第十四章 リベルタ領にて3
夜が明ける少し前、目覚めたテオは自分が地面に突っ伏していることに気づいた。あのまま意識を手放したのか。これでは殺されたとしても文句は言えない。そう、殺されたとしても文句は言えなかったのだ。
(生きているのか)
体がギシギシと痛む。握力は女の子のそれよりもか細く、体の節々は関節を無理やりツギハギに嵌めてしまったかのように鈍い痛みが伝播する。
剣を指に引っ掛けて、大樹の根本にしなだれる。冷たい夜風が吹き荒び、体の熱を強引に奪っていった。
足音が近づいてきた。ざっざと引きずるようなそれに顔を向けると、茶髪の青年が立っていた。その姿にはどこか既視感があるのだが、傷心と体の痛みのせいで上手く記憶が繋がらない。
青年は愛想の良い笑みを口に浮かべていた。「隣いいですか?」なんて気さくに話しかけてくるものだから、つい頷いてしまう。
(あっ、魔物の人と一緒にいた子か)
もっと他に何かある気もするのだが、それ以上は思い出せない。それに、思考しようにも彼が口を開いてしまったものだから、中断せざるを得ない。
「あなたは騎士なんですよね」
藪から棒に尋ねられ、顔を顰める。今はその手の話題に触れたくはないが否定も無言も見苦しいと感じられてしまうだろう。「そうだが」
「どうして騎士になったんですか?」
そんなことを知ってどうするというのだろう。訝しがる心とは反対に、口はまるで糸で操られているかのように訥々と言葉を紡ぎ出す。
「僕の家は代々騎士の家系だった。僕の父も、祖父も、おそらくは曽祖父もそうだ」
「必然的にそうなった、ということですか?」
「……いいや。違う。確かに仮に僕に騎士になる気がなかったとしてもそうなっていたとは思うけど、僕は、騎士になりたかった。憧れていたんだ、父と祖父に」
勇者の仲間として伝説となった祖父に、祖父亡き後、若くしてリベルタ領を引っ張り守り続けた父。どちらもテオにとっては忖度のない英雄同士である。
「それに」静かな声が言い淀むように詭弁を漏らす。ややあって、口が動いた。「好きなんだ」
「僕は、このリベルタという場所や、ここの領民が好きだ。だから守るために騎士になった」
アオノは小さく息を呑む。はにかみながらそう語る彼はまるで、子どもが途方もなく大きな夢を語るそれに似ている。無邪気というか、純粋というか。
(なら、ああも取り乱すわけか)
無邪気に、純粋に騎士に憧れを抱き、騎士という仕事に誇りを抱いていた人だ。そんな人がその腐敗を知ったとして、すぐに受け入れられるだろうか。脳では理解できるかもしれないが、だからああそうなんだと素直に失望できるだろうか。
おそらく彼はできなかったのだ。だから、祖父の敵であった魔物を悪だという定義や、騎士とは誇り高いものであるという支柱を必死に守ろうとした。そうすることで自分の中の不信感を払拭しようとしていたのだ。
しかし、それはエノクの言葉で瓦解してしまったという事実までは、アオノは辿り着けない。
「今も、あなたは騎士であり続けたいと思うのですか?」
エノクとの戦いで、彼の中で必死に守っていた何かは、確実に揺らいでいるはずだ。それでもなお、騎士であることに固執するのか。
アオノの言葉に、テオは自嘲するような笑みを浮かべた。長いまつ毛が悲しげに伏せる。
「そうだろうね」
他人事だった。
「僕は結局、それ以外になれないんだ」
テオは遠くを見やる。星が疎に光る夜空。リベルタの街は影絵のように佇んでいた。
「確かに、国は変わってしまったのかもしれない。騎士の在り方もそれに合わせて汚れてしまったかもしれない。それでも、僕が焦がれたものは騎士なんだ。騎士になりたいと心から望んで切り拓いた道だ。そう簡単にわき道に逸れられない」
自然と出てきた思いの形に、テオは時を止められたように固まる。指先に引っ掛けたままの剣を見下ろして、穏やかに微笑む。彼にしては珍しい地の笑顔であった。
(なんだ。簡単な答えじゃないか)
テオという人間は騎士以外になることができない。それは自分で選んだ道だから。憧れ人たちが踏み固めた道を彼はずっと進んでいる。だからこそ彼は例え忠誠心に亀裂が入ったとしても、退くという選択だけはない。
「すまないが、その剣を鞘に戻してくれないか。指が満足に動かないんだ」
ウラノスでの戦いを知らない彼は、そんなにひどい傷なのか、とでも言いたげな表情で、剣を鞘に戻してやる。
「君、どうして僕のところに来たのかはわからないが、そろそろ仲間のところに戻ったらどうだ?」
もうすぐ日も起きてくる。
「そうですね」
アオノが立ち上がる。のうのうと背中を見せているのは、テオが襲いかかる気も力も残っていないことを察してのことだろう。
振り返ることなく去っていく背中を見送ってから、テオもまた街の方へと足を進めた。
「遅かったの」
野宿場所から少し離れたところでシャヴァラは胡座を掻いて座していた。
「あの小僧と何を話していたのじゃ?」
「ちょっと世間話をしていただけですよ」
「いけずじゃのう」
そっけない返事に悦に浸ったかと思うと、次の瞬間にはそれが抜け落ちる。
「なあ、アオノよ。貴様が何を考えているのかは知らなんだが、無理に答えを見つける必要などないのじゃよ」
あの青年はアオノとは正反対の立場だ。
「はい。――でも、少しわかりました」
「わかった?」
アオノは穏やかに目元を和らげ、徐々に青空の色へと移り変わっていく空を仰いだ。
「俺はたぶん、とっくに答えを出していたんです」
今にも消えゆきそうなその横顔に、若い老人は静かに肩を竦める。




