藤森さんの鍋は、藤森さんのもの
藤森さんの仕事の話を、俺より先に三浦君が聞いた。
「外側の拠点から、料理を頼まれたそうです」
朝の倉庫で、彼は包丁を置いて言った。藤森さんが先に自分の班へ話したのだろう。昨日の九人を見送って、ここに残ったのは三十八人。藤森さんもその一人だ。
「こちらの朝食は?」
「もう作ってます。今日の分は」
「そうですね」
明日の分、と口にしそうになった。仕事の話を聞いた途端、彼女の出発を欠員表に変える。久野さんが外へ出たいと告げた時に、俺が避けようとしたことだった。
藤森さんは鍋をかき混ぜながら、俺を見る。
「いつからって、聞かないの?」
「聞きたいです。でも、まずご本人の返事を」
「もう返した。今日、外へ行く」
言葉の後ろに、俺の了承を待つ間がなかった。
◇
外側の協力拠点は、支援者と作業者の食事を作る人を探していた。藤森さんには賃金、勤務日、休みの日と使える厨房が示されている。倉庫の救援食を有料に切り替える話ではない。
「あなたが六食の注文を分けたから、向こうでも料理が仕事になると分かった」と彼女。
「俺が送り出した、と言うつもりはありません」
「言われたら困る」
笑われた。俺は倉庫の炊事班の名簿を見た。三浦君と二人の住民が昨日まで一緒に作り、明日の水と食材の受け取りも覚えている。藤森さんがいなくても、同じ味にはならない。しかし食事は途切れさせずに済む。
「私が出るまでに、鍋と記録を渡す」と藤森さん。「人を増やすのは、残る人が必要だと思ったらでいい」
「三浦君の返事は?」
「聞いて」
俺は本人へ向き直った。
「明日の朝、引き受けられますか」
「一人では無理です。昨日の二人と交代なら」
「それで組みます」と藤森さん。「休みも書いて」
彼女は自分の代わりを一人作ろうとしなかった。鍋を渡す相手には、断れる条件も渡す。
音羽さんは今日の通行条件と藤森さんの外側の受け入れ先を確認した。仕事の契約と移送の安全は別の記録にする。外側の職場が決まっても、足場を省略してよい理由にはならない。
◇
昼、倉庫の三十八人が食べ終わるまで、藤森さんは自分の椀を持っていた。
「帰る人には、最後に特別な料理?」と三浦君。
「私も食べる側だよ。今日は同じ汁でいい」
彼女は使っていた鍋の持ち手を三浦君へ渡した。倉庫の備品だ。自分で磨いたからといって、外へ持ち出すものではない。
「これ、焦げやすいから」
「知ってます。三回やりました」
「じゃ、大丈夫」
「三回も?」と俺。
「二回は食べられました」
三浦君が真顔で言う。藤森さんが笑ってから、鍋の底をもう一度見せた。
南外縁では消防が移送を案内し、神代さんが危険箇所を確認していた。俺は携行する水と、外側の連絡先を確かめる。藤森さんは持って行く私物を自分で選び、誰かの食事の分を背負わなかった。
「行ってきます」
「外に着いてから、受け入れを確認します」
「店主らしい見送りね」
「すみません」
「謝らない。私も確認してほしいから」
彼女は通路へ入った。外側から本人と受け入れ先の確認が届き、同行した担当の所在も閉じる。そこで初めて倉庫の人数を三十八から三十七にした。
夕方、三浦君たちは明日の食材を数えた。俺は横から手を出しかけ、引っ込めた。
「三十七人分。足りない物は、明日の受け取り先へ連絡します」
「お願いします。俺の分を先に引かないでくださいね」
「引きません」
藤森さんの鍋は、三浦君の手で火にかかった。藤森さんの仕事は外で始まる。二つの食事のどちらかを、もう片方の犠牲にはしなかった。




