第3章 ある村にて・後編2
少し出かけた帰り、宿屋の主人が顔見知りらしい男と立ち話をしているのが耳に入ってきた。
「知っているかい。八の村が焼けたって話」ぴたりと、壁を横にし足を止める。
「ああ。噂じゃなんだ、騎士どもがやったって言うじゃないか。なんだってそんなことに?」
「あそこはここらじゃ一番豊作に恵まれてたよな。だが、実際は立場が弱い奴らを奴隷みたいに扱って、田畑を広げてただけだって話だ。それで処罰されたんじゃないか?」
「それなら処罰されるべきは地主だ。必死こいて働いてた農民は関係ないだろ」
「その奴隷がまずかったんじゃないか? ほら、闇市で買ったんだよ。きっとその一部に偶然お貴族様のところに行く愛玩用のが混ざってて、それで怒りを買って焼き討ちにあったんだ」
「だとしてもやりすぎだ。はぁ、俺たちなんざ、王区の奴らにとってその程度でしかないってことなのかな」
不毛な男たちの会話を盗み聞きする影はいつの間にかいなくなっていた。
夜中、二人分の寝息を背に、エノクは再び部屋を出た。昨日よりもグッと人通りが少なくなった道を歩く。適当な場所で屋根の上に登り、村の外に目を凝らす。
点々とした光が一、二、三。こちらへ向かってきている。あれは奴隷を引き取りにきた誰かのものだろうか。将又、崇高な任を背負って遠い王都から馳せ参じた甲冑たちか。その答えは点々とした明かりが近づくに連れ形を表す。
手入れの行き届いた馬の上には涼しい顔をした青年たち。先陣切っている青年だけが、睨みつけるように村を見据えている。荷車なんかはどこにも見当たらない。
エノクは眉間に皺を寄せると、そそくさと宿へ戻った。
時計の針が少し進んで午後十一時。二人の闇商人は頭を抱えていた。
「結局あのガキは見つからない。一体どこに消えたってんだ」
「血痕もあの角っちょでピッタリなくなってた。あそこの住民は知らないの一点張り。おまけに熱湯かけられて、顔が真っ赤だ」
そう言いながら、触れるか触れないかギリギリのところで頬を撫でる仕草をする。
「やっぱり別ので代用しようぜ。二人渡せばチャラだろ」
「どうだかな。あのおばさんはあいつの容姿がすげー気に入ってた。もうあいつ以外は目じゃないんじゃないか?」
こんなことなら、素直に逃してしまったと言えばよかったと首を垂れる。客のおばさんが奴隷を引き取りにくるまで後三十分を切っている。お得意様の機嫌を損ねたとあっては、自分たちは上司から怒られるに決まっている。いや、それで済んだら優しい方だ。どちらともなく身震いした。
トントン、とノック音が静かな部屋の中に響く。なんの捻りもないノック音に、いつもであれば身を潜めていたであろうに、彼らはなんとも運が悪い。きっと彼女が早めにやってきたのだと、身を固くしてゆっくりと、亀が動かしているかのような速度でドアを開こうとした。がっ、と隙間に指が捩じ込まれる。それはドアを剥ぎ取るように、力任せにこじ開けて、冷たい視線が二人の男を見下ろした。一つではない。いくつもの視線が、後ろに控えている。
「奴隷はいるか」
甲冑の男は威圧的な態度で、部屋の奥を見やった。
アオノを起こし、ノアを抱き抱えて宿を出た時、村の中は俄かに騒がしかった。
「騒がしいですね。こんな夜中なのに」
アオノはノアと違って寝起きは良い方らしい。起こされたばかりだというのに、冷静に周囲の異変を察知していた。彼の腰にはエノクが護身用に買ってきた細身の剣がぶら下がっている。
「騎士が来てる」
「騎士? どうしてまた――」
「行くぞ」アオノの言葉を遮って、村の入り口へと足を向けた。
案の定、アーチ型の大層な外扉には騎士と思しき人影が監視の眼を光らせていた。少し離れたところには、縄でぐるぐる巻きにされた人間がちらほら。
アオノの喉から情けない声が出た。
「……行くぞ」
エノクが近づけば、騎士たちはもちろんその姿を凝視する。訝しげに頭の先からつま先を流し見て、腕でスヤスヤ寝ている少女と、巨体の斜め後ろで不安げな表情を浮かべる少年とを見る。
「こんな時間へどこに行くんだ」
「旅の続きだ」
「子どもを二人も連れて?」
「ああ」毅然とした態度で跳ね返す。
「何故こんな夜中なんだ。そちらのレディは寝ておいでになる。明日の朝でもよかったのでは?」
「明日の朝が無事に来ると断言できるのか」
騎士が推し黙る。疑わしげな視線を寄越してきた。
「何が言いたい」刺々しい口調だ。
