3章凶気と脆弱と (1)Reset
施設内の仮入浴室は、夜になると静かだった。
白いタイル張りの小さな浴場。簡易更衣スペース。無機質な照明。家庭用よりはだいぶ広い。
湯気だけが、静かに天井へ溜まっている。
元々ここは、泊まり込み職員用に作られた簡易設備だった。
モニカは肩まで湯へ浸かり、小さく息を吐く。
「疲れた……」
半年前まで、この施設はもっと単純だった。
幸福指数。適応率。人格波形。など決められた数値を確認し、報告するだけの国家管理施設。
「変わった先生だなぁ……」
モニカは天井を見ながら呟いた。
突然、本部直属という扱いで送り込まれてきた男。
年齢不詳。経歴非公開。
なのに施設長より権限が強い。
モニカは湯の中で膝を抱える。
「……幸せな最後でしたね。マリアさんって……」
モニカは顔へ湯をかけた。
「……意味分かんない」
その時だった。
仮入浴室の扉が開く。
モニカは反射的に胸元を隠し顔を上げた。
「……え」
白い湯気の向こうから、白嶺が入ってきた。
「あぁどうも」
「っ!?」
モニカの肩が跳ねる。
「な、何してるんですか!?」
「シャワーですが」
「いやここ職員用ですし……それに!?」
白嶺は少し考え、答えた。
「私も職員です」
「そういう意味じゃなくて!」
白嶺は少し首を傾げた。
「……空いてたので」
「空いてたら入ってくるんですか普通!?」
「駄目ですか?」
モニカは言葉に詰まる。
白嶺は、シャワーを浴びながら少し考えるみたいに黙った。
本当に不思議そうな顔をしている。
そしてシャワーを浴びながら白嶺はそのまま浴場の壁へ背中を預け、小さく息を吐いた。
「暖かいですね」
モニカは胸元を隠しながら睨む。
「この状況で……距離感おかしいですよ、先生」
「よく言われます」
「自覚あるんですか」
「あります」
白嶺は素直に頷く。
「っ!」
モニカは反論しようとすると白嶺は天井を見上げながら言う。
「でも人間って、お風呂入ると安心しますよね」
「……は?」
「暖かい場所では、人は警戒を緩めます」
「だから入浴中は、本音が出やすいんです」
研究発表みたいな口調だった。
「先生……」
「人類って面白いですよね」
白嶺は少し笑う。
湯気が揺れる。
モニカの表情が曇る。
「……先生、何なんですか」
「なにって、シャワーを浴びにきただけです」
「そういう意味じゃなくて」
モニカは胸元を隠しながら後ずさる。
白嶺は少し黙った。
シャワーの音だけが響く。
白い湯気の向こうで、平然と今もシャワーの設定を変更している。
「普通入ってきます?」
「駄目でした?」
「駄目とかじゃなくて……」
モニカは言葉に詰まる。
白嶺はまた少し考え込んだ。
「癖です」
「癖?」
「はい」
白嶺は淡々と話す。
「モニカさん、今ずっと僕から目を離さないでしょう」
「は?」
「逃げ道を確認してる」
モニカは反射的に入口を見る。
白嶺は目線を落とす。
「あと距離も取ってる」
「……」
「タオルも、さっきから握る力強くなってます」
モニカの背筋へ寒気が走る。
「人って面白いですよね」
白嶺は浴槽の縁へしゃがみ込み、湯へ指先を入れた。
水面が、小さく揺れる。
モニカは咄嗟に身を引く。
湯水が揺れる。
「これが心の動きです」
静かな水音が響いている。
「湯水に触れました」
「っ……」
「不安になると、無意識に生き残ろうとする」
「……」
「視線、距離、声、呼吸」
白嶺はぼんやり水面を見つめている。
「マリアさんも、ずっとそうでした」
「え?」
「誰かに傷つけられる前に、相手を支配しようとした」
モニカは黙って聞いていた。
「でも疑念を消したら、今度は危険を察知できなくなった」
