第1章 辺境の村にて1
小さな村の郊外で、荷運びの男たちが三人、荷車の中でガタガタと震えていた。ギャーギャーゴウゴウと獣の鳴き声が周囲を取り巻く。荷車が悪戯に揺らされて、木片が一枚、また一枚と剥がれていく。
「もうおしまいだ。おらたちここで死ぬんだあ。魔物の餌になって死んじまうんだぁ」
「なんだってこんな目に遭わないといけないんだ。おらたち必死に畑耕して、必死に金稼いでただけだ。これも全部、魔物を放置してる王都の連中がいけないんだ!」
「クワバラクワバラ。おれまだ死にたくないよぅ」
頭を抑えて被りを振るう。口から洩れ出るのは嗚咽ではなく、己が身を滅ぼすような状況を作り出した、他人への可愛らしい悪口。
キシキシと荷車が嫌な奇声を上げている。上に乗っている何かが乱暴に揺さぶるものだから、木屑がパラパラ体に降りかかる。
ああもうだめだ。三人が膝を突き合わせた時だった。
ごうっと風を切り裂く音がした。魔物たちの鳴き声が大きくなる。荷車の揺れがぴたりと止んだ。
なんだなんだと、小心者の三人が荷車の隙間から外の様子を覗き込む。
六匹の猪と猿の形をした魔物に取り囲まれている、浅黒い肌の男が、巨大な剣を地面に突き刺していた。剣の切先には、地面に縫い付けられた猿の魔物が弱々しく痙攣している。
「なんだあの人。助けてくれたのか」
一人が小声で囁くと、もう一人がおったまげたとでもいうように、興奮した口調で捲し立てる。
「おら、あの人知ってるだ! あの人、エノクっていう名前の傭兵だ。浅黒い肌に、肩下で束ねられた黒髪。間違いないだよ」
「エノクって数年前からたまに姿を表してはすぐに消えちまうっていうあの、腕利の傭兵さんかい? 作り話じゃなかったのかい。なんだってこんなところにいるんだ?」
「そんなんどうでもいいべ! ここで見られるなんておら生きてて良かっただ!」
好奇の眼差しの先では、魔物たちが一斉に地面を蹴り上げる。自分たちより二倍は大きい巨体目掛けて一直線に突っ込んだ。
黒い外套が翻る。大剣がぐるりと円を描くと、たちまちそれらは動きを止める。瞬きの後に青黒い血が頭から、体から、腕から、脚から。分断された切断面から弾け飛ぶ。
一瞬の出来事に三人は息を呑む。
王都の騎士ですら、一人一匹ずつちまちまと倒すものだと聞いた。それを一撃で六匹も屠ったのだ。言葉を失うのも無理はない。
「……はっ」
エノクは大きく剣を一振りして青い液体を振り払うと鞘に収めた。そのまま荷車には目もくれず立ち去ろうとした彼を、荷運びの一人が追いかける。
「おーい! 持ってくれよ! あんた最強って噂の傭兵さんだろ!? おらたちあんたのおかげで助かったんだ。何かお礼をさせてくれよ!」
追いかけている最中、荷運びはおや? と首を傾げる。なんだかえらく距離があるように感じた。
声に反応して巨体が立ち止まる。ゆっくりと振り返った先には、口をあんぐりと開けて自身を見上げる荷運びの姿があった。
荷運びの視線がエノクの頭の先からつま先まで、何度も何度も往復する。
「……あんた、噂以上にでっかいんだな」
自分の目線の位置に、エノクの腰かがある。幼子が大人を見上げるような身長差ともなれば、その反応は正しいだろう。
どうしてもお礼がしたいという荷運びたちに押し切られ、荷車の横を、エノクは通常であれば荷運びたちの倍以上の歩幅のおかしくない程度に狭めて歩いている。
先の騒動で荷運びに使っていた馬が逃げてしまったらしく、彼らは三人仲良く荷車を後ろから押していた。今や歪な形の車輪が回るたび、木材が軋む音が鳴る。
「おらたちの村は、畑しかないけど、その分食べ物はうまいべ」
「ここらの村の中じゃ結構稼げてるんだよ。ま、そう言ってもどんぐりもいいとこだけんど」荷車を押しながら話を続ける。
「地主がちょっと裕福だからって、奴隷使って畑広げてるってだけだけどな。量で勝ってるだけさ。でもま、おかげでおれたちにまでは風当たり強くないのがせめてもの救いだ」
「奴隷がいるのか」
ポツリとエノクが言葉を溢す。返答が帰ってきたのは村でお礼がしたいと言った時以来初めてである。三人はそうそうと大仰に頷く。