「八の村が焼かれたらしいと噂が立っている。どうやら騎士の仕業らしいとも」
「なっ! 俺たちを疑っているのか!?」憤慨する。
「さあな。だが、その噂を鵜呑みにして行動した方が利害が少ないと考えたまでだ」
「利害って。……その子たちを危険な目に遭わせるとか考えなかったのか!」
荒げられた声は騒音と言える類に達していた。エノクの手がノアの耳をそっと包む。
「心配ない」あくまで淡々とした口調に、痺れを切らしたのは向こうだった。
「そうかわかった。ならばその子たちを守れるだけの力量があるか試させてもらおう。そうすればここを通してやるさ。だが、無理だったら――」
「奴隷だと」エノクは言葉を被せる。冷徹な色を宿した双眼に見下ろされ、騎士の肩がびくりと跳ねた。
「疑っているのか」
疑問を尋ねたのではない。そうだろう? と案に心の中を見透かされた気がして、騎士はちっと舌打ちをする。
「そうだ。経路不明の奴隷であれば回収するように仰せつかっている。身なりこそいいが、村で買った奴隷を、村で買った装飾で飾っているだけやもしれん」
疑り深いのは結構なことだ。そうでなければ治安を守る仕事は務まらないだろう。だが、限度というものはある。疑りが決めつけになってしまっては、見定めるべきことも見定められまい。
「アオノ、ノアを頼む」
「は、はい」
剣呑な雰囲気に飲まれていたアオノは我に返ったようにノアを腕の中に匿った。その表紙にバランスを崩して尻餅をつく。膝が笑っていた。
騎士が剣を抜く。彼の仲間の何人かが、落ち着くように説得しているがその声すら届いていないようだった。
「抜かないのか」
エノクは身じろぎ一つしなかった。それが彼のプライドを傷つけたのだろう。青筋がプチンと切れた。
地面を蹴って間合いを詰める。振り上げられた剣が肩口を斬ろうと迫る。ノアがみじろいで、瞼を開けた。飛び込んできた光景に瞼を見開き、アオノの腕から乗り出した。
「エノク!」
少女の悲鳴が、金属の弾き飛ばされる音によってかき消される。
一瞬だった。
周りで見ていた誰もが、何が起こったのかをすぐには理解できずにいた。ぐるりと円を描いた切先が、遠くの地面に突き刺さる。
大剣は依然として背中にあった。では、一体何に自分の剣は跳ね飛ばされた?
その答えに頭が追いつくよりも先に、ゆったりとした拍手の音が聞こえてきた。騎士たちの背筋がピンと伸びる。エノクが振り返れば、白い肌の柔らかな表情をした青年が一人、拍手を送っていた。
屋根から見た、騎士たちを先導していた青年だ。
「今の戦いは実に鮮やかでした。剣の腹を殴って弾き飛ばすなど、並大抵の技量ではできません」
彼はエノクの前で立ち止まると恭しく頭を下げる。
「私の部下が申し訳ないことをした。咎ならば上司である私に」
「なっ!? テオ様それは」
「黙りなさい」ピシャリと言い退ける。
「私は兼ねてより、騎士たる行いとは何かを部下たちに言って聞かせているつもりでした。だが、甘かったようです。そちらのお二人も怖い思いをさせてしまったようだね。申し訳ございませんでした」
「い、いえ」
アオノは困惑を浮かべ、ノアは敵意を隠すことなく睨みつける。テオがエノクへと向き直る。
「現在、騎士団では国王の命により、身元不明者を収集しているのです。先の村での一件もその一つでしょう」
「テオ様それは――」
「私は、先ほどなんと言いましたか?」
有無を言わせない圧力に、口を挟んだ青年は押し黙った。下手すれば彼よりも歳わかそうな外見であるが、力の差は歴然だ。「失礼、話を戻しましょう」
「しかし我々は、国王陛下に誓って、無害な方々まで巻き込むようなことは致しません。先ほどの蛮行の後で、信じてほしいなどと口にするのはあまりにも烏滸がましいことを承知の上で、どうか、信じていただけないでしょうか」
テオは真っ直ぐエノクを見つめていた。力強い光を放つ双眼は嘘など知らない赤子のように純粋に思えた。
押し黙ったまま、ノアを抱き寄せ、尻餅をついたままだったアオノを立ち上がらせる。そしてそのまま村の外へ歩を進めた。
「お待ちください! せめて何かお詫びの品を――」
まるでそうすべきであるとマニュアルにでも書いてあったかのような台詞。
「ならばその言葉」顔の半分だけが冷めた眼でテオを捉える。「違えるな」
残されたテオは暫くその場で立ち尽くしていた。視線は固定されてしまったように大きな背中に釘付けとなり、体の中では血潮が目まぐるしく循環していた。




