↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/61

第十二章 魔王の城にて3

 「私は最初から魔王だったわけではない。友に押し付けられて、私は魔王となったのだ」

 エノクは静かな口調で語り始める。

 魔王になったのは、共に夢を誓った仲間に押し付けられたからである。理由がなんだったかはもうよく覚えていないが、大方真面目だからとか、責任感が強いからとかだろう。

 しかし、友人たちの評価とエノク自身の評価は正反対である。

 彼は小さい頃から繊細であった。酷いめに幾度となく遭わされたから、人間のことは怖かったし、蔑みすら覚えていたが、だからといって全ての人間を蹂躙したいというわけではなかった。

 しかし、友人たちはそうではない。

 人間は悪である。危険だからという理由だけで全ての魔物を敵と見做し、暴力と嘲笑をむけてくる。だから、やつらを滅ぼそう。奴隷としてこき使い、食物として食らってやろう。

 悪意などではない。彼らは純粋に、それが正しい在り方だと信じていた。

 思想の齟齬。

 魔物の王は、それに大層悩まされ、葛藤した。無害な人間を葬る度に、その念は大きくなる。

 向いていなかったのだ。

 最終的にはそんな結論に至った。であれば、今からでも王の座を降りるべきだ。そう考えた彼の脳に、ぐわんと響く声がした。

 「その声の主こそ、災禍の化身」

 災禍という概念が生命体へと至った存在。それは、精霊の一種であったのだろう。

 しかし、違うことといえば、それには体が存在しなかった。

 「精霊って、なんですか?」

 アオノと同じ質問をノアが口にした。

 「自然が生命体へと変じたものが精霊じゃ。人の姿や獣の姿、いろんな姿を取って、それらと同じような生活を送るのじゃが、精霊は自然そのものだから、元となった自然物に関係のある力をほぼ無尽蔵に行使することができる。例えば、風の精霊なら、そよ風から暴風まで自由自在に巻き起こせるという感じじゃな」

 「……」

 ノアの目が大きく見開かれ、口もあんぐりと開いた。視線が揺らぐ。

 「それを踏まえると」アオノも視線が宙に向いていた。「体がない精霊って、精霊と言えるんですか?」

 自然とも、精霊とも言えない中途半端な存在な気がするが。

 「精霊は確かに何かしらの姿を取るが、それは関連元素の集合体でしかない。言い換えれば、例え体が存在しないとしても、なんらかの形で精霊となり得るだけの元素結合が見られればそれは精霊と呼べる。そうさな、空気は目に見えないがあるじゃろう? それと同じようなものじゃ」

 「は、はぁ」

 小難しい説明に曖昧に相槌する。今の自分の知識量ではうまく処理ができない原理だったようだ。

 「話の腰を折ってすまなんだ。続けてくれ」

 促されて、素直に頷く。また訥々と話を再開する。

 災禍の化身は脳に語りかける。自分に体を貸してくれれば、エノクの悩みを解決してやると。その葛藤も躊躇いも肩代わりしてやろうと。

 災禍の化身などと言われて、素直に受け入れられるわけもない。特に最初は、心身の疲れが溜まっているせいで聞こえてくる幻聴だと考えて、無視を続けていた。

 しかし、時間が経つにつれ――つまり精神的な弱さが浮き彫りになるにつれ――その声は大きく、煩わしくなっていく。

 『辛いだろ?』『我が代わってやろう』『もうわかっているはずだ』

 ――お前は魔物の王には向かない。

 他者の身勝手に心を痛める魔物がどこにいる。弱者を本当に守ろうとする魔物がどこにいる。例え理性があったとしても、魔物の思考は獣のそれ。善悪ではなく損益で動くものだろう。

 ――どうしてお前はそうなのだ。

 その思考は人のそれ。慈愛だの博愛だのを酩酊したように口ずさむのは、愚で命を失わずにする人の甘えである。

 (その通りだ)

 脳に語りかけてくる、薄気味悪い声が囁く言葉はいずれも的を得ていたように思う。だからこそ、エノクはついに受け入れてしまった。自分の間違いを正す存在として、災禍の化身に体を貸した。

 「最初は私が躊躇する時にだけ体を開け渡していた」

 しかし、徐々にその時間が長くなっていく。いや、そもそも入れ替わっているという実感すらなく、体が非道を行うことが増えた。そして、それになんの疑問も抱かない自分がいた。

 「あれは、融合していたのだろう」

 体とは何も四肢と胴体だけをいうわけではない。脳も五感も体の一部であり、そうともなれば自意識が混濁してしまうのもおかしなことではない。

 「私は自分で気づくこともできないうちに、体を災禍の化身に乗っ取られ、正真正銘の魔王となった。そして勇者と対峙し、負けた。だが、負けたのはあくまで私だ」

 含みのある言い方。

 「災禍の化身は生きている。おそらくは、国王と共にあるのだろう」


 魔王の死体を処理しろと命を下されたのは、影の者であった。

 彼らは王直属の暗殺部隊。騎士団の者たちですら、一部の上層部しか知らない血生臭い影の魔物であり、表にはとても出せない『始末』を生業としている。

 倒れ伏したエノクの元に、彼らはやってきた。ただならぬ気配に、瞼だけがうっすらと開かれる。

 (誰だ)

 その姿は騎士であった。甲冑を纏ったそれらはしかし、中は伽藍堂の闇。しかし当時のエノクは薄い意識の中でぼんやりと、「あれが死神か」などとひとりごちていた。人型の何かということしか理解ができなかった。

