カルテ11:原因
【前回までのあらすじ】
『私、佐野杏里はデア・サブマ診療所に勤務するsexy系看護師。今日は迷える子羊を救うべく、お供の矢沢先生と研修医の瑠唯君を引き連れて第二の母親であるアン・ルイスさんのお宅に伺いました。しかし、そこに現れたのは誤診により人生を変えられ絶望したアンさんの息子、ファーレス・ルイスさんだったのです。私は最適な治療を施し、また彼に笑顔を取り戻せるのか!!?』
「杏里さん、何をぶつぶつと自分に有利なデタラメを喋ってんですか!!?」
「しかも第二の母親になったつもりも無いし・・変な娘ね!」
「しまった、私の心の声を無意識の内に発してしまった!!」
瑠唯とアンに責め立てられて頭を抱える杏里の傍で矢沢先生はファーレスと向き合っていた。
「立てるか?」
仰向けに寝転がったままのファーレスに対して矢沢先生は手を差し伸べるが本人は全く掴む気配は無い。
「ファーレスさん、冬眠中でしたからね。まだ眠り心地ですよね」
ファーレスの顔を覗きこむ杏里は微笑んだまま微動だにしない。本当は体をタオルで拭いてあげたり、体温を計って問診票を作成したりと、やりたい事はたくさんあるのだが・・。繊細な状況だけにちゃんと順を追って行動する事を意識している。表面上は素っ頓狂にも見える態度だが、実際の所はファーレスの心理状態を把握しようと水面下で彼女なりに集中している。
「……ボソ………け……」
その時、青年の唇が微かに震えたのを当然杏里は見逃さなかった。
「今、何て?ワンモア願います!」
「…てけ」
「ほえ?もうちょいエモーショナルな感じでお願いします」
「だから出てけ!!って言ってんだろうが!!!!!!」
怒号が部屋に響き渡る。ファーレスは唾が飛び出そうな勢いで叫びながら起き上がると、その場に散乱している雑誌やらガラクタを戸口の四人に向かって力一杯に投げつけてきた。
「うわわわわわ!!みなさん逃げて!!」
「ドア、ドアはどこだ!?馬鹿野郎!」
矢沢先生は先程ぶつかった事で横倒しになったドアのノブの部分を急いで握り、まるで盾の様に持ち上げた。すると残りのメンバーもその背後に周り一列に並ぶ。
『ガスガスガス—―』
ドアの向こう側では衝撃音と共に様々な破片が床に飛び散っている。
「意外にロックな野郎だな!」
「矢沢先生とは真逆な雰囲気だったのにィ」
「ああいう大人しそうな奴ほどスイッチが入るとヤバいんだよ。このままじゃ治療するどころかこっちがインホスに搬送されちまう。ひとまず撤退だ!そのまま下がってくれ!」
そういうと一番後ろの人間の足音が聞こえる。
現状として ⇐瑠唯⇐アン⇐杏里⇐矢沢<先頭>の順列で矢印に方向へとそのままの体勢で下がっている途中だ。
『ガスッ!!――』
「うおっ!」
矢沢先生の持っていたドアに何か大きな物がぶつかったのか、圧力で体勢を崩して後ろへよろめくと、そのまま階段を下りている途中だった杏里達も押されて足を踏み外す。
「「「「ぎやぁああああああああ!!!!」」」
『ゴロゴロゴロゴロ・・・・ドスン』
四人がドミノ式に階段を転げ、途中で砂煙を立てながら回転してみんなの目が×マークになってしまうという古典的な芸風で一階まで落下していった。
「痛たたた・・皆さん、裸の天使さんとか迎えに来てませんか!?」
「うぅ・・この季節にそんな輩が居たら、速攻で心療内科に突き出してやるぜ・・・」
「――あらぁ?なんか痛みも無いし、下がまふまふしてるわね」
杏里と矢沢先生が頭や体を痛そうにさすっている隣でアンはまさかの無傷だった。
何故ならアンの下にはまふまふのクッションが存在しているわけで・・。
「あれ?そう言えば、瑠唯君は?」
杏里が辺りをキョロキョロと見回すがどこにも姿が無い。大凡の予測は付くが・・。
「・・・・・・・・・・」
予測を確定させるが如く、アンの尻の下からシワの無い若々しい掌が伸びている。
「瑠唯君?」
「あら、ヤダッ!」
急いで立ち上がると下敷きになっている瑠唯を起こす。
「痛たたたた・・」
「瑠唯君、大丈夫??」
「はい、何とか・・」
「ごめんねぇ、でも坊やが居てくれなかったら私は怪我していたわ、救ってくれてありがとう」
