(7)RAT
処置前の記録映像には、ニュースで見たヴァネッサとは別人のような女が映っていた。
拘束具を付けられたヴァネッサは、隣に座る僧侶へ俯いたまま話しかけている。
「ねぇ……皆、もう来ないんだけど。男もさぁ、毎日好きとか言ってたくせに、誰も来ねぇの」
笑おうとした口元は途中で歪み、身体を落ち着きなく動かすたびに拘束具が小さく鳴った。
「……ねぇ、これ痛い?」
「何がですか」
「死ぬ時。いや、別に怖いとかじゃないんだけどさ。ただ気になるだけっていうか……最近ずっと変なんだよね。寝れねぇし、音するし……」
早口だった声は次第に弱くなり、最後には「誰も来ねぇし」と消え入りそうに呟いた。
しばらく俯いたまま黙っていたヴァネッサが、やがて顔を上げる。
「……私、そんな悪いことした?」
山中で人が壊れていく様子を笑いながら配信していた女とは思えないほど怯えた姿で、年齢だけを見れば十九歳の少女と大差がなかった。
◇
処置室では、ヴァネッサの中枢化準備が進められていた。
モニカの端末には、今回適用される処理条件が表示されている。
『DEX寂滅処理計画』
『Death-row EXtension』
『対象者記憶制限 なし』
「先生。DEX―〇九一一、本当にこのまま移行させるんですか?」
「ええ」
「公表されていた話だと、死刑囚は地獄みたいな世界へ送られるって……でも、これじゃ普通の天国移住と同じですよね?」
「もう充分、地獄ではありませんか」
「……え?」
モニカが白嶺へ顔を向けても、本人は端末を操作したまま説明を続けなかった。
一般の利用者は中枢化後、現実との連続性を薄めるために過去の記憶へ一定の制限を掛けられる。生前の人生を鮮明に保持したままでは、新しく与えられた世界を現実として受け入れにくくなるためだった。
しかし、死刑確定囚に適用されるDEXでは、その処理が逆転する。
『犯罪記憶保持』
『被害者記憶保持』
『刑事処分記憶保持』
『人格保護対象外』
「自分がやったことを、全部覚えたまま天国へ送るんですか?」
「ええ。それがDEXです」
制度発表当時の記録も残っていた。
死刑執行後も脳を活動させ続けることには激しい反発があり、《なぜ加害者が死後も生きられるのか》《被害者は死んだままなのに》《税金で凶悪犯を生かすのか》と、文明局へ大量の抗議が寄せられている。
それに対して政府が打ち出したのが、死刑囚の肉体を国家医療資源として利用する制度だった。
移植可能な臓器や組織は医療へ回し、それ以外の肉体も再生医療や細胞培養などへ可能な限り利用する。制度導入後、移植待機者が大幅に減少したことで、反対一色だった世論も徐々に変化していった。
モニカが当時の記録を送っていると、広報用の広告が表示された。
『死刑囚一人の再利用で百名の命が救われます』
『死刑囚年間維持費、一億円。払うのはあなた』
『あなたは、“ただ殺す”だけで満足ですか?』
「これ、今見ても凄いですよね。なんか狂気を感じるっていうか……」
「そうですか? わりと分かりやすく作れたと思ったのですが」
モニカの指が止まり、ゆっくり白嶺へ顔を向ける。
「……先生が考えたんですか?」
「ええ。寂滅処理計画を作ったのも私ですから」
「先生、何年前から文明局にいるんですか?」
「長くなりますよ」
「いや、そういう意味じゃ……」
その間にも中枢化処置は進み、モニターには恐怖反応、睡眠波形、ストレス値、中枢適合率が次々と表示されていった。
『恐怖反応 高』
『睡眠波形 不安定』
『ストレス値 上昇』
『中枢適合率 良好』
「……あの人、自分がやったことを忘れたいんでしょうね」
「でしょうねぇ。ですが、人間の脳は妙なもので、一番消したがっている記憶ほど何度も再生することがあります」
モニカの端末には、今も《記憶制限 なし》の文字が残っている。
ヴァネッサは自分が何をしたのかも、少女がどんな姿で死んでいったのかも、その全てを持ったまま天国へ送られた。
◇
移行直後のヴァネッサは、天国での生活に不満を見せなかった。
広い部屋には酒も煙草もあり、呼べば取り巻きが集まってくる。現実で欲しがっていたものは、ここでは何の苦労もなく手に入った。
『正直ラッキーだったよね。普通に執行だったら終わってたじゃん』
ソファへ寝転がったヴァネッサが笑えば、周囲も一緒になって笑う。