 「感じます。感じます。まだ気配を感じます」

 黒装束の一人が声を上げる。興奮を無理やり抑えているような、妙に気色悪い声音だ。

 「あいつの中にまだ残っています。微弱ながら感じます。早くお救いしなくては」

 足音が耳元まで迫ってきた。隙間から虚に覗く瞳が、ぼーっとその様子を眺めていた。自分の息の根は勇者ではなく、誰ともわからぬこいつらによって止められる。それが少し歯痒かった。

 「さあ、ナイフはありますね。手足を押さえつけてください。決して逃しはしませんよ」

 仰向けに転がされ、手足を床へと縫い付けるように押さえつけられる。曖昧な意識の中、突然腹の中に焼かれるような痛みが突き刺さった。グジュグジュと、肉がえぐられる音が遠くから聞こえてくるようだった。乾いた息でカフカフと喘ぐ。

 何分、何十分、あるいは何時間か。長い痛みの末、ナイフで体を抉り続けていた黒装束が歓喜の声を上げる。掲げられた手は何かを掴んでいるようだった。

 その瞬間、曖昧蒙古な脳に今までの記憶がフラッシュバックした。己が行った非道が、愉悦を感じていた行いの全ての記憶が渦を巻き、それに対する憎悪が半壊した胸に容赦なく爪を突き立てる。

 体が戻ってきたのだ。同時に、今まで災禍の化身と一体化していた精神もまたただの一介の魔物のものとなる。

 狂ったようにがなり声を上げ、油断していたらしい影どもを振り払う。一目散に城を下って行った。奴らが追ってきても、蹴落として、只管に走り続けた。

 走って走って走って。ついぞ力尽きたのがどこかの果の森の中。

 流れるだけの血も失って、朦朧とする意識の中、彼は深い眠りについた。


 「天球での記憶を見るまでは、あの影の一味は国とは関係のない別組織であると考えていた」

 しかし、あの天球は王に傅く影の者の姿を映し出した。その瞬間、エノクの中ではそれらが当時の国王の刺客であるという確信を得た。

 「だから用済みなのか。その影の者、引いては国王の目的は災禍の化身という精霊の回収と、それに取り込まれておった魔王の始末。前者は果たされ、後者は肝心の獲物がどこかへ逃亡してしまった。空っぽになったこの城は、そやつらが重視するようなものではない」

 だからこそ、あの掴みどころのない魔女はここを根城にしていた。彼女は舞台の裏側を知っており、国の権威を揺るがす可能性がある存在。見つかればただでは済まされないのは明白だ。

 「にしても」シャヴァラが長いまつ毛を伏せて、悩ましげに腕を組む。

 「災禍の化身の正体が精霊とはのう。しかも、王様と仲良しこよし。いや、まだやつがその存在を認識した上で何かしているというわけではないが。災禍の化身を奪取した輩と連んでいるのは確実じゃし、こりゃ百年前とやることが変わらないってことか」

 気だるげに腕を伸ばし出したと思ったら、そのまま腕を後頭部で交差し、後ろへと体を傾ける。

 「で、どうする」

 「どうする?」

 「ここに来て漸く色んな背景が浮き彫りになった。勇者たちを亡き者にしたのはよりにもよって国王。百年前に魔王退治は成功したが、根本的な解決を逃していた。そして、根本的な原因である災禍の化身は国王に近しい場所にあるらしい。これを聞いて、お主らはどうする?」

 そう投げかける彼女の視線は、天井へと向けられている。暫しの沈黙の後、ゆったりと体を起こしたかと思うと、神妙な影を落とす顔を見回した。

 「ワシは元より大切なあやつらを殺されたうさ晴らしをしにいくために王都に行く予定じゃった。国王にあって、あとはその場の感情に委ねようとな。しかし、事が顕になった今、ワシはやつらの仲間として、決着をつけに行かなくてはならん」

 「一人でですか? 無茶ですよ」

 アオノが慌てた様子で前のめりになる。

 災禍の化身がどれほど強いのかわからないが、精霊が自然が命を持ったものであるとするならば、その戦いは自然を相手取るようなものである。

 しかし、アオノの心配を他所に発言者は落ち着いていた。

 「仮に一人だったとしても、勝機はあるさ。限りなく小さいものではあるが」

 その続きを促すように皆が押し黙る。唯一興味なさげな様子のガレアスだけが耳の裏を後ろ足で掻いていた。

 シャヴァラが薄く口を開き、閉じる。視線が僅かに外されて、それを誤魔化すように立ち上がった。

 「どうにかなるさ。ワシは明日にもここを発つが、これはあくまでワシの自己満足の旅なのじゃ。その果てに誇れる結末なんてない。それも踏まえて、各々の身の振り方を考えておくんじゃな」

 背中を向けて細い手がブラブラと顔の横で左右に揺れる。階段を上がって、カリムが消えていった扉を押し開き、するりと見えなくなった。

 今日何度目かもわからない沈黙が降りる。次いで無言で立ち上がったのはエノクで、彼は階段横の奥まった場所にある扉に手をかけると、そのまま中に消えてしまった。さらに、ガレアスが大きな欠伸をしてのっそりと立ち上がる。入り口の壁に寄りかかるようにして腰を下ろし、自身の前足を枕代わりに寝そべった。

 「私、エノクのところに行ってきます」

 ノアはアオノに一声かけてから、エノクが消えた扉へと駆け出した。

 急に人気がなくなった階段で、膝の上に腕を立て、頭を支える。

 (俺は、どうしたら……)

 答えはまだ出ない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。