↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦えない元補給係の廃ダンジョン食堂 ~血まみれのSランクを救ったら、最強探索者たちの帰還拠点になりました~  作者: sakumaaa
第九事件 帰還者に、閉店分の請求書を渡さない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/96

帰還者に、閉店分の請求書を渡さない

請求書を見て、帰還者が帰還を断った。


 順番が悪い。


 請求書は、無事に帰した後で人を困らせるものだ。赤線の外に立たせたまま使うものではない。


 午後四時四十分。指定委託の申請締切まで、残り四日。


 帰路亭の青側では、前回の緊急転用で出た設備費と休業損失を、市と東都開発が机の上で分け始めていた。側面扉は閉まったまま。扉の向こう、赤線の手前に、灰色の外装が四つ立っている。


 会議で決めるはずだった費用が、会議の途中で本物の帰還者を止めた。


「入らない」


 四人班の班長、大庭直哉は言った。


 面体越しの声は平らだった。落ち着いているのではない。呼吸を増やさないように、言葉を削っている。


 大庭の後ろに、佐川香苗、稲村奏、江藤陸。右肩から背中にかけて、灰が濃い。第四層の換気穴が崩れ、灰胞子の溜まりを浴びたらしい。


 帰還札は四枚とも反応している。


 入域四。地上門通過四。清浄側移行は、ゼロだった。


「遠方の除染設備まで九十二分」


 神代さんが、四人の面体表示を見た。


「一番短い人、残り六十八分」


「誰です」


「稲村さん。接続部の圧も落ちてる」


 稲村が小さく手を上げた。元気だと示したつもりだろう。


 神代さんはうなずかなかった。


「手を上げる酸素、節約して」


 国内最強の探索者が、いま止めているのは怪物ではなく挙手だった。強さの使いどころとしては地味だ。正しい。


 扉の内側には、赤、黄、青の境界を作る資材がそろっている。生活衛生担当と救急員も、費用審査に来ていたため現地にいる。受け入れ条件はある。費用条件だけがなかった。


「その画面を見せてください」


 俺は大庭へ言った。


 大庭が端末を赤線の手前へ置く。灰色の粉が縁に付いたまま、画面だけが青側へ向く。俺は拡大表示を読んだ。


 東都開発の調査委託に付随する緊急費用条項。


 装備規格違反、経路逸脱、予定外帰還その他、受託者側の事情によって追加費用が発生した場合、除染、搬送、受け入れ施設の休業損失を実費で精算する。


 規格違反は、まだ確定していない。経路逸脱もない。だが「その他」は便利だった。契約書の中で、事情が分からない時ほどよく働く。


「班の契約は四人で共同負担ですか」


「俺と佐川は固定報酬。二人は出来高です」


 大庭は稲村と江藤を見なかった。視線は端末の端で止まっている。


「元請が立て替えた後、班の報酬から引く。足りなければ次の仕事で返す」


「上限は」


「ない」


「過去に、この条項で請求された人は」


 大庭の呼吸が一度だけ深くなった。


「去年、同じ元請で一人。搬送車と装備回収、二日分の工程遅延。次の契約四本が返済に回った」


「その人は今も探索を?」


「してない」


 契約を読んだだけで帰還を拒むには、理由が具体的すぎた。金を惜しんでいる声ではなかった。帰った後に仕事ごと失う例を、すでに見ている声だった。


 稲村と江藤の出来高は今月からだ。最初の報酬を受け取る前に、上限のない債務だけが先に確定する可能性がある。


 神代さんが、もう一度面体表示へ目を落とした。数字は、さっきより短い。


「その請求と、今回が同じになるとは決まっていません」


「違うとも決まってない」


 面体の残り時間より、契約の空白の方が大庭には危険だった。


「受け入れ施設の休業損失は、まだ金額も決まっていません」


「だから入らない」


 大庭の返事は早かった。


「俺が入れば、三人も入る。四人分の除染に、店一軒を閉めた金まで乗る。こいつらの次の仕事が、今日の帰還代になる」


「ここで待てば面体がもちません」


「遠方へ向かう」


「九十二分です」


「途中で救急へ渡す」


 救急車は人を運べる。高濃度汚染の外装ごと、通常の車内へ入れることはできない。


 大庭も知っていた。知らないふりをしているのではない。知った上で、若い二人へ借金を残すより自分の面体を賭けようとしている。


 立派な判断に見える。帰還者を帰還の手前で止める契約がなければ、だが。


「大庭さん」


 稲村が言った。


「私の分は私が払います」


「黙ってろ」


「出来高、三回分なら」


「上限がないと言っただろ」


 江藤は口を開きかけて、閉じた。面体の内側で奥歯を噛み、佐川がその肩を押さえている。


 四人の同意はそろっていない。班長の拒否だけで、残る三人の身体を待たせていいわけでもない。だからといって、神代さんに抱えて運ばせれば同意が消える。


「真壁さん」


 費用審査担当の野々村が、清浄側の机から呼んだ。


「市の緊急受け入れなら、医療優先で開始できます。ただし費用負担を市へ確定する権限は、私にはありません」


「本人へ請求しないと書けますか」


「支払元が決まらない状態では書けません」


「救命と契約を分けるなら、後から本人へ戻さないでください」


 野々村は言い返さなかった。正しくないからではない。市の金で誰かを助けるなら、誰へ、何の対価を払ったか説明が要る。推定売上を店の言い値で埋めれば、帰路亭だけを特別扱いすることになる。


 八代が机の端で腕時計を直した。残りの時間を見ているのか、決裁の時間を見ているのか、青側からは分からない。


「東都開発が全額を負担する案なら、社内決裁を上げられます」


「条件は」


「四名の氏名、所属、装備規格、曝露経路、医療結果。規格違反の有無を確認し、責任区分を確定します」


 大庭が笑った。笑いというより、予想どおりが当たった音だった。


「ほらな。入った瞬間、請求先が完成する」


 八代の条件にも理由はある。会社が原因不明の費用を無制限に払えば、次の契約が成立しない。


 正しい条件が二つ並び、その間で四人の面体だけが減っていく。


「あと六十二分」


 神代さんが言った。確認ではない。更新だ。


「遠方は、もう間に合わない」


 六十八分の時点で、九十二分の道はもう閉じていた。更新された六十二分は、ここで話し合える時間まで削った。


 俺は営業中の札を裏返した。


 準備中。


 まだ赤線は開けない。側面扉も、閉じたままだ。


 厨房の火を止め、予約台帳を出す。今日の食材、予約客、従業時間。店を閉めた時に実際に失うものを、推定ではなく数えられる形へする。


 その一番上へ、先に一行書いた。


 受け入れ費用。帰還者本人への請求、ゼロ。


 支払者の欄は空白だった。


「空欄では契約になりません」


 野々村が言う。


「分かっています」


「四人を待たせる時間もありません」


「それも分かっています」


 分かっていることばかり増える。前回と同じだ。ただし今回は、扉を開ける手順ではなく、開けた後の請求書が人を止めている。


 俺は空白の支払者欄を指で押さえた。


「四人の値段は計算しません」


 数えるのは、店が何分止まり、何を捨て、何を空けて待てるかだ。


 帰還者へ請求書を渡さないために。


 まず、閉店一回分をばらすことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。