アンは瑠唯の手を握り、厚くお礼をすると瑠唯は顔が真っ赤ッかになってしまった。
「あぁ・・こんな傷、どって事――」
「けっ、唾つけときゃ治るっての」
照れてしまった瑠唯の隣で矢沢先生が他人の家のカーペットに唾を吐く。
「あぁ、矢沢先生が焼き餅を焼いてるぅ!」
「焼いてねぇよ!」
「砂糖醤油が美味しいんですよね!」
「杏里、てめぇえ!!」
杏里は再び頬をつねられて涙を流す。
「ひべべべべ、先生今は患者さんの事を」
「おう、そうだった!」
一同は恐る恐る二階の部屋を見上げた。
「・・・・・・・・・・・・・」
先程の暴れっぷりが幻覚だったのではないか?と錯覚に陥ってしまう様な静寂に保たれた空間が広がりを見せている。
「ぬぬう?ファーレスさんは破裂した風船みたいに萎み加減ですか?」
「・・息子の様子を見てきます」
下手に刺激をしないために、アンだけが二階へと上がった直後、深刻そうにファーレスの名を叫ぶ声が聞こえて来た。
「アンさん!!?」
タダならぬ気配に急いで三人も駆け上がると、そこには呆然と立ち尽くすアンの姿が在った。その理由はすぐにわかる事になる。
「居ない・・」
瑠唯の呟きと共に矢沢先生と杏里はファーレスの部屋へと走ったが、数分・・いや数十秒前までそこに居たはずのファーレスの姿が無くなっているのだ。手分けをして窓の外やクローゼットの中を見ても一切の気配が無い。
「ちきしょうどこへ行きやがった・・」
「矢沢先生!」
廊下から呼ぶアンの声に反応した一同が視線の先を見ると、他の部屋のドアは全て開いていた筈なのに、いつの間にか一つだけ閉まっている。
「まさか・・」
『ガチャガチャ――』
「だめだ、内側からカギがかかっている」
『ドンドンドンドン――』
「おい、その中に居るのか!!?」
「・・・・・・・・・・」
矢沢先生が首を横に振るとみんな力っ気無く項垂れた。
「う~ん、また自らを封印しちゃいましたか・・」
「くそう、このままじゃ拉致が空きません。せめてドアが無くなれば・・」
「でも、一個一個体当たりしてたら体がもたねぇぞ・・」
矢沢先生の言う事も一理あると爪を噛む瑠唯に対して杏里の頭の上に浮かんだ電球が”ピカン!”と光りだした。
「ちょっと、待ってて下さい!」
すると杏里は車へと走りトランクから何やら持ち出して戻って来た。
「はい、巨大ハンマー!」
「いや、『はい』じゃねーだろ!こんな物どっから仕入れて来たんだよ!」
杏里から手渡されたのは王道のギャグ漫画にて、突っ込み役のヒロインが高確率で使用する巨大なハンマー。これを持たされた矢沢先生は、早速鮮度のある突っ込みとして杏里本人へと振り下ろそうとしていた。
「待って下さい!こんな時のためにアニメイ塔で買って来たんです!ちゃんと答えたので命だけはぁ!!」
ちなみにアニメイ塔とはエレオスブルグで放送されているアニメや同人のグッズを販売している大手サブカルチャーショップである。
「『こんな時』って、お前はいつも何を予見して買って来てるって言うんだよ!!」
「だって今日の占い師さんから言われたラッキーアイテムが『突っ込み用巨大ハンマー』だったんですもん!!」
「すげぇな占い師!!っていうか持ってんなら最初から出せよ!!」
「すいません・・なんか怒涛の展開ですっかり空気に飲まれてました。杏里もまだまだミーハーです!」
杏里が小憎たらしいテヘペロを矢沢先生に見せつけるが、彼はそれを無視してハンマーを振りかぶる。
「悪いなアンさん!このドアの修繕費はデア・サブマで付けといてくれ!」
そういうと矢沢先生は力の限りハンマーを振り下ろした。
『バキィイイイイイイイイッ』
勢いよく木片が砕け散る音と共にドアと番いが本来の場所から捥げて床に倒れ落ちるが、それはファーレスが閉じこもっている部屋では無く、残された部屋の開いているドアである。
「矢沢先生、アンタ何を!!?」
「・・・オッラァアアアア!!」
『バキィイイイイイイイイッ』
「・・・・・・・・・」
いつも面倒くさがりで気怠い雰囲気を放ち続ける矢沢先生の普段は絶対に見られないワイルドな一面に”僕はこんな人に楯突いたのか!!”と瑠唯は開いた口がふさがらない。
