第九章 幻にて3
百年よりもさらに昔。寄木で作ったボロっちい小屋の中に四匹の魔物と一匹のペットが集まっていた。四匹は同じくらいの身の丈で、ペットは彼らの脹脛の部分に頭のてっぺんがあるくらいの小ささであった。
全員薄汚れていた。痩せ細っていた。爪は伸び放題。髪は乱れ放題。毛並みにはウジが沸いていた。
そんな小さな魔物たちがボロっちい小屋で膝を突き合わせていた。
『人間たちを出し抜いて、魔物の国を作るんだ』
そう言ったのは誰だったか。
『そうすれば、誰も私らをいじめない。ご飯だって腹一杯食べられる。ソウショクヒンで体も着飾れる』
生き生きとした眼で夢を語り合ったのだ。誰も、絵空事とは思っていなかった。
『だから俺たちで魔物のてっぺんを目指そう』
『人間に成り代わって、理想の国を作るんだ』
遠い遠い過去の置き土産。思い出して戻った時にはもう何も残ってはいなかった。
エノクは漸く理解する。
(私は惑わされている)
あの小屋が当時の姿のまま残っているなどあり得ない。瞬きの間の夢がそうであるように、あの小屋もまた、とっくの昔に消えてしまったものなのだ。
(なら、今まで見ていた光景は――っ!)
心臓が大きく脈打った。瞼がカッと開いた。そのまま立ち上がる。雨は止んでいた。周囲には何もない。黒く滲んだ荒野原が広がっている。
体を捻る。地面には体を縮こめるようにして眠る少女の姿。浅い呼吸に合わせて小さな背中が上下する。
ぐっしょりと、その体は濡れていた。せめてロングコートでも着ていれば、中のシャツが透けるようなことはなかったかもしれない。
エノクは顔を下に向けたまま、忙しなく空気を求めている彼女の体を抱き上げた。
手足は冷たかった。体は熱っていた。唇を噛み締める。
「どうして私はこうなんだ」
いつだって自分は、気づくのが遅すぎる。気づいた時にはもう――。
呟きは地面へと落ちていく。二人分のロングコートを片手で掴み、一つを肩に羽織り、もう一つは片手で絞って水を吐き出させる。
力無く、歩き出した。雨は止んでいた。ならば、もう迷うことはない。
『帰らずの庭』そこに入ったものは魔物に襲われて帰ってこれない。どうして魔物に襲われてしまうのか。やつらの知性故だろうか。
答えは否である。
とある一匹の狼が、迷い込んだ者たちに強い幻覚を見せるから。それは人々を恐怖に突き落とすこともあれば、甘美に酔わせることもある。そうして人々を彷徨わせ、彼らも知らないうちに食べられてしまう。
前方に、ゆらゆら動く影を見て、エノクは足を止めた。
青い炎を連想させる大きな尻尾。ふさふさの耳。長い鼻に鋭く輝く緋色の瞳で形作られた風貌は狼のそれであり、左足には銀色の腕輪が嵌められている。
ゆらりゆらりと尾が左右に揺れる。
「随分と、待たせてしまったものだな」
返事はない。
鋭利な双眼はただじっと、瑠璃の瞳を見つめている。




