幕間4
テオが目を覚ました場所は自室のベッドの中であった。慌てて上半身を起こせば、体の節々が鈍く痛む。腕には包帯が巻かれ、頬にはガーゼがピッタリと張り付いている。
「おお、お坊ちゃま!」
側で控えていたらしいアルバートが椅子を突き飛ばすようにして立ち上がる。椅子は少し後方に突き飛ばされてから停止する。
「お加減の方はどうですか。どこか痛みますか。ああ、今すぐ使用人に食事の用意を――」
「アルバート」興奮気味な執事を呼び止める。「ここは、どこだ」
「おぼっちゃまの寝室でございます」
先ほどとは打って変わって、落ち着き払った声で答える。
「どうしてここにいる」
「ウラノスで倒れていたところをマシュー様方がこちらまで運んでくださいました」
「……団長から何か、伝言は」
「いいえ。特にはございません」
テオは唇を噛み締めて俯いた。包帯のかかった拳がワナワナと震えていた。
「……消化にいいものを持って参ります。少々お待ちください」
力無く頷けば、執事は恭しく頭を下げてドアの向こうへと姿を消してしまう。「クソっ」と胸の中の蟠りを口から吐き捨てた。握った拳を上げて振り下げたら、太ももに鈍い痛みが広がっていく。
(勝負にもならなかった)
一方的な負け。歯が立たないどころか、最初から挑むだけの歯すら持ち合わせていなかった。勝負というにはあまりにも力に差がありすぎた。
瞼を閉じれば、あの魔物の冷ややかな双眼が鮮明に蘇ってくる。自分に向かって吐き捨てた「堕ちた」と吐き捨てた、あの低音が耳の中を這いずる。ひとりでに被りを振った。違う。自分は堕ちていないと、心の中で否定する。
(少なくとも、僕は――!」
ペンダントトップを握りしめる。このペンダントの存在を確認すれば、逸る気持ちが幾分か落ち着くような気がする。
(そうだ。僕は誇り高い騎士の家系。あの魔物の呟き一つで心を乱されるなんて、あってはいけない)
騎士たるもの、常に冷静であれとは他界した父の言葉である。冷静でなければ守れる者も守れない。自分を律することから、騎士道とは始まるのだと。
テオは大きく息を吸い、吐き出す。それを何度か繰り返したところで、ノックの音が聞こえた。「入れ」と短く返事をすれば、アルバートが切り分けた果物を盆に乗せ、ベッドの横につく。
「まずは軽く胃に何か入れた方がよろしいかと、果物を持ってまいりました。食事は今、侍女に作らせております」
「ああ。そこに置いておいてくれ」そう言って、サイドテーブルを指差す。
「お加減のほどはいかがでしょうか」サイドテーブルに盆を置きながら尋ねる。
「節々が痛む程度だ。押したりしなければそこまで辛くはないよ」
「打撲や内出血が多いとのことです。特に右腕は大した外傷はないにも関わらず骨にまで皹が入っているとのこと。しばらくは剣を握らぬようにと、医師から言伝を預かりました」
「そうか」あからさまに気落ちした声を誤魔化すように、大きく咳払いをする。執事は何も聞いていないとでも言うようなすまし顔。
「近々、オーバルが見舞いに来るとのことです」当たり障りなく話題を切り替えた。テオが渋い表情を作る。
「……騒がしくしないようにとは、念を押してくれ」
「もちろんでございます」
ふぅと息を吐き、呆然と壁を見つめる。
「いつになったら剣が触れるようになるだろうか」
「三週間ほどでしょうか。骨がくっつくまではご無理をなさぬようにと」
三週間も稽古すらできなければ、相当腕が鈍ってしまう。ソワソワと焦り気持ちを押し込めて、窓の方へを視線を向けた。ここからでは霞むような空を眺めることしかできない。
「お坊ちゃま、私はですね、今回の一件で寿命が縮む思いをいたしました。領民も同じです。貴方様がお眠りになっている間、何人が屋敷を訪ねたことか」
不意に訥々と始まった話に、視線を窓の向こうへと投げたまま、静かに耳を済ませる。
「貴方様がこの家を、引いては我々のために剣を振るってくださっていることはわかります。しかし、その果てに貴方様を失ってしまったら、我々の希望も誇りも消えてしまうのです」
まるで親が子どもに言い聞かせるような調子であった。
「だから」テオは目線を合わせないまま彼の言葉を引き継ぐ。
「僕に剣を捨てろと」
無言が帰ってくる。
「無理だ」
強い意志がたった三文字に固められた。彼の指がペンダントトップを絡め取り、掌に収めた。もう一度、同じ言葉を繰り返し、心配な眼差しを正面から見据えた。
「例え死んだとしても、僕は騎士であることをやめない」
「貴方様の心は、正しく真の騎士であられる。だからこそ、私は不安でなりません。今の腐敗し切った彼らと共にいても、テオ様が押し潰されてしまうだけです。最悪の場合、大旦那様のように――」
「その話は!!」声を荒げる。「やめてくれ」
「……失礼いたしました」
「いや、すまない。疲れているんだ。少し、一人にさせてくれ」
「はい」
アルバートは恭しく一礼して立ち去ってしまう。しんと静まり返った部屋の中がやけに広く思えた。力んでいた拳を解き、掌の上のペンダントトップを見下ろす。チェーンとの結合部分を軽く押せば、パカと上半分が割れて、同じ盾型が隣り合う。どちらにも小さな写真が貼り付けてある。
左側には、見慣れた屋敷を背景に、顎下に短い髭を映え揃えた、気の良さそうな男性と、長髪の綺麗な女性。そして、おくるみに包まれた赤子が女性に抱かれている。男女は笑顔で、赤子はスヤスヤと気持ちよさそうに眠っている。
そして右側には、どこかの噴水を背にして、複数の人間が写っていた。
手前には何かを追いかけているかのように手を伸ばし、顔がぶれている赤眼の青年。その後ろにでは驚いたように口をあんぐり開けている少年や、我関せずといった様子でピースしている女性。それに呆れたように腕を組んでいる少女に、酒瓶片手に肩を組んでいるへべれけな男女。その片割れは、赤ら顔であること以外は、左の写真の男性と同じである。
「お祖父様……」
静寂の中、彼の声だけが音となる。
「貴方が騎士として戦い、散ったのであれば、僕だって……」
落とされた呟きは、薄暗い闇に溶けていった。