『死刑囚でここ来れるとか、勝ち組じゃね? 現実の奴ら、今頃発狂してそう』
ところが数日もすると、周囲の些細な反応へ過敏に反応するようになった。
部屋を片付けていた女が苦笑しただけで仕事が雑だと責め、男が一瞬目を逸らせば床へ正座させる。
『なんでさっき目逸らしたの?』
『そんなつもりじゃ――』
『じゃあ、どういうつもり?』
男が困ったように笑った途端、ヴァネッサはテーブルを蹴り飛ばした。
『なんで笑ってんの? 舐めてる?』
『違います』
『……じゃあ私のこと嫌い?』
『そんなわけないです』
『ほんとに?』
怯えた男が何度頷いても問い詰めるのをやめず、最後には相手が自分を怖がっていることを確認するように、何も言わず酒を飲み始めた。
観測室では、モニカがその様子を見ていた。
「こんなの、ただのご褒美じゃないですか」
画面の中では、ヴァネッサが山で起こした事件を武勇伝のように語っている。
「被害者は凍えながら、骨折した足で山を這って、それまで配信されて死んだんですよね。それなのに、やった本人は酒を飲んで、取り巻きに囲まれて好き放題してる。世間には死刑囚を理想郷へ送らないって説明してるのに、これじゃ全部嘘じゃないですか」
白嶺は画面を見たまま答えなかった。
その時、ヴァネッサが男へ灰皿を投げつける。
『なんでそんな顔すんの!』
怯えながら謝る男を前に、今度はヴァネッサ自身が泣き始めた。
『だったら、ちゃんと好きって言えよ!』
「……何なんですか、この人」
「怖いのでしょうねぇ」
「何が?」
「自分以外の人間が、何を考えているのか分からないことが」
ヴァネッサは相手に何度「好き」と言わせても、そのたびに同じ確認を繰り返していた。
「だから怖がらせる?」
「それなら少なくとも、自分が相手より上にいることだけは分かりますからねぇ」
「でも、これのどこが地獄なんですか。更生でも罰でもないし、被害者だってこんなの望んでないでしょう」
白嶺はしばらく画面を見たあと、ようやく端末へ手を伸ばした。いくつかの数値が書き換わったものの、モニカの画面には処理内容までは表示されない。
「……先生?」
白嶺から返事はなかった。
◇
その夜も、ヴァネッサは取り巻きに囲まれて酒を飲んでいた。
薄暗い部屋には甘ったるい煙が漂い、いつものように笑い声が響いている。
『だからさぁ、あの時マジでウケたんだって』
ヴァネッサが笑った直後、隣にいた男の拳が顔へめり込んだ。
身体が床へ転がり、起き上がるより早く別の男が腹を蹴る。丸まった身体へ、今まで一緒になって笑っていた女が灰皿を振り下ろし、折れた歯が血と一緒に床へ落ちた。
『な、んで……待って……』
誰も答えない。
逃げようと伸ばした腕を踏みつけられ、骨の軋む音とともに悲鳴が響く。それでも暴力は止まらず、髪を掴まれたヴァネッサの血まみれの顔が持ち上げられた。
目の前にいる男は、もう媚びるようには笑っていない。
ヴァネッサはその顔を見たまま身体を震わせ、やがて潰れた口を動かした。
『……ごめんなさい』
観測室でモニカが画面へ身を乗り出した直後、刃物がヴァネッサの胸へ突き立てられた。
身体が大きく跳ね、血を吐きながら床へ崩れていく。それでも唇だけが動いていたため、モニカは音量を上げた。
『先生……ありがとう』
「……え?」
『そして……ごめんなさい』
ヴァネッサの口元がわずかに動き、そこで映像が途切れた。
◇
観測室には、停止した画面だけが残った。
「今……先生って言いましたよね?」
モニカは画面と白嶺を交互に見る。
「なんでヴァネッサが先生を知ってるんですか?」
白嶺は答えず、停止した画面へ向かって頭を下げた。
「……お疲れ様でした。ヴァネッサ・レインさん」
モニカは何も言わず、その横顔を見ていた。
ヴァネッサは、ある殺人事件をベースに、いくつかの実際の事件や要素を綯い交ぜにして作った架空の人物です。
問題は事件そのものではなく、「なぜ人はそこまで残酷になれるのか」という犯人の心理。
この作品は近未来心理SFなので、事件よりも進化心理学や集団心理、承認欲求、サディズム、オンライン脱抑制効果などをヒントに、「もし彼女の頭の中を覗いたら、何が見えるのか」を想像しながら書いています。
……もちろん、全部私の予想です(*ノω・*)




