第十三章 王区にて1
次の日。
太陽が頭を持ち上げると同時に城の扉を押し開いたシャヴァラは、思いの外眩しい陽光に目を細めた。白んだ空を背にして、三人がこちらを振り返った。
「お主ら……」
出かけた言葉を飲み込み眉根を寄せていると、エノクが淡々と口火を切った。
「私も行こう。これ以上この国が腐敗していく様を見るのは、一時であれ統治者であった私には耐え難い」
それに、と一呼吸置く。
「あれに最初に抱き込まれたのは私だ。己の不手際は己で拭わなくてはなるまい」
「私は」ノアが続く。「戦いもできないし、足手纏いになってしまうとは思いますけど……」
言葉を区切り、自分の倍以上の背丈の魔物を見上げる。ひとりでに力強く頷いて。
「ついていきたいんです。私にも、何かできることがあると思うから」
漠然とした予感めいたものでしかなかったが、いつになく決意を込めた言葉が発せられる。真摯な眼差しはこの旅の中で確かな成長を見せていた。
「俺もです」
アオノが目元を和らげた。
「行きましょう」
シャヴァラの表情が複雑そうに歪む。しかしそれは一瞬で、短いため息の後、彼女は「あーあー」と言葉にならない声を発した。
「良い。そこまで馬鹿なら何も言うものか。最後まで、ワシの気晴らしに付き合え」
そう言って、呆れたように片方の口角を釣り上げると、重たい音を立てて扉が開く、「待ってくださーい」と間延びした声。
「この子も連れて行ってください。きっと役に立ちますよ」
上半身を覗かせたカリムの背後を青い毛皮が疾走し、エノクの側でブレーキをかけるように停止した。
ガレアスは勢いよく吠えると、エノクの足元をぐるりと回って、もう一度「バウ!」と訴える。尻尾はブンブンと左右を行き来し、目は爛々と光り輝いている。
「ほら、せっかく昔馴染みたちに会えたんだから、連れて行ってあげてください。この子はきっとあなたたちの行く道で力になってくれますよ」
そう言いながらメガネをくいと持ち上げる。
「それではお見送りはここまで。私はここで、あなたたちの蛇足の旅が良い結末を迎えられることを祈っていますね」
パチンと片目を瞑った。
瓦礫の破片が散乱している。いや、破片と言うにはあまりにも大ぶりか。壊れた壁の、比較的凹凸が激しくないところに腰を下ろし、カリムは去り行く背中を一人、眺めていた。
ふうと小さく息を吐く。メガネの奥の翡翠の双眼は気だるげに細められ、睥睨する。
「ばっかだなぁ」
棘を隠さない声音には、昨日の明るい女性の面影はない。
「仮に災禍の化身が王様のところにいたとして、それで自滅するのはあいつらじゃん。私たちはそれまでのらりくらり生きていればいいのにさ。真面目ですよねぇ」
どうしてわざわざ面倒事に首を突っ込むのか。元とはいえ魔物の王様と、エルフの強羅が聞いて呆れる。
魔物ならば、魔物らしく自分が生きることだけを考えて行動すればいい。善悪に振り回されるのではなく、状況の良し悪しを判断して良い方を選択すればいい。それで他人がどうにかなったとして、そこに悪意はないのだから私は悪くない。
その思想こそ魔物の本性である。だのに、あの二人と来たら、まるでやっていることが人間ではないか。
「いや、シャヴァラさんは違うかな」
あれは人のフリをしているだけで根っこは魔物に近いだろう。色々体裁はあるにしろ、結局は気に食わない奴をぶん殴りたいという感情が彼女を突き動かしている。いかんせん頭が回るため、それっぽい理由を作ることができただけで、それっぽい理由がなかったとしても最終的に彼女が行き着く先は同じだっただろう。
だが、無謀に思える事にも果敢に向き合う姿は、やはり人間らしさの片鱗が見える。それほどまでに彼女の旅は有意義なものだったのだろう。
そうしてもう一人。あれは完全に人間だ。しかも善良な人間のそれ。あの剛力がなければ確実に子どもの頃に食い殺されていただろう事は容易に想像つくくらいの精神的ハンデ。
何が気色悪いって、元魔王様に至っては、本心から善行を行おうとしているのだ。せっかく逃げおおせたのに、なんでまた殺されに行くようなことをするのか。
しかも、彼の場合はなにも知らずに小さな女の子を小脇に抱えている。
矛盾していると思う。
魔物ですら、自分の子どもを守る時は多少の無茶をするが、あれは守ると言いながら危険な場所に子を連れて行くときた。清々しいまでのエゴの塊ではないか。
「ねえ、そう思いません? 姉さま」
呼びかけても返ってくるのは空っ風のピューピューと言う乾いた音である。
放っておけばいいのである。人間と敵対していた魔王が災禍の化身に乗っ取られていたとあっては、国一つも覆る可能性はある。しかし、今はこの国を統治している人間が災禍の化身と共にある。であれば起こって悪政。あそこにいる誰も、おそらくあの小さな女の子ですら、関係のないところで災禍が起こる。無視でいいだろ、そんなもの。
「理解できませんよねぇ。勇者に肩入れしたあなたと同じくらいには、意味がわからない」
まるで誰かいるかのように、彼女は訥々と話し続けていた。
「まあでも」微かに声音が沈む。
「わからないと思いながらも、ちょっとだけ痛い目見せてやろう、なんて考えている私も同類なのかな」
呟きは風に乗ることもなく静かに地面へと落ちていく。
「ガレアスくんもご主人様のところに戻しちゃったし、また一人ぼっちになっちゃった。結局これが魔女の末路ってやつなのかな」
カリムは天を仰ぎ見る。先ほどまでは白んでいた空はいつの間にか清々しい青を見に纏い、ところどころに白い雲がカタツムリのような速度で通り過ぎていく。
「ねえ、姉さま」じっと一点を見つめる。もちろん、そこには何もいない。
「あなたは旅の中で何を感じたのですか。どうしてあの日、私の言葉を無視して、あなたはあんな醜悪な舞台に躍り出たのですか。そんなんだから――」
右の瞳を手で覆う。片割れを失った右の目に空の色が映り込み、影を差したようにくすんだオリーブ色へと色彩を変えた。
「――シャンデリアなんかに押し潰されちゃったんですよ」