『バキィイイイイイイイイッ』
壊れていくドアの隣で杏里はテヘペロを解除する空気を完全に逃してしまい、誰かが現状を打破する話題を振るまでこのままの状態を維持する事にした。
『バキィイイイイイイイイッ』・・「・・・ガクブル・・」・・『バキィイイイイイイッ』・・テヘペロ・・『バキィイイイイイ』―――異様な光景は続く
同じ動作のサイクルを何回か繰り替えした時、いつの間にかドアが残された部屋はファーレスが閉じこもっている一室のみとなった。
「おい、ファーレス!聞こえるか!!?」
「・・・・・・・・・」
矢沢先生とファーレスの間には木製で厚さ5センチ程の絶対確執が存在する。しかし敢えて矢沢先生は目の前のドアには傷一つ付けてはいない。
「このドア一枚を挟んだ距離感がエレオスブルグの医療とお前の心との間に出来た溝か!?正直な所、当時その場に居なかった俺達が埋めるなんて簡単には言い切れん!」
「・・・・・・・・・」
「だけどエレオスブルグの医学界がどうであれ、俺達は自分流の医療で最善を尽くす!もしその情熱が届いた時は、お前自身も動き出せ!目の前のドアはその時までの執行猶予だ!!」
それだけ言い残すと矢沢先生はそそくさと下へ降りてしまった。これ以上この場に留まっても、今日は良い影響をもたらすのは難しいと判断した瑠唯とアンも後を追いかけて階段を下る。
「うん、タイミング逃した・・・。」
廊下には一人テヘペロの顔をしたままの杏里が取り残されてしまった・・。
・・・・・
・・・・
・・
・
一方、台所ではアンが矢沢先生と瑠唯に温かいコーヒーを御馳走して労をねぎらっている。
「ありがとうございます。温まります」
新人研修医で未だ診療経験が乏しい瑠唯にとって本日は衝撃の多い日だった。解決はしていないものの自分に成すべき課題が見えた一つの区切りとしてコーヒーを飲んで心を落ち着かせている。
「これもね矢沢先生から薦めてもらったのよ」
「へ?」
「コーヒーのカフェインには喘息の発作を抑える効果があるって聞いたわ」
「あぁ、確かに・・」
瑠唯は今一度カップの中のコーヒーを見つめた。その中に跳ね返って見える自身の顔と、昨日矢沢先生にカンファレンスを断られて苛立っていた自分の顔を重ね合わせた。
瑠唯はカンファレンスを出来ない事に苛立っていたのか?
それとも本人の中の自信の無さを見透かされて無意識の内に焦っていたのか・・。
「あの子は変わってしまったわ・・こうなってからもうすぐ一年半になる」
「それまでは騎士団で活躍されていたんですね」
「えぇ・・とは言っても、まだまだこれからの新米の枠だろうけどねぇ。昔から剣技が得意で、配属されてからは毎日活き活きしていたのに・・・」
「・・しかし何故こんな事に?」
瑠唯の真剣な眼差しにアンもコーヒーカップを手に取り、遠い眼差しで何かを思い出そうとしている。
「あの子は私と同じで喘息持ちでね。それでも体が大きくなるにつれて丈夫になって、騎士団に入る頃には殆ど喘息の症状も無いに等しい状態で安心していたのよねぇ・・」
アンはコーヒーを一口飲むとカップをテーブルに置いた。
「ある日ファーレスが『熱が出て咳も止まらない』って言いうから、近くの個人医院へ診察に連れて行ったら『風邪による喘息の悪化』と言われたの。そこでは風邪薬と咳止めを貰って安静にしてたら、急に病状は悪化して救急車でインホスへ送られたのよ。そしたらインフルエンザって言われたわ」
「となると、咳は”二次性細菌性肺炎”ですか」
”二次性細菌性肺炎”とはインフルエンザの影響で体の免疫や抵抗力が一時的に下がっている状態で細菌に負けて肺炎を起こしてしまう合併症である。
「そう。そしたら肺炎が悪化した事で気道が塞がれて、低酸素脳症を引き起こして集中治療室に運ばれて・・。あの時は生きた心地がしなかったわ」
低酸素脳症とは呼吸不全などにより体内に十分な酸素供給が出来なくなり、脳に障害をきたした病態を意味する。
「不幸中の幸いで一命は取り留めたものの意識が戻った息子の右の指には痺れが出てしまった――」
