第十五章 奇縁にて1
リベルタ領から離れて早二日が経っていた。人の往来を横目に、シャヴァラは唸る。
「ここらが王都までの折り返しかのう。いい加減、先回しにしていたことについて議論する必要が出てきたわい」
先回しにしていたこととは、もちろん王都に如何にして潜入するかである。適当な旅商人を捕まえて、荷車に乗せてもらえれば御の字だが。
「問題はエノクじゃな。そんな大きな体、捩じ込んだだけで荷車がいっぱいになってしまう」
「私一人なら、外壁程度乗り越えられる」
「馬鹿を言え。あそこは年中無休で見張りがいるのじゃ。飛び越えられたところで騒ぎになるじゃろうが」
城に潜入するまでは、できる限り穏便にことを済ませたい。でなければ事情を察知した影の者が国王共々トンズラしてしまう恐れがある。
「でも、エノクさんが大きいのは事実ですし、協力してもらうにしても、それなりに大きな荷車を引いている人を捕まえなきゃ行けないですよね」
「ガレアスが雨を降らせればいいんじゃないのですか?」
ノアがガレアスの頭を撫でながら言う。返事の代わりに銀の腕輪がカランと鳴る。
「見晴らしの良い荒野と違って王都は建物しかないからのう。全員漏れなく洗脳するのは難しいだろうし、お抱えの魔術師なんぞに手の内を明かされたらそれこそ大変なことになるだろうよ」
ガレアスの雨降らしの力と室内戦はやや相性が悪い。室内に雲を浮かべることはできなくはないのだろうが、全ての建物内は流石に無理がある。
「となると、やはり協力者を見つけて潜入するのが関の山ですね」
「問題は大した駄賃もなしにこんな怪しい集団に協力してくれる奇特なやつがいるかという話じゃ。ヘマすれば一緒にお縄じゃからなあ」
商人なんて損得勘定に脳を支配されている輩がそんなリスキーな取引に乗ってくれるとは思えない。
「……この先にもう一つ街があるだろう。確か名はヴィヴィアンだったか。そこに寄ってから考えればいい」
「ヴィヴィアンって、旅芸人がいっぱいいるって言ってた?」
ノアの大きな瞳が爛爛と輝く。どうやら興味があるらしい。
「うむぅ。孫娘も乗り気なら寄ってみるだけ寄ってみるか。何か良い伝が手に入るかもしれんしな」
こうして進路がやや東側に曲がり、日が暮れる直前に、ヴィヴィアンの門を潜った。
ヴィヴィアンの街を一言で表すなら、派手である。
比較的質素なクリーム色の門の先に広がるのは、花の模様が描かれているタイル張りの広場だけならば、どこか長閑な雰囲気のある街だと言う印象に落ち着くだろう。しかし、その上にはたくさんのカラフルなテントや出店がひしめき合い、いずれも羽やら風船やらビジューやらで飾り立てている。
少し開けた場所があれば、紫と黄色の派手な衣装で大きな白い手を振るピエロや、派手な蝶ネクタイと縦に長い円柱のハットを被ったマジシャンが芸を披露する。ふらりと歩く人々は、気になった芸人の前で足を止め、手を叩いたり口笛を吹いて場を盛り上げる。
街丸ごとが一つの舞台の上であるかのように、全てが現実から離れた世界、それがヴィヴィアンという街であった。
「これはこれは。百年前に比べて随分と騒がしくなったもんじゃ」
感慨深げにシャヴァラが顎を摩る。
「おばちゃまはここに来たことがあるんですか?」
「ああ。仲間の一人に曲芸団の一員がおってのう。そやつに会ったのがこの街なんじゃよ」
「珍妙な格好をした人がこんなにいっぱいいるなんて、すごいですね」
普段は否が応でも目立ってしまうエノクやガレアスもここでなら寧ろ地味な分類に入る。そのくらいには非現実的な人が多い。
「本当に、すごい場所です!」
呆気に取られているアオノとは反対に、ノアは目をキラキラと煌めかせていた。物珍しい光景に心を躍らせているらしい。
「人は確かに多いが。この中から王都への潜入に力を貸してくれる者となるとかなり限られるな」
確かに芸人は多いし、テントや出店も今までの街の比ではないだろう。しかし、どれも小さい団体、あるいは個人が多い。こぢんまりとしているということは、大きな荷車を必要とするような者もそう多くはあるまい。
「じゃな。だが、限られているだけでないわけじゃない。ほれ、あの大きなテントなど、いかにも名の知れた曲芸団じゃろ」
細い指が示した先を見上げれば、一際大きなドーム形のテントが顔を覗かせていた。ビビッドカラーの布をツギハギに縫い合わせたようなそれは、天っぺんからやや左右に逸れたところにくまの耳のような丸い球体がついている。片方は青、片方はピンクを正面に向けているが、側面には別の色が主張していることからこの球体もまたツギハギであることは想像に難くない。
真正面には丸い円盤に四つの穴。その四つ穴を十字に糸が結んでいる。円盤の間には三角の頂点を下にした形の赤い鼻らしき部位。
