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第5章 宿命にて2

 日差しが斜を構え、影が東の方面に向かって大きく傾く。即席の焚き火の向こうには、シャヴァラが頬杖をついていた。エノクの真横にはノアが肌を密着させ、アオノはシャヴァラとエノクのどちらとも同じくらい離れたところに胡座を掻いている。

 「百年間の出来事、なぁ」

 エノクが要求したのは、自身が眠っていた百年近くの出来事について、わかる範囲で教えろという内容であった。

 シャヴァラは顎を細い指でなぞる。ふっと息を吐いてから、その視線は緊迫した表情を浮かべる二人の子どもへと注がれた。

 「お主ら、百年前の勇者の伝説は知っているか」

 二人は無言で頷いた。

 「そうか。お主たちのような童の耳にも伝わっているのであれば、まだこの世界に未来はあるのかの」

 しみじみと呟く。長いまつげが伏せられる。歌うような調子で、彼女は口ずさむ。

 「魔王を討ち取った勇者たちは平和を取り戻しました。三日三晩の宴の後、勇者たちは幕を引くように表舞台から姿を消したのです。めでたしめでたし――」

 伝説の結びの文であった。

 「なぜ、勇者は表舞台に上がらなくなったのだと思う」

 開かれた瞼から覗く桃色の瞳がアオノに尋ねる。彼は少しの逡巡の後。

 「故郷に帰ったから、とか」

 歯切れが悪い回答を返す。彼女は首を横に振った。

 「違う。幕が引かれたからさ」

 「というと?」眉が上がる。シャヴァラの再び伏せられたまつ毛の、長い影が顔に落ちる。

 「……死んだのじゃ。三日三晩の宴の中で、やつらは死んだ」

 重苦しい声。敢えて感情を押し殺したような冷たい声音で真実を口にする。三人の表情が思い思いに歪んだ。

 「実際に宴の最中に死んだのか、将又その後かはわからぬ。ただ、勇者たちは死んでしまった」

 「どうしてですか」おずおずと問う。

 「さてな。確実な事はわからぬ。戦いが終わって一年後に開催された宴。それに参加しなかったワシがあやつらの死を知ったのは、天球に刻まれた記録に齟齬がないか確認していた時じゃった。そこにはただ、あやつらが何者かに謀殺されていく記録が残っていたよ」

 エルフであるシャヴァラは天球を覗く――つまり、過去の出来事を知ることができた。今頃故郷に帰って、元の生活に戻っているであろう仲間たちの姿を思い描いて覗いた光景は、彼女の幸せな妄想を一瞬でかき消した。

 「慚死、刺殺、毒殺、転落死。絶望の中自殺した者もいた」

 最初は未来を告げた魔女が、誰もいない階段の踊り場で、シャンデリアの下敷きになった。

 次は勇者の師範だった。酔っ払っていた彼は、猛毒の杯の中身を煽って死んでしまった。

 そして次は、小さなドワーフの少年。何かに追われているようだった。そのまま追い込まれて、高い城の塔の上から落ちていった。

 勇者はいなくなってしまった彼らを探して彷徨い出たところを、呼び止められ、何者かによって背後から刺し殺された。彼が自分を殺した相手を口にシャヴァラの心臓は嫌な鼓動を刻んだ。

 そして最後は、清く正しい聖女が、自らの首にナイフを突きつけ――。シャヴァラは目を背けた。

 「ワシが天球で過去を覗いてすぐに、ウラノスは攻撃された。呆けているワシのところに友人がかけて来て、口早に伝えた」

 仕掛けたのは黒い体の何者か。彼らの正体がなんだったのかは、現在もわからない。ぱっと見は人のように見えたし、魔物にも見えた。

 輪郭が揺らいでいたのである。まるで陽炎のように、その黒は揺らいでいた。

 それらは、小型の剣を振り翳し、無数の矢を放って、次々とエルフたちを襲っていく。ウラノスにはエルフの何倍ものやつらが集い、暴れ続けた。街が、人が、生き物が、無惨にも壊され、殺された。街と外との境界を閉じるにはあまりにも遅すぎた。

