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第2章 ある村にて2

 夜中であるというのに、村の中は古めかしい街灯の明かりのおかげでうっすらと明かるい。ノアがクークーと寝息を立てた頃合いを見計らって、音を立てないように慎重に宿を抜け出した。

 ちらほらと行き交う人々は皆背をぐにゃりと丸めて、視線が合わないようにすれ違う。目深に帽子やフードを被っている者もいる。怪しさだけならば、すれ違う者全員及第点といったところだ。

 「兄ちゃん兄ちゃん」嗄れた声で呼び止められる。

 「見たところ傭兵かい? 依頼主に何か頼まれたのか、それとも武器の仕入れかな。どちらにせよ、今日はあんまりいい日じゃないよ」

 店主と同じことを言う。「と言うと」

 中年の男はヒッヒッと高い笑い声を上げる。

 「今日は奴隷の競売日。あんたが依頼主に奴隷を買ってくるように言われたのでなければ引き返しな。あそこは金持ちか色欲魔の息のかかったやつでごった返してる。品物見たいなら明後日にしな。明日は引き渡しの日だからね」

 男を横目で見ると、その胸元に銀色のピンズが光っていた。重なり合った二本の鎖を連想させるデザインに、目を細める。一歩踏み出せば、また嗄れた声に呼び止められた。

 「それ以上先に行くなら顔くらい隠しな。規定外取引なんだからね」

 「忠告感謝する」

 そっけなく別れの挨拶を済まし、そのまま裏路地へと回り込んだ。適当な場所から屋根の上へと攀じ登り慎重に歩を進める。悪戯に家屋を揺らして住民の安眠を妨害するのは本意ではない。

 上から見渡せば、広場へと人が流れていくのがわかる。闇取引とは路地裏などでひっそりと行うようなもであるとのことだったが、今宵のはそういうものでもないらしい。

 懐疑心を抱きながら屋根伝いに近づく。広場には昼間のように出店がいくつも出ていた。並べられているのは邪魔にならなそうな、小さなサイズの装飾品や小物の類。生物や嵩張りそうな防具などは見当たらない。

 客と思しき人間は、出店の前で立ち止まると薄いコインのようなものを店主に渡していた。渡す量は人それぞれで、より多くのコインを渡した者は小さな紙切れを受け取って四方に散っていき、適当な家の中に消えていく。そこで奴隷を値踏みしているのかもしれない。

 「愚かだな」

 誰へともなく呟く。昔から人というのは生き物を平気で商売道具にしてきた。そしてそれは、勇者が自分を下した後の世においても是正されずに蔓延っている。

 魔王がいなくなって、世の中が正しい方向へと進むのだと、この国の辺境でそうひとりでに納得していたが、まるで何も変わっていないようである。強いていえば、強い魔物が消えた程度の変化はあった。だが、その代わりにもっと厄介な化け物がのさばっているようにエノクの双眸には映る。

 (愚問か)

 目下の光景が答えだ。それをわざわざ考えても意味はない。宿に戻るため再び屋根の上を駆ける。その最中、何やら騒がしい足音が聞こえてきた。陰気な商談の声もない静かな夜の村のどこかで、バタバタと逃げ回るような音に、ガチャガチャと重なる金属音。足の向きが変わる。

 街灯の明かりの下、裸の少年らしき影が、お揃いのベストを身につけた二人の男から追われていた。少年の方が幾分か足は早い。

 「クソ、このままじゃ逃げられちまう」

 「いんや、この先は角だ。お前はこのまま追いかけろ。俺は右曲がって挟み撃ちにする!」

 おう、と二人は一致団結して別れた。少年の走った先には家が立ち並び、右への道しか開かれていない。

 「……」

 エノクは僅かに思案した後、また屋根を伝って闇に紛れた。


 はあはあと息が切れる。裸の足の裏にはこれでもかと石が突き刺さり、血が点々とと街路に模様を打っていた。それでも痛みを堪えて只管走る。

 頭の中ではどうして、なんでの繰り返し。

 気づいた時には素っ裸で地面に横たわっていた。

 程なくして荷車が通りかかったと思ったら、あっという間に捕えられ、商品の仲間入り。手と足には枷が嵌められた。抵抗したが、流石に大の男数人を相手に勝てる訳もなかった。

 他の奴隷たちは意気消沈としていた。何も感じていないようだった。人形のようにただ奴らに嬲られるままで、それがどうしても許せなかった。なのに手足は届かない。卑下た笑みを浮かべる油っぽい顔を殴ることすら叶わない自分に歯軋りする。

 いつもはそれだけだった。

 歯を食いしばって睨みつけるだけ。だが、今日に限っては違った。

 本能が何かを訴えていた。今日と言う日に何かが怒ると。こういうのを予感と言うのかもしれない。

 年増の女が若くて外見の良い男を欲しがっているとか何とか言って、その商品として自分がお勧めされる。手枷と足枷が、支柱から外される。今を逃すわけにいかないと思った。

 力いっぱいにヤクザな男に体当たりして、少年はそのまま、どこともわからない建物を飛び出した。二人が慌てて追いかけてくる。

 逃げないといけない。逃げる当てもないけれど、どこかへ逃げないといけない。

 不確定な予感だけで直走る。何度か道を曲がったところで、一本道に入ったらしいことに気付く。

 ダメかもしれない。そう思った時、不意に顔が空を仰いだ。鋭いけれど、どこか凪いだ瞳が真っ直ぐこちらを見下ろしていた。どこか驚いたようなその表情に、疑問を抱く余裕などない。

 息も絶え絶えな中、唇が縋るように形を作る。声など出なかった。それでも、おそらく届いたものがあったのだろう。

 浅黒い大きな手が伸びてくる。

 少年は一秒にも満たない思案の末にその手を取った。

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