「あれは、熊ですかね?」
ファンシーな熊は大口を開けて芸を観にくる人たちを迎え入れいている。
「この街の大きさに対してあれだけ大きなテントをこさえておるのじゃ。行ってみるかえ」
「それなりに大きなところと話をつけなくちゃ行けないのはわかりますけど、あそこまで大きいと話聞いてもらう以前の問題な気がするんですが」
「いんや。ああいうのほど付け入る隙があったりするもんじゃよ。なあエノク?」
名指しされた当人は無言で返した。足元にはヘッヘと舌を出してキョロキョロと落ち着きなく首を動かしているガレアスがタイルにお尻をつけていた。
「あの大きいの、見られるんですか!?」
ノアが嬉々とした声を上げれば、行き先は決まったようなものであった。
それは正しく一夜限りの夢の舞台。同じ演目、同じ技。しかし一度として全く同じなどあり得ない。
少しのコンディションが芸のキレを左右する。口の滑りもまた然り。
「レディース・エン・ジェントルメーン!!」
天を仰ぐように大きく手を広げて、開幕の合図を声高らかに宣言する。この瞬間の高揚感。神が人間の前なんぞに姿を現し大仰にその望みを叶え、罰を与え、高らかに歌うのはまさにこんな高揚感を得るためではないだろうか。そんなことを女はいつも考える。
濃い紫色の長髪を高く結い上げ、金に惜しめをつけないで用いる照明に照らされれば、まるでアメジストのように輝く。それだけで観客は彼女に釘付けになる。
「今宵の皆様は運が良い!! なぜって? それは本日は新衣装のお披露目でもあるからです! 今までの公演を見たことがある方にとってはさらなる感動を、ない方にとっては初めてとなる躍動をお届けいたします!! そう! 貴方方の心の高鳴りを、私共の崇高なる主に誓いましょうっ!!!」
割れんばかりの拍手。黄色い歓声。そして沸き立つ熱、熱、熱。
ニンマリ、と女は真っ赤な唇の端を上げた。
一人、また一人と足取り軽く観客が去っていく。それに混じってエノクたちも熊の口から会場を後にした。
「すごかったですね、お兄ちゃん!」
「うん。とても人の技とは思えなかった。時にあのブランコを行き来するやつ。上手く掴めなかったら真っ逆さまなのに、よくできるよね」
「火を吹く人もすごかったですよ! だって一度炎を口の中に閉まってたもん。熱くないのでしょうか?」
「童が年相応の反応をしとるなぁ」
孫たちの健全な反応にうんうんと頷く。エノクはペットは入れないと言われたことから、リアルなぬいぐるみになりきっていたガレアスを地面に下ろしてやりながら尋ねる。
「確かに芸はどれも見事だったが、隙とやらは見つかったのか」
「それらしいものは見つからなかったな」
それでは結局本題は何も進んでいないということではないか。よもやノアと同じように興味があったから見たかった、などと言うつもりではあるまい。
「じゃが、あやつらはおそらく話がわかるタイプじゃよ。お主もそう思ったじゃろ」
含みのある言い方に素直に首肯する。
曲芸の前口上で声高らかに舞台上の人物は言っていた「主に誓う」と。その言い回しは一般的には神を意味するものだ。仮に国王に誓うのであれば、「陛下に誓う」とでも言うだろう。
そのことからも、少なくとも、門前払いされることはないのではないかという憶測はエノクも得ていた。
「それに、収穫らしい収穫はなかったが、個人的には面白い巡り合わせを拾ってしまったのう」
「……」
興味がないとでも言いたげな冷ややかな視線を受け流す。「お主は知らんじゃろうがな」口を開く。
「ガレナス曲芸団といえば、あの犬コロが気に入っていた場所じゃよ。時折役目をサボっては、あそこのやつらに可愛がられていた」
僅かに、エノクの瞼を持ち上がる。
大盛況、大盛況。
男性は心の中で大きな拍手を繰り返し、我ながら良い仕事をしたと自画自賛する。
オーバル旅芸団の公演を見たのは一回や二回ではないが、やはり自分が仕立てた服を身に纏った団員たちが宙を舞い、地を闊歩する様は心に来るものがある。
特に座長のオーバルはやはり花形だ。顔もスタイルも超一流。久しぶりに感動してしまった。そう、あの訳ありな背が高い旦那たち以来だ。
「ん?」
あの人たちは今頃どこで何をしているのか、などと考えていると、不意に視界の奥。テントから出てきた観客の川の流れの中に、明らかに吐出した背丈の、黒い長髪の男性の後ろ姿が飛び込んでくる。
「だ――」
確信を得る前に飛び出た声は、しかし、自分の肩をポンと叩いた手によって制止させられる。
誰だよ、と不機嫌そうに眉を顰めて振り返れば、にっこりと口の端を持ち上げた、中性的な顔。両手には腕よりも長い酒瓶。
周囲が俄かに浮き足立っていることに、男は漸く気が付いた。




