第十七章 王都にて2
ワイワイ、ガヤガヤ、いつもは静かな王都が俄かに浮き足立っていた。
その中心は艶やかなドレスに袖を通した淑女。そして隣にはきっちりとした格好の紳士。
突然開かれることとなったにも関わらずオーバル曲芸団の人気は凄まじく、国最大の円形劇場はあっという間に席が埋まっていく。まるで王都にいる全ての紳士淑女を招かんばかりの客寄せに自然と足がそちらへ向かう。
「ああ、そうだ。幕開けの役割は私の役目なんだ。だからそれまでは陰で息を潜めていてくれたまえ」
数時間前のオーバルの言葉。彼女は今、アメジストのような長髪を、白と黄色の燕尾服の上にはためかせ、一人、丸い舞台でヒールの音を鳴らす。
カツ、カツ、カツ
もったいぶったかのような緩慢な動きに、人々の視線が集中する。娯楽に飢えたその瞳、まさに猛禽のそれである。
しかし、そんな獰猛な熱意を受けたとしても、この道化は怯まない。寧ろ心が昂って、酩酊したようにクラクラする。
撫でるように赤い唇を人差し指でなぞった。
今は亡き故郷で始まった、小さな憧れからの信仰。あの時聞いた、信託にも近しい最後の小節。
その幕を上げるのはまさしくこの自分。
スポットライトが彼女を照らす。顔を上げ、両手を天に掲げる。伏せていたまつ毛が上がる。妖艶な紫紺の瞳が輝いた。
「レディース・エン・ジェントルメーン!!」
さあ幕開けである。たった一夜限りの緊急のショー。今宵紡がれるは、百年越しの物語の続き。勇者の伝説などとは比べ物にならない蛇足の物語。しかし、それこそがエンディングに連なる最後の章。
彼女の声に被せるように、遠くから狼の咆哮が響いた。
明るいライトの光を覆い隠すように、絹のような雨がシンと振り始める。
「驚いた。それは本当なんですか?」
テオを先頭に、エノクたちが歩いているのは、上下左右を灰色で塗り固めたような地下通路。灯りもついていないものだから、先頭のテオが松明を掲げて周囲を照らす。長方形の筒をどこまでもつなげたような簡素なそれは、日頃から使われているものではなく、緊急時に城の者が逃げられるように作られたものらしい。出入り口は全部で五つ。街の中の適当なマンホールの下に繋がっているのが二つ。外壁に繋がっているのが一つ。城の裏手に繋がっているのが一つ。そして、正門の真下の桟橋に繋がっているのが一つ。
なぜそのような秘密の通路をテオが知っていたかというと、理由は実に単純である。リベルタが騎士の名家だからだ。秘匿とされるべき内情も親族間ではやや緩くなるというのは名家であっても同じであった。
「では、クロノスの付近で魔物を見たという証言はどれも嘘……」
「嘘とは言えんじゃろう。やつらは本当に魔物を見たんじゃろうからな。しかし、それは全部幻惑よ」
「あの狼。普通の狼ではないと思っていましたが、まさかそれほどの魔力を持っていたとは」
「狼じゃないです。ガレアスです」
「あ、ああ。すみませんお嬢さん」
小さな少女に訂正されてテオは僅かに狼狽える。
しばらくやり取りをしていて気づいたこと。それは、テオはどうやらノアに強く出られないらしいということであった。それは小さい子の扱いがわからないというよりは、彼女の前だと萎縮してしまうというように側からは見えた。
(リベルタはオーバルの村に遊びに行っていたと話していたが、だとすればもしや――)
エノクがひとりでに逡巡していると、あの、と申し訳なさそうにアオノがエノクに声をかける。
「エノクさんは、災禍の化身を倒すつもりですか」
真剣な、それでいてどこか怯えたように青い瞳が彼を見上げる。
「倒す」答えは簡潔だった。
「あれは本来、私と共に消えなくてはいけなかったものだ。であらば、やつの体だった者として、引導を渡さねばなるまい」
「でも災禍の化身を倒すには、剪定の剣が必要なんでしょう?」
勇者の伝説では、剪定の剣に選ばれた勇者が、それを使って魔王を倒したとあった。しかし、実際に倒すべきだったのが、魔王ではなく災禍の化身であったとすれば、剪定の剣の本来の役割とは災禍の化身を倒すこと。しかし、その剣の行方はわからない。
「いや」アオノの仮説はにべもなく否定された。
「あの剣が災禍の化身へ抵抗する力であることは確かだろう。だが、それがなくては倒せないというわけではないはずだ」
「え?」
「災禍の化身が、明確な形のないだけの精霊だ。仮にあれがまた体を得ていたとすれば、その体を殺してしまえば、体を扱っていた化身もただでは済まない。最悪道連れ。運が良く生き延びたとしても瀕死の状態まで追い込まれるはずだ。正体不明の怪物でないのなら勝機はある」
あくまで冷静に、淡々とエノクは告げる。彼も確証を得ているわけではないのだろう。しかし、そうだと認めてしまうほど、堂々とした語り口であった。
だが、もし本当に勝機があるのだとすれば、あの伝説における剪定の剣にはどういう意味があるのだろうか。
「アオノ」
「は、はい!」
「私にもしものことがあったら、ノアを頼む」
「……は?」
正面を向いたまま、彼の視線だけがアオノのそれと交わる。不穏な言葉とは裏腹に、瑠璃色の瞳はひどく凪いでいた。
「あっちにもそう話している」
「……」
重たい沈黙が下りる。彼は頷くことも首を横に振ることもできないまま、視線を落とした。
「もうすぐ城の中に侵入します」
昏い思考の海に沈みゆく意識はテオの声で一気に引き上げられる。
「僕がついていけるのはここまで。騎士としては、あまりこういうことは言うべきではないのでしょうが」
こほん、と小さく咳払いをしてテオは真っ直ぐエノクたちを見据える。
「ご武運を」




