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第4章 道中にて2

 商人と別れた後、アオノはエノクに今後の方針を尋ねた。経緯に関する話はどうであれ、天球を扱えるというエルフがいないのであれば、行ったところで無駄足になると考えたからだ。しかし、依然として彼の革靴の先端は同じ方向へと向けられている。

 「行ってみればわかる」

 裏を返せば、行ってみないとわからない。それが彼の結論であった。あの商人の話は参考にはなるが、それを鵜呑みにするにはあまりにも辻褄が合わない。天球を扱えるエルフたちが皆殺しになるような状況において、どうして一人の人間が潜入して、あまつさえ国の様子を念入りに探索してから生き延びられたと言うのか。騎士団長クラスでも、おそらくそんな武勇を立てることは出来まい。

 「それに、天球の間は閉じているというのは朗報だ」

 「どうして?」ノアがエノクのロングコートの中から顔を出す。何やら安心するらしく時折このように籠ってくるのである。

 「天球の扉はエルフにしか動かすことができない。全員死んだという話だったが、その中に閉じこもっているものがいるかどうかは部外者では確認できまい」

 エルフの寿命は一千年とも二千年とも言われている。人間はもとより、魔物の自分よりも遥かに長命なのだ。仮に天球の間に隠れて逃げおおせた人物がいたとすれば、どこかで殺されでもしない限り、今でも生きていると考えるのが妥当だ。

 だからとりあえず行くしかない。生死の痕跡を見つけることができれば御の字である。

 (目下の問題は全滅したというエルフと、調査したという使者の話だ)

 エルフが本当に全滅しているのであれば、天球を扱える者は誰もいなくなる。つまり、アオノの記憶を取り戻すことも、この百年間で何が起こったのかも知ることは出来ない。骨折りもいいところになってしまう。

 そして、使者の話。これはどこからどこまでが本当かもわからない。本当にそんなやつがいたのか。いたとしてどこまでが真実か。

 (そして、なぜウラノスに国王が使者を向けたのか。過去の出来事を覗きたかったのか、あるいは別の取引か)

 思考の海に浸っているエノクをノアがじっと見上げる。小難しいことを考えているらしいことは、限りなく無表情に近い眉間に、僅かな皺が刻まれていることからわかる。

 「エルフさん、生きてるといいですね」

 慰めるように、そんなことを口にした。


 それから三人は歩き続けた。時折魔物を蹴散らして、時折すれ違う人に会釈して。

 往還をこんなに長いこと歩いているのは生まれて初めてかもしれない。ふと、エノクはそんなことを考える。

 日が沈んだ後には、アオノに剣の稽古をつける。俺も魔物の一匹くらい倒せるようになりたいと、彼から打診されたのだ。ノアもやりたいと手を上げて主張したが、あっさり却下されてされてしまったため、その時間は二人の稽古を不貞腐れながら眺めて過ごした。

 「はぁ、はぁ」早くもアオノの息が上がる。

 彼の手には、先の村を出る直前にエノクが購入した護身用の剣が握られている。片手で扱える、比較的軽いものである。

 師範役は剣を帯刀することなく、打ち込まれる攻撃を最小限の動きで素早く躱していく。

 この数日間で基礎は身についているのだから、おそらく飲み込みは早い方だ。しかし、どうにも動きがぎこちない。剣を扱うと言うよりも、剣に振り回されているように見える。

 (棒状のものよりは別の武具の方が合っている可能性もあるか)

 弓ぼような飛び道具。魔導器のような応用が効くもの。彼の場合は魔導器の方が性に合っているかもしれない。魔力が燻っているらしいことは、ここ数日の鍛錬ではっきりした。おそらく魔術の才能は多少あるだろう。

 アオノが再び地面を蹴り出す。剣が大きく空へと掲げられ、降ろされる。

 そうだ、彼は少し大ぶりに剣を振るう。それも原因かもしれない。横に避けながら冷静に分析していると、不意に背後から殺気めいた気配を感じ、咄嗟に体を捻った。鼻の先で、火を丸く押し固めたような塊が飛び去っていく。

 「なっ……!」

 アオノが息を詰まらせた。彼が目を凝らした方向には、顔を空へと向けたまま目をぱちくりさせているノア。そして、そのノアに見上げられているフードの何者かが立っていた。露出した唇の端が持ち上げられる。

 「くっ――」

 地面に足をめり込ませ、飛ぶようにしてノアの体を抱きすくめる。フードの何者かは避ける素振り一つ見せない。

 「ふふ、うははははっ!!」

 代わりにケタケタと笑い声を上げる。女の声だ。アオノが剣を構えたのを手で制する。無言で、女の出方を伺う。

 「ああ、本当に! ――つまらんの」

 ひとしきり笑った後にぼやいた。先ほどとは打って変わって冷めた声音に、ノアがぷるりと身震いした。

 「異な気配を感じてふらりと立ち寄ってみれば、これはなんという三文芝居だ? なぜお主がこんなところで人の子を二人も抱えておる? 正しき道を成そうとしたあやつらが、志を裏切られ、殺された先に、お主はなぜ立っているのだ」

 どこからともなく流れる風が女のフードをふわりと持ち上げる。風に靡くは灰桜の生糸。開かれた瞼の奥には毒を煮詰めたような艶やかなベリルの瞳。細く尖ったあごは持ち上げられ、見下すようにエノクを凝視している。

 「なあ、何か言わぬか若造よ」

 視線の先の若造はただ沈黙したまま微動だにしなかった。目の前に突如として現れた女性の姿を食い入りるように見つめ、唇を薄く噛む。

 「あの人」

 浅黒い腕に庇われたノアもまた、女性に魅入っていた。凛とした女性というのは恐らく彼女のような人を言うのだろう。しかし、彼女の視線はその容姿の一点に集中する。

 「――尖った耳の、エルフさん?」

 女の双眼はどこまでも冷やかであった。

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