 「我が友はワシに天球の間に閉じ篭もるように言った。ワシさえ……、天球さえ壊されなければ勝機はあると言い残し、自らは天球の間の扉の前で敵を待ち構えた」

 目を閉じれば、あの時の光景が、いや、声すらも鮮明に思い返される。

 眼前には固く閉ざされた扉。厚い壁の向こうから、友の声が聞こえてくる。先ほどまで嫌というほど覗いてしまった絶望が、壁を隔てた向こうで行われようとしている。

 『残念だったな。この天球への道は閉ざしてやったわ』

 いつもと違う話し方だった。

 『お主らなんぞに天球は使えぬ。この扉は破壊できぬ』

 それらの声が反響する。お前がシャヴァラだなと。関係のない友に向かって言った。

 彼女は黙っていた。それを肯定と受け取ったのだろう。

 僅かな剣戟の後、肉が抉れる音がした。がは、と血を吐き出す音がした。扉を隔てた内側で、シャヴァラの膝が崩れた。ガンガンと扉が殴られる。しかし、それも直に止む。やつらの足音が遠ざかっていく。

 「生き物の気配が消えてから、ワシは外に出た」

 扉の前には姉が胸と口から血を流し倒れていた。流れ出た血は固まっていて、彼女の胸は力任せに剣が引き抜かれたように抉れている。

 手を伸ばそうとした。しかし、それは思いとどまった。代わりに扉へ手を伸ばし固く閉ざす。拳を握って走り出した。

 「死んでいたよ。全員、死んでいた」

 走っても、走っても、そこにあるのは一族の骸。冷たくなった体と固まった血のみ。千年と連れ添った仲間たちが、笑い合った友たちの空虚な姿であった。

 「ワシはウラノスを出た。やつらを指揮していた何者かが来ないとも限らない。夜で身を隠し、転々と大陸中を回ったのだ」

 その時のシャヴァラは話し屋として路銀を稼いでいた。それはかつての仲間の受け売りで、絶望に飲み込まれた彼女自身への慰めでもあった。

 「王区は歩くたびに様変わりしていった。華やかな者はさらに華やかに。貧しい者はさらに貧しく。奴隷は日毎に増えていった」

 そうして何十年と渡り歩いた。

 街が栄えていく。人が栄えていく。人が苦しんでいる。人が苦しんでいる。人が――。

 そして、何十年と歩き続けて、シャヴァラは知った。自分たちが救ったはずの世界は、あまりにも歪だと。世界を救ったら、平穏な日々が戻ってきて、魔物に怯えなくて済む世界が広がるのだと。それが、今よりもきっと良い未来なのだと、どこかぼんやりと考えていた。

 しかし、魔物が衰えた代わりに今度は人に怯えていた。魔物だって獰猛なやつは五万と残っていた。人の敵に人が増えた。それだけだけだった。

 「何十年も、旅をしていたんですか?」

 「なんだ小僧。一丁前に同情でも向けてくれるのか」

 「いや――。それは」

 アオノは視線を逸らす。突然エノクを襲った彼女に正直に気持ちを打ち明けるのはなんだか気のりがしない。そんな葛藤が見て取れて、彼女は微笑した。

 「ああ。何十年も旅をして、ワシは漸く、自分たちの旅の結末を理解できた。だから今更、ウラノスに戻ろうとフラフラ歩いていたところなのじゃ」

 「という事はやはりあなたは」アオノの言葉は、シャヴァラが継ぐ。

 「災禍の化身たる魔王を倒した勇者の仲間。彼らを見守る役割を仰せつかったエルフの生き残り。それがこのワシ、シャヴァラ・ウラノスじゃよ」

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