「いるんだよ。と言っても買ったやつじゃない。地主に楯突いたやつとか、落ちこぼれの子どもとかを奴隷代わりに使ってるんだ。あいつ、碌でもないやつだよ」
「そんなこと言っちゃダメだ。おれたちも歯向かったら奴隷行き。穏便にやり過ごすのが吉だよ」
「そうは言ってもよお」
一人が唇を尖らせる。しかし、それ以上の不満を言うことなく、視線を空へと向けた。
「あーあ。昔は本当に平和な村だったって言うよ。危険はいっぱいあったけど、教会もあったし、王都からは騎士たちが定期的にやってきてたんだ。そいつらが年貢取って地主が大きくでられないようにしてたんだってよ」
「だども、そしたらおらたちが余計に働く必要あるだろ。いいんだ。今でいいんだ」
「王都は機能していないのか」とエノク。
「いーや。動いてはいるんじゃねえか。ま、王区より外には関わって来ないからよくわかんねえだ。あんたの方がその辺のことはよく知っているんじゃないか。傭兵ってあちこち行くんだろ?」
王区というのは大陸の中央側に位置する、王侯貴族が直接支配している領土のことをいう。それより外側の区域は外区。零細な村々が点々としたそこは、現在では各村が自治を行なっている。
「……」
返事は返ってこなかった。ただ、何かを考え込むように表情を険しくする横顔に、三人はこてんと首を傾げる。
「あ、見えた。あそこがおらたちの村だべ」
顔を上げれば、だだっ広い畑に囲まれた家々がちらほらと三角屋根の先端を突き出していた。
エノクは滅多に人里に立ち入ることなどなかった。宿なんてもってのほかである。それは体躯があまりにも大きすぎて注目を集めやすい、というだけではない。
宿に案内され、簡素な部屋の中をぐるりと見渡す。ベッドの下、机の上、棚の中を順番に確認してから、漸く床に胡座をかく。椅子も用意されているが、座って壊してしまうとも限らない。
大剣についた青い血を拭いながら、荷運びたちの会話を思い出す。
(王都が外区に関与していないとは本当なのか。確かに、目覚めてからというもの、騎士らしき姿は見かけなかったが……)
その理由は、自分が基本的に人里から離れたところで活動しているからだと考えていた。だから、偶然接触せずに済んでいたものだと。
しかし、荷運びたちの話によれば、そもそもここら辺には騎士が訪れていないのだという。そのせいで抑制されることがなくなった地主が権力を翳して、独自の統治を敷いている、というのがこの村の現状らしい。
実際、歩いていて一際見ずぼらしい格好をした村人を見た。あの者たちが彼らの言う奴隷なのだろう。
(醜いことだ)
森の中や街道沿いで討伐に明け暮れている自分が知ることのなかった人々の暮らしの一旦を目の当たりにして、過去の自分の行いを見せられているかのような気持ちになり、顔を顰めた。
(勇者が齎した世界であっても、結局、真の平和とやらは訪れないのだな)
天井を仰げば、水の染みが顔のように模様を作っていた。空虚な双眸がこちらをジロジロと見下ろしている。
エノクは立ち上がる。設られていた小さな鏡を覗き込み、するりと髪を束ねていたゴムを取る。無造作に広がった髪の隙間から尖った耳が飛び出た。
(最強の傭兵、か。あの者がこの耳を見たら、どう思うのだろうな。最強の傭兵は魔物だったと、失望するだろうか)
そんなことは考えなくてもわかるだろう。あの期待と憧れの念が籠った瞳も、魔物相手であれば嫌悪の色に染まる。それが人間。それが、自分が行ったことへの報いだ。
毛布を一枚ひったくって、床に横になる。瞼を閉じれば、薄い壁の向こうからきゃっきゃっとはしゃぐ子どもたちの声が聞こえてきた。そっとカーテンを捲って窓の外を見やる。
「婆さん、今日は何を話してくれるの?」
「今日はね、昔話を持ってきたんだよ」
老婆が言えば、子どもたちはわっと歓声を上げた。老婆の手前には、木製の年季の入ったワゴンの上に四角い木のフレーム。しわくちゃの手が、そこに紙の束を差し込んだ。手作り感満載の、愛嬌のある絵が載っている。
「それってもしかして、剪定の勇者の話?」
「ああそうさ。一番新しい伝説のお話。各地でいろんな風に伝わっていてね、今日はばあやのお友だち、親愛なる聖女様から伝え聞いた話をしようかね」
こほんと老婆が咳払いをする。子どもたちが静まり返った。




