第七章 天球の国にて3
エノクが人影を見つけたのは、廃れた広場、枯れた噴水の辺りであった。シャヴァラが言っていたように、十人ほどの騎士たちがぐるぐるに縛り上げられた仲間を取り囲んでいる。風に乗って声が聞こえてきた。
「これは明らかに人の仕業だ」
「いや、もしかしたら知性のある魔物かもしれない。そんじょそこらの雑魚じゃなくって、上位の魔物が潜んでいるのかも」
各々が持論を展開しているせいで、半ば言い争いのようになっている。
廃屋の上から街を見回したところ、他に人影はない。運がいいことに、一箇所に集まってくれているようだ。
「武具は取られてないから、物取りではなさそうだよ」
「食い殺してないなら魔物の線は薄いだろ」
「エルフの生き残りとか? でも、エルフって棒のように細くて弱いんだよね。なら無理か」
持論の主張に熱を上げている。ヒートアップする言葉の応酬を鎮めたのは、割れるような手を叩く音。それが二回。エノクはその人物を見やる。眉を僅かに上げた。
「考察していても埒があきません。この状況を見るに、人の仕業とも思える。しかし、外部の魔物の様子も明らかにおかしかった。草陰に隠れて、僕たちの動きを観察しているような。であれば、魔物が一枚噛んでいるとも考えられます。ですが、それも調べればわかること。皆、二組ずつになって街の探索を。何か異常があれば僕のところまで報告をお願いします」
テキパキと指示する男は、ハブの村で部下を嗜めたあの男である。凛とした佇まいは、他の誰よりも騎士然としている。部下と思しき者たちは、互いに顔を見合わせてやがて頷きあう。仲間に慕われている良きリーダーであることが見てとれた。
(……面倒だな)
バラバラになられては始末するのにも時間がかかる。今にも四方に散らばろうとしている彼らの姿を凝視して、屋根を蹴飛ばす。
ビュンと巨体が風を切る。空中で柄を握りしめ、大剣を抜き取った。時には腐敗した屋根の一部を壊しながら、噴水の真上まで飛び上がる。不自然に現れた黒い影に十の顔が天を仰ぎ見る。
「――っ皆、避けろ!」
反応したのは一人。後の騎士はあんぐりと口を開けて硬直するか、驚きやら恐怖やらで足を絡まらせて転倒していた。大剣が噴水の頭をかち割る。ビシビシと亀裂が走り、尖った石が隆起する。その勢いに何人かの体がゴロリと回転する。
「あなたは――」
テオと目が合った。瞼を瞬かせる彼はすぐに表情を引き締めると、するりと細身の剣を握った。
「動ける者は負傷者を連れて街の外へ。馬に乗って陛下へ報告を!」
「しかしテオさま!」
「この方は強い。最悪全滅です。ですから早く!」
テオが急かせば、三人ほどが立ち上がり、動けなくなった仲間を背負い、引き摺りながら逃げていく。エノクは横目でその姿を追いかける。しかし、テオに向けた切先がブレることはない。
「見逃すのですね」
「構わん」
「馬を走らせれば、二日もかからずに王都に着きます。そうなれば、あなたはお尋ね者の仲間入りですよ」
「問題ない」大剣を構える。「兼ねてより、お尋ね者だ」
カッと双眼が強い光を放つ足元の煉瓦がビシリとヒビ割れると同時に、エノクの大剣が右から左へと薙ぎ払われる。
「ぐっ――」
重い。上から押さえつけられているわけでは決してないのに、剣身を通じて、その重さが、威力が、電流のように伝わってくる。だめだ、押し負ける。テオが後ろに飛び退いた。掠れた袖が燃え滓のように散って消える。
(ダメだ。これではやられる……!!)
部下たちを逃した自分の判断は間違っていなかった。力量が違いすぎる。勝てる勝てないのレベルではない。エノクが本気を出せば、それこそ骨すらも焼き切れてしまうことだろう。
「ハブの村で会った御仁よ!」
テオが声を張り上げる。エノクの冷めた目が凝視している。
「何故、貴殿がここにいるのです。あの時の子どもらはどうした!」
「それに応える必要があるか」
冷え冷えとした低音に、背中から冷や汗が垂れる。あの時とはどうも雰囲気が違う。
人を殺す目をしている。鋭利なナイフのような眼がテオの首を掻き切らんと狙っている。
「わ、私は!」テオは震える声を隠すように、わざと大声を上げ続けた。
「魔物がここらへんを徘徊しているという話を聞きつけここに参りました! しかし、この周辺に魔物らしき影はほとんど見当たらなかった。貴殿は何か知っているのではないですか!」
「何故そう考えた」
「それは――。貴殿の耳! その尖った耳は、魔物の証ではないのか!!」
震える剣の先がエノクの耳を刺した。鋭い双眼が横へと流れる。ふっ、と鼻から息を吐き出した。
浅黒い耳は髪から多少露出したとして、見間違いだろうと済まされることの方が大かったが。なるほど、この青年はやはり他の騎士より騎士らしい。
「ならばどうする」
否定はしなかった。ただ、冷めた目を向けるだけである。テオの唇の中央がグッと持ち上がる。
「もう一度問おう」ドンと響く低音。抑揚のない声音。鋭い猛禽の眼が問う。「ならば、どうする」
「ま、魔物であれば切る! それが――」「騎士たる者の勤めか」
言葉を継いだ。テオが息を飲み込んだ。喉奥がカラカラに乾いている。エノクの瞼が伏せられる。剣を持つ腕が下ろされた。チャンスは今しかない。柄を握る手に力が入る。地面を蹴り上げて、飛びかかるように間合いを詰める。
「――堕ちたな」
「えっ……」
小さな呟きだったのだろう。唇は大して動いていないし、風も今は吹いていない。それでも彼の言葉がはっきりとテオの耳に飛び込んできた。目の前の光景が全てゆっくりになる。長いまつ毛が揺れて、悲嘆と憎悪の籠った双眼に目を丸くしたテオの顔が映り込んでいた。
焦りすぎた。そう頭に浮かんだ時は、もう遅い。
光を翻した銀色の閃光が自身の体を大きく切り裂く肩口から腹に一本の赤い線が刻まれ、間髪いれずに血が吹き出す。視界が揺らぐ。ぐっしょりと濡れた手から剣がするりと抜け、カランと虚しい音と共に地面に身を投げ出した。
瞼がゆっくり閉じていく。朧げな視野が最後に捉えたのは、やはり、憐れむようにこちらを見下ろす、二つの瑠璃の瞳であった。




