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エレオスブルグの診療所  作者: 天照
オピニオン×カンファレンス@王国騎士
11/36

カルテ9:依頼

『コポコポコポ――』


この効果音は決して接戦の末に人造人間に拳を貫通させた音では無い。応接室から紅茶の匂いと共に優しく湯気が立っている。


「はい、どうぞ♪」


杏里の言葉と共にティーカップがテーブルに置かれる。中では美しい緋色が波紋を広げていた。


「あら、いい香り。この茶葉はエレオスブルグ産のロッソフォリアね」

「はい、摘み立ての逸品です!」

「あら、貴方が摘んだの?」

「いえ、業者さんの完全加工品です」

「あ・・そう」


”言わなければ良いのにぃ”・・とアンと瑠唯は心の中で呟いたが高級ブランドだけあって高貴な味わいであることには変わりない。アンが紅茶を飲み始めたタイミングを伺って杏里もソファに腰かけた。


「そう言えば、アンさんは先程こちらからインホスの方へ搬送されたとお聞きしましたが、診察自体は割とスムーズに行われたんですか?」

「まぁ・・元々此処にだって軽い咳の症状を報告しに来ただけだからねぇ。そしたら転送されていきなり『痰を出して下さいっ!』って言われて、言う通りにしたら薬を処方されて終わりよ。それで、インホスの総務の人の車で此処まで送ってもらって来たんだから妥当な時間なんじゃないの?」


アンの言う通りインホスからデア・サブマまでは車で15分と掛からない位置関係である。朝一の混む前に行ってすぐに帰った来たのなら大体時間としては帳尻が合う。


「本当にすいませんでした!」


瑠唯は未だに目を合わせられないまま頭を下げている。先程矢沢先生に楯突いていた威勢は何処へ行ったのか?


「あんたもクドイ男だねぇ、まぁいいわ。その事も含めて矢沢先生にきっちりと話をさせてもらうわ」

「ほら、瑠唯君も冷める前に飲みなよ」


杏里の気遣いに甘えて瑠唯もカップに口をつけると少しだけ体の震えが緩和した。


「あら、アンタやっぱいい男じゃない!折角絵になる顔なんだから、そうやって毅然とした表情でどっしりと構えてなさいよ」


アンの気の利いた茶化しに軽く会釈だけすると時間の溝を埋めるようにカップに口を付け続けている。やっと空間の隙間に平穏が訪れた頃、入り口のドアが開く音がした。


「ったく、期間限定のメルツが売ってねぇって、神様が許しても矢沢は許さねぇっての」


後頭部を掻きむしりながらしゃがれた声主が応接室に入ってきた。


「杏里、お客さんか?」


油断して入った矢沢の目に飛び込んだのは有りのままの光景、この時点で大体の察しはつく。


「・・あら、矢沢先生」


目の前で紅茶を静かに飲んでいるアンを見た矢沢先生だったが、杏里から携帯で呼ばれた時は『矢沢先生にどうしてもお会いしたいというファンらしき方がお見えですよ!』と言われていたので、胸を高鳴らして入ってきた理想と現実の差分に心を滅ぼされかけていた。


「・・どうもっす」


お互い社交的な苦笑いを浮かべて向かい合うと、内心が揺れていた矢沢先生はすぐに座ってティーカップに口をつける。


「あぁ、先生それ杏里のぉー」

「お前いつからぶりっ子キャラに転身したんだ?・・あれ?何かこのカップ口付ける所からタラコの臭いすっぞ!!?」

「んなわけないじゃん!ホント最低!!」


早速”矢沢ジョーク”と呼ばれる女子ウケ最悪のブラックなネタ振りで笑いある温和な雰囲気に持っていこうと試みるが、杏里と同じ女性であるアンにとって全く笑えないイジメである。

