいる。
「――ファーレスさんが味わった絶望や恐怖って私達の想像じゃ計れ無いですよね・・」
俯く杏里の言葉は曖昧に濁していたリアルを呼び起こさせ、大きな課題という挑戦を叩きつけて来る。
危惧する様に人生を流れる時間というのは、感じ方によっては異常に長い。
健全であればその与えられた時間を全うに過ごせるかもしれないが、障害が生じれば日々自体が障害に変わり、様々な希望を奪い去る。
苦痛の日々はいつの間にか本人から始まり、やがては周りの人間が持つ思考までも変えてしまう。
だとしたらアンも又、自身を責め続ける被害者だ
「ちなみに矢沢先生・・」
「何だ?瑠唯」
「アンさんが最初にファーレスさんに対して風邪の診断を下した医師を訴える可能性はあるのでしょうか?」
質問に矢沢先生は手を顎元へと寄せて悩む素振りを見せた。
「アンの性格を見た感じだと訴える事は無いとは思うぞ・・。仮に訴えたとしてもこの手の裁判でアン側が勝つとは考えにくい」
「え?そうなのですか?」
「うむ、俺も法律に詳しいわけじゃないが。公式ではインフルエンザのキッドで得られる情報の正確さは約80%と言われている。絶対の可能性が含まれていない事が前提の検査である以上、もし罪になっても医者以前にキッドを造った業者が潰されるだろうな。それに厚生省からは重篤でない限り風邪と同じ扱いをするように指導が来ているから、『診断時に未だ重篤の範囲ではなかった』と言われればそこまでの話だ」
人権の尊重が重視され、訴訟問題も多くなった現代でも、一般個人の権利とは弱い物なのだ。
しかし被告側の選択肢とは異なり、患者達のこれからの暮らしに逃げ道など存在はしない。
「だとすれば、アンさんやファーレスさんがもう誰にも絶望したり、憎んだりしないように症状を緩和させる方法を見つける以外、活路は無いという事ですか!?」
瑠唯は闇雲に漠然とした理想論を語るが実際の所、其処にしか解決の道しかない。
やはり完治が難しく、長いスパンになる治療は想像以上の精神力を使うので、結果よりも過程による熱意でファーレスを感化させて和解の道を目指すのが正当な道だと三人は考えていた。
「そうだ。そして、ファーレスは専門的なリハビリは放棄したものの、自主的な筋トレなどを行っていたとすれば、まだアイツの右腕の細胞組織は生きているかもしれない」
「問題はファーレスさんがどこまで右腕を動かしているかですね」
「あぁ、まずはファーレスが入院した病院に行って情報を開示してもらう必要があるな」
「あのぉ・・」
二人の医師が可能性に胸を膨らませている隣で杏里は気まずそうに顔を覗かせる。
「何だ杏里?水を差すようなら後にしてくれ」
「あのぉ、麺が伸びてますよ」
「何っ!!!?」
矢沢先生と瑠唯が語り合っている内に三分は簡単に超えてしまい、カップラーメンの容器の中は貯水の無い枯渇したダムの様になっていた。
「杏里!何でお前はどさくさに紛れて食ってんだよ!三分経ったなら教えろよ!!」
「いやぁ、話に水を差すのも何かなぁ・・と思いまして」
「そこは差せよ!何時差すの?今でしょう!・・って、もう水っ気ねぇじゃねぇか・・」
「既に中華風麦おじやですね」
未知の食品と化してしまった元カップラーメンが簡易テーブルの上に拡がる。何事も早期発見が大事なのだ。
「く、くそう・・俺はカップラーメン一つロクに救えないというのか・・・」
「待って下さい!」
諦めそうになって机に両手を置き項垂れる矢沢先生に杏里が待ったをかけた。
「カップラーメンの命は帰って来ませんが、新たな命としてアレンジさせる方法は知っています」
「何!!?本当か!!!!?」
「はい」
そういうと杏里は要冷蔵の薬が入っている小型冷蔵庫の奥から真空パックされたご飯を取り出した。・・それにしても食材の備蓄率が高い診療所である。
「そば飯にしちゃえば良いんですよ!」
そういうと杏里は診察用ベッドの下に隠していたフライパンに火を通し、カップラーメンと御飯を炒め始めた。
本来の薬品の匂いが全て掻き消され、診察室の中は美味しそうな晩御飯の香りで包まれる。
「はい、一丁上がり!」
手をパチンと払い、フライパンから離れて医者勢の二人に託す。
「瑠唯、行け」
「はい。もしもの場合は故郷に両親にお伝えください」
簡単な話”毒見をしろ”という事である。杏里の性格上、不思議な殺傷兵器になっている可能性も決して少なくは無い。
「あのねぇ、いいから二人共、薬だと思って食べなさい!」
「はいっ、もぐ…もぐ………あれ?美味い!」
「でしょぉ!」
「確かに!美味しいですよ矢沢先生!!」
皿が無いので、瑠唯はフライパンからダイレクトに食べている。その姿を見て矢沢先生も格好で箸を伸ばす。
「取り敢えず即死効果は無いみたいだな……もぐ……もぐ……あれ?う、美味い!」
