その3
「家を建てようと思っているのだけれど」と、おれは婆さんのご機嫌を取るため吸いもしないマイルドセブンを一カートン買い、それからそんな事は考えた事もない嘘を言った。老婆の白濁した目はおれの後方二メートルの空間を見つめていた。「そこの宅地はおれの勤め先に近いし、小学校も近い。それにおれの好きな海にも近い。好都度だ・・・
でも、あそこには一軒しか家が建っていない。もし、あそこに家を建てたらたった一軒のご近所になるけれど・・・。」
「あの西洋の家かい?」と、婆さんがおれの話に乗ってきた。案の定、婆さんは話に飢えていた。
「そうだ」と、おれは言った。
「あの爺さんは」と、婆さんが言った。どう見ても婆さんは×淵○氏より二廻りは年上で、×淵○氏本人が聞いたら気を悪くしそうだ。「元中学校長で、前のD市の教育長だった」
「そんな事は知っている」という言葉をおれは飲み込んだ。
だが、本当に物事が上手くいく時は上手くいく物だ。ばあさんはおれが何も聞かなくても、おれの知りたい情報を教えてくれた。
「あの爺さんは元は本等々力町の小さな家に住んでいが、あそこが宅地として売り出されると“いの一番”に土地を買い西洋の家を建て始めた。きっと、校長を止めた時と、教育長を止めた時に退職金をたっぷり貰ったのだろう」
そう言った婆さんは、面白くなさそうだった。
「でも、良い事は続かない。家を建てる最中に奥さん・・・。奥さんは、あの爺さんには勿体ないくらい良い人だったけれど、交通事故であっさり死んでしまった。それもひき逃げで、まだ犯人は捕まっていない・・・。
途端、今まで一緒に住んでいた息子夫婦が孫を連れて家を出て行った。
あの爺さんは偏屈だから、若い者には我慢できなくなったのだろうね。分かるよ、その気持ち。
それ以来、息子夫婦は見かけないね!他に娘さんが一人いるけれど、このところ全然見かけない。
そんな訳で、あの爺さんあんな大きな西洋の新築の家に哀れ独り暮らしさ・・・」
婆さんは一気にそこまで喋り、嬉しそうに笑った。
“他人の不幸は蜜の味”と言うことらしい・・・。
「あそこに家を建てたらタバコを買いに来るよ」と、あり得ない事をおれはまた言った。
「期待しているよ」と、婆さんが言ったが視線はおれのいる所とは全く別の所にあった。
もし、警察が殺人の後、この婆さんのところに警察が来たとしても何も情報を手に入れられないだろう。
殺人を犯し逃げ切るためには、目撃者をださない事だ。
おれが婆さんのタバコ屋を出ると、外は激しい雨が降っていた。
これでは、×淵○氏はもう家の中に入っていて今日はもう出て来ないだろう。
もともと、今日は×淵○氏を殺すつもりはなかったし、おれは旨い物は後で食べるタイプで今日のところはボロ家に帰る事にした。
しかし、時間は午後三時をわずかに回ったところだった。“これから夕方まで、どうしよう?”と思ったとき、ふとそのモデル・ハウスが目に入った。
ここで夕方まで、時間を潰そうとおれは思った。