一定時間脳に酸素が行き渡らなかった場合、後遺症として体の麻痺などの神経障害や思考力の低下、最悪は意障害が残り、寝たきりの状態になってしまう場合もある。
此処までの話を聞いて二人は今日アンが来てからの事の流れを理解した。
「自宅への退院許可こそ出ても、右手は回復しきれず仕舞いよ。騎士は片方の手で馬の手綱を引き、もう他方の手で武器を持って戦うんだから戦士生命としては致命傷じゃない」
「それで、心に深い傷を負って引きこもるように・・」
「そうみたい。人って一度負い目が出来ると中々戻って来れないもんでしょ?」
世間を断絶した狭い部屋の中で、彼の心はどんどん内側へと向いて行ってしまった。
「難しい問題ですね・・」
「あれから毎日、毎日、閉ざされた部屋の中であの子が生きているか心配になるわ。このまま出てこられなくなったら・・」
二人の話を終始聞いていた矢沢先生が静かにカップを置いた。
「大丈夫だ」
「え?・・矢沢先生、本当かい?」
「あぁ。さっき俺はドアを盾代わりにして破片物をガードしたが、大量のガラクタがドアに当たった上に最後は巨大な家具がぶつかって、みんな階段から転げ落ちた。もし、あいつが片方の手でそれ等をやってのけたというのであれば、引きこもっている間も筋トレなどをしてなければ絶対にあんな力は引き出せない」
「・・それはつまり」
「ファーレスは心の奥で騎士としての社会復帰を願い続けているはずだ。だからアンさん、もしかしたら貴方は自身の喘息が遺伝した事がきっかけで今回の病状の発見が遅れたと自分を責め続けているかもしれないが、もうその考えは止めよう。そうじゃないとファーレス自体の時間や思考も昔のまま留まっちまう」
矢沢先生は口振りがガサツな割には他人の痛みに対して敏感だ。そういう意味では医師としての潜在性は高いのかもしれない。
そして、二階の廊下ではドアに背を付けて体育座りをしたまま、ファーレスの泣き声を無言で受け止める杏里の姿が在った。
(こんな時、マリア先生ならどうしたんだろう・・)
前回マギアスを海に連れて行ったのは、エレオスブルグに来たばかりの頃の杏里がマリア先生から同じ風に連れて行ってもらった事を思い出し、その時の嬉しかった気持ちを純粋に引き継いでお裾分けしたのだ。
「フフ・・」
いきなり杏里が吹き出す。何故ならそういう疑問を持てば”私じゃなくて患者さんならどういう事を望むか考えなさい”と絶対に言われると思ったからである。
「おい、杏里っ!!一回降りて来てくれ」
下の階から矢沢先生の呼ぶ声がする。
「はい!」
音無きドアに後ろ髪を引かれながらも杏里は下へ降りると、そこには既にコーヒーを飲み干した三人が立っていた。
「よし、今日の所はひとまず撤退だ」
「・・そうですか。確かにもう夜も遅いですしね、お二人も休んだ方がいいかもしれませんね!」
・・・・・
・・・・
・・
・
アンから見送られて車までたどり着いた三人は、去り際にもう一度アンの家を見渡した。
「瑠唯、これが患者さん達に訪れている現実だ。俺達の仕事はこの現実に触れ続けなければならない」
「・・はい」
「それでも、今回の件。お前も触れるか?」
「・・・・・・はい!」
家を見たまま動かない瑠唯の金髪が夜風に靡く。
彼の決意の堅さを感じた矢沢先生は車のカギを解除してドアを開けると、乗り込む前に瑠唯の背中に眼差しを向ける。
「よし、帰ったら早速カンファレンスだ」
「・・・え!!?」
驚いて振り返る瑠唯を置いて、照れ屋の矢沢先生が運転をするレンタカーはそのまま走り出した。追いてきぼりを喰らった瑠唯は内心”本当気分屋な上司の下は疲れる”とネチネチと思いながらタクシーで追いかけると、その運転の荒さに再び車酔いを起こした。
此処までの御愛読ありがとうございます!
アリアンローズの締め切り日が残り僅かですが、今作は締め切り後も続けようと思っています。決して評価の高い作品では無いのですが、折角読んで下さった皆様に少しでも楽しい時間を提供出来る様、精進して参ります。これからも何卒、温かい目でよろしくお願いします by@天照3110