さっきまで杏里の料理を心底馬鹿にしていたはずの二人はハイエナの様にかぶりつく。
「もう二人共ゆっくり食べないと喉につまりますよ!あ、ホラ瑠唯君、口に御飯ついてる」
杏里が瑠唯の口元に付いたご飯粒を取って食べる。瑠唯にとっては故郷の母親を連想させるような素振りに少し
意外性を感じ、少しだけ彼女の母性を感じてしまってハッとする。
「…ボソ…常に意味不明で……割と子供っぽい先輩だと思っていたのに……これがギャップ萌えか…ボソ……」
「え?何か言った?」
「いえ何も・・・おいしいなぁ!!」
アットホームな空気?が流れ、張りつめていた緊迫感が和らぐ。
「例え成功法からズレタとしても、解決策は絶対にあるはずです」
杏里は先にカップラーメンを食べながらも、ちゃんと二人の話を聞いて居た。リハビリの件を比喩して上手くかけて来る。
「・・そうだな」
「・・明日からまた、策を練りましょう」
みんなが寝静まる星降る夜に、小さな診療所から干からびた麺のすする音がいつまでも聞こえていた。
・・・・・・
・・・・
・・・
・
翌日、昼休みの合間を縫って矢沢先生は手術を行ったとされる病院の特定、瑠唯と杏里は王国騎士が集う宿舎へと赴く事となった。
まずは矢沢先生だが、アンに連絡を入れて聞いた所、緊急手術先は『エレオスブルグ大学・医学部付属病院』で在った事が判った。
エレオスブルグの中心街に隣在する、この街で2番目に大きな総合病院である。患者規模として一番巨大なのはやはりインホスだが、こっちの大学病院は王家や政府関係者など国を切っての代表者が使用する事で知られている由緒正しき医療施設である。
早速矢沢先生はアポを取り、現地へと急行した。
王家の居住区と同じ地区に設置された大学病院は巨大な敷地を持ち、緑に溢れている。
小鳥のさえずる音や綺麗な花々が出迎え、ここで治療を受ければ患者さんにとっては良い環境である事を矢沢先生は肌身を持って感じる。
自動ドアが開くと巨大なエントランスに辿り着くが、不思議と消毒液の匂いが全くしない。
デア・サブマも消毒液の匂いを掻き消すように昨晩のそば飯の匂いが微かに残っていたが、全く違う。此処に拡がるのはアロマ系の落ち着く香りである。
向かい側の施設ではアニマル—セラピーのコーナーが在り、子供や高齢者がにこやかに小動物を抱きかかえていいた。
「デア・サブマともインホスともまた違った環境だな・・」
矢沢先生がキョロキョロと建物内を物色していると白衣を纏った若い医者が現れた。
「お待たせしました。僕がファーレスさんの担当を任されましたフィーレです」
「どうも・・」
瑠唯より少し大人びてはいるが、シワの無い顔立ちに緩いパーマのかかった長髪から察するにフィーレはコジャレた二十代。身長も高く細身なスタイルなので、恐らく患者さんや看護師のファンも少なくないだろう。
「此処で話すのも物騒なので、中庭へ行きましょう」
そういうとフィーレは矢沢先生を連れて傍にあったモニターで園庭の画像をタッチする。
『グィイイイーーーン』
床が平面のエスカレーターの様に動き出すが、なんとソファまでついてきた。
慣れないシステムにまだしっくりと来ていない矢沢先生だったが、ソファの心地良さを気に入ってしまったのか、かなりうずもれている。
「何か、技術の進化を感じざるを得ないな」
「此処の医療技術でしたらインホスにも引けを取らない治療を提供出来ると思いますよ」
インホスも優秀な医者と最新システムの導入により革新的な医療技術の向上を図ってきたが、喧噪も無く患者さん達が落ち着いて治療に専念出来る雰囲気作りは大学病院の方が一枚上手なのかもしれない。
「確かにな・・」
「しかし、今回は何故こちらへ?」
「そちらの患者さんだった人を、今こちらで預かってましてね」
「当院の患者さんをですか?」
「はい」
そのまま中庭へと出ると入り口と同じくらいの広大な緑が広がる。中央には噴水も備えられてマイナスイオンが非常に多く出ていて病院である事を忘れさせる。
「此処はまるで楽園だな」
「患者さんにはより良い環境で治療に専念して欲しいですからね」
「大変素晴らしい心がけだと思います」
「そう言って頂けるとやりがいがあります」
二人はそのまま噴水の近くのウッドベンチに腰掛ける。
「で、先程の話の続きですが、私はデア・サブマ診療所の矢沢と申します。今回は治療中だったファーレス・ルイス君の転院許可と診療記録の情報提供を求めに参りました」
「・・あぁ、ファーレス君ですか」
「えぇ、御家族からの許可も頂いております」
そうするとアンの実印が押された同意書を突き付けて強制圧力をかける。
「それは構いませんが・・」
「?」
楽園の中でフィーレが見せた表情は堕天使の様に曇っていた―――