そして有りもしない事を言われ乙女心をエグられた杏里も助け舟など出さない。瑠唯も部下としてこういう時にどうフォローを出した良いのかわからず空のティーカップを持ってひたすらに飲んでいるフリをしている。四面楚歌とはこの事である。


「いやぁ、パワハラとセクハラが相交わるパワーセクシー系紳士です」


一回会釈をしてオチを付けた所でティーカップを置くと、矢沢先生はまるで別人の様に目が真剣になる。


「えぇ・・話変わりまして、今回の件に関しましては完全に私の監督不行き届きでありまして診察の落ち度の責任の所在は私に在ります。大変申し訳ありませんでした・・当院を代表しまして此処にお詫び致します」


頭を深々と下げてアンにお詫びする背中はいつもの本人に比べてとても小さく見える。一人の人間としてのちっぽけさが滲み出した刹那は瑠唯にとっても辛い情景である事は言うまでもない。


「頭を上げなさいよ。別に何ともなかったんだからその件はもう良いんだけど、一つお願いがあってねぇ・・」


「えっ?」っといった表情は矢沢先生は歯を噛み合わせて顔を上げた。

アンはアンで歯切れが悪そうなニュアンスへと表情が切り替わっていた。その変化に気付いた矢沢先生はすぐに面を上げる。


「お願いとは?」

「実は貴方に息子を診てもらいたいのよ」

息子せがれさんというと風邪かなんかですか?」

「・・いえ、後遺症に苦しんでいてねぇ・・」

「「「・・・・・・・・・・・」」」


てっきりアンの慰謝料に関する示談話を持ち掛けられると思って構えていたが、想像していた規模の相違に応接室は静まり返った。


「瑠唯、お前!そこまでの誤診をやっちまったのか!!?」

「ち、ちお、ち・・違います!!!」


アリバイもくそも無い疑惑を付けられた瑠唯は動揺してカップがカタカタと物凄く小刻みに揺れている。


「あ、別に貴方達のミスじゃないわよ!息子の診察は別の所でやってもらったんだけど、誤診を受けた後遺症で右腕が思い通りに動かなくなっちゃったのよ」

「肢体の一部となれば深刻ですなぁ・・」


他人事とは言えない隣り合わせの環境に一瞬空気が凍りついた。


「そこで、矢沢先生ならよく私の様子を見に直接来てくれるし、その熱心さに惹かれてねぇ・・折角の良い機会だったから頼みたかったのよ」


矢沢先生は自分の担当患者の家に赴いては、よく訪問診察を行う。本人も決して暇ではないので不定期なのだが、患者さんのわずかな変化をも取りこぼさないように挨拶がてら時間を割いて周り続けるているのだ。


アンの場合も以前に持病である喘息の発作をこじらせた時に診察したのをきっかけに訪問診療を行う事となった。症状は普段は落ち着いているが天候や季節によって気圧が変化すると肺や気管支に影響を及ぼすので、カレンダーと天気予報を見て時期的にアンの発作を気にかけていたのだ。


ちなみに瑠唯が診断を下した結核は結核菌という個体感染によるものなので咳や痰が出る症状は似ているが、アレルギーやストレスが引き金になりやすい気管支喘息とは根本的に発症理由も改善策も異なる。


