幕間7
エノクたちが如何にして崖を下るかについて、少し揉めていた頃。
リベルタの領で療養中であったテオは一本の剣を握り、右に左にと空を切っていた。
本調子ではないとはいえ、剣を振る程にはなった。医者から処方された鎮痛剤を少し余分に飲んでいるせいもあるだろうが、腕が鈍らないようにするためなのだから多めに見てもらいたいところだ。
剣を振る。心を無にして。雑念を振り払って。
「――っ!」
不意に耳の奥に響く声がした。『堕ちたな』と、冷気を孕んだような声が囁く。
その瞬間、剣筋が乱れた。振り翳したそれは大きく弧を描いて、地面に突き刺さる。
(堕ちてない)
彼は誇り高き騎士である。祖父も父もそうであったように、騎士として領民を、国民を守ってきた気高き騎士の血筋を引く家の家長である。
ならばこそ、『堕ちる』などはありえない。堕ちたら騎士ではいられない。堕ちたら領民を守れない。だから、自分は『堕ちて』いない。
――本当に?
誰かが囁く。否、振り返っても、睥睨しても、そこには自分しかいない。ならばこの声なき声は誰のものか。
炎に消えてく村を見た。奴隷を明け渡さない非協力的な村だから、燃やされたのだと同僚の一人が教えてくれた。
いいや違うと否定する者はいなかった。その理由はおかしいと。
テオはその村に馴染みがあった。別荘を持っていたのだ。牧歌的で冬を明けた頃合いには美しい花々が幻想的に咲き乱れる村である。
テオは知っていた。あの村には奴隷などいない。畑作と良馬が有名ではあるが、その仕事に奴隷を使っているはずがない。なにせ取引先は固定されているのだ。それに人手が不足しているのであれば、こちらで路頭に迷っている者を手伝いに行かせているのだから。
美しい村に小さな教会があった。かつて聖女様が旅の途中で友人に頼み込まれたて作ったと言う即席の教会。その庭には、やや不恰好な夫婦らしき男女の石像が微笑みを浮かべていた。
「お祖父様」
型破りな騎士。勇者の師範と名高いご先祖様。
「僕は一体――」
「精が出ているな」
不意に背後から声がした。低い女性の声とも、高い男性の声ともつかないそれに反射的に顔を上げる。
「怪我をしたという話だったのに、そんな動いて大丈夫なのかい?」
「君は……」
視線が逃げるように横へと向いた。うっすらと笑みを引いた人物に合わす顔が自分にあるだろうか。
「すまなった」
ない。だから頭を下げる。中性的な顔立ちのその人物はただその姿をじっと見下ろし、はぁとわざとらしいため息を吐く。
「クソ真面目だな。あれは君がしたことではないのだろう。連帯責任ってものを感じるのは勝手だが、それで謝られても困る」
「それはそうだが」
「それに」被せるように続ける。「私より君の方がショックが大きいだろう。私はあの村に思い出はあるけど、大した思い入れはない。君はそれがある。一つの憧れの象徴だったものがあったからね」
全てを見透かされているような発言に、舌を巻く。
「今日ここに来たのは謝罪させるためじゃないよ。沈んでいる友人に発破をかけるためさ。私はすぐに皆のところに戻らなくては行けないんだから、余計な時間を取らせないでくれ」
一息で言い切ると、テオをじっと見つめる。凛とした目鼻立ちはやはり、男のようにも女のようにも見える。
「気に食わないことがあるのなら、それをはっきりさせるといい。君の尊敬するお祖父様は、そうやって時代の光明になった人だろ?」
紅を引いた唇がニッと笑みを含んだ。