「それで、頼むって何をですか?」

「息子の腕を見て欲しいの」

「それは…我々で治せという事ですか?」

「誰もそこまでは言ってないわ。ただ、矢沢先生に診断を下してもらわない限りはこっちもまだ納得がいかないのよ」


信頼の深さを感じた矢沢先生は自分の行為が患者様本人から認められていたという嬉しさに目がキラリと光った。


「ほう、それが出来るのは世界で矢沢一人という事ですか?」

「んまぁ、そういう事になるのかしらね?」

「おっし!!!」


逆境からの逆転劇にヒートアップした矢沢先生は勢いよく立ち上がると首を縦に振る。


「まず、我々で出来る限りのことはしてみましょう」

「おお、本当かい!?」


目を輝かせて矢沢先生にすがるアンだが、冷静に話を聞いていた瑠唯は目を細める。


「我々?我では無く?」

「なるほど!瑠唯君、これは誠意に応える良い機会だよ!」


すかさず杏里もテーブルから身を乗り出してグッドポーズを見せた。


「しかし、アンさん。僕も加わって良いんですか?」

「私ぁ、矢沢先生がスタッフとして必要と言うなら何も言わないさ」

「・・矢沢先生」


不安そうな瑠唯の表情を余所に矢沢先生が腕を組み、静かに瞼を閉じる。


「・・・まぁ、診療所での診察が本業である以上、どちらかが残らなくてはならないから一緒に行くわけにはいかないが・・」


という事は逆に言えば単独であれば、訪問診療を行っても良いという事を意味する。


「あ、ありがとうございます!」

「何だかんだ言って優しいんだから!」


お辞儀する瑠唯の隣で杏里は立ちながら、お茶を一口飲む矢沢先生の肩を自身の肘で突きまくった。


「おい、杏里止めろ!こぼれてるよ!高級茶葉がマットにこぼれて高級マットになってるよ!!!」


本日初の団欒とした空気が部屋を明るくした。しかし、ここで覚えておきたいのは決して本件が解決した訳では無く、むしろ此処から始まるという事実だ。


「善は急げですね☆」


杏里はせっせとティーセットをしまい、白衣の上に灰色のカーディガンを羽織る。


「さて、それでは行きましょーうっ!」

「杏里・・お前は留守番だ」

「え?」


矢沢先生の制止にまるで青天の霹靂を喰らったかの様に目をパチクリさせる。


「診療所は看護師が作業補助してくれないと成り立たないだろうが!お前はここで留守番だ」

「えぇー!!?そりゃあ無いっすよ御師匠さまぁー」

「こんなフランクな弟子が居てたまるか。大人しく瑠唯と残ってろ!」

「ちぇ、この日のためにカーディガン新調してきたのに・・」


余談だが杏里は昨日も一昨日もこのカーディガンを着ている。


「あぁん?だったらみんなで夜に来る?別に緊急ってわけでもないからそっちの方がアンタ等も都合良いでしょ?」


アンの気前の良い話に皆、悟りから開けた僧の様に清々しい顔立ちになった。


「僕は今晩空いてます」

「俺も、大丈夫だ」

「あぁ、私は――」

「じゃあデア・サブマ組はお言葉に甘えて今晩アンの家へ訪問診療させてもらうとしよう」


――矢沢先生の打ち出した瞬間的なフロチャート


 「あぁ、私は予定が有るので」

⇒「あぁ、私は超絶的に空いているので」


・・・・・・・

・・・・

・・

訪問診察の約束を取り付けて一旦アンを家に返した後、三人は診察室へ移り円陣を組んだ。


「さて、冷静になった今、一体全体これは偉い事になりましたね!」

「『一体変態・・エロい事になった』!!?ぼ・・僕はその様な乱れた俗世には惑わされません!」

「お前なぁ・・んなベタな間違え方あるかよ!」

「瑠唯君可愛いね!」


「ぺッ――」


唾を吐いて円陣を解除した矢沢先生は明らかにショタイズムが苦手である。なよなよした男など男に在らずというエレオス男児精神を持ってい居る事を以前マリア先生にぼやいた所、医学的な観点から追求した性の論理を徹夜で語られ耳にタコが出来た経験がある。


「話は戻ってだな・・もう、後には引けねぇ・・なんせ、訴えられるよりは遥かにマシだろう!」


そう言われれば、残りのメンバー達も頷かずにはいられない。


「取り敢えずは朝の業務だ!まずはそれを済ませてからだな」

「よし!今日も省エネ診療開始ですね!」


――――晩の特別診療へ向けてはりきる杏里の改造サンダルの音が院内に響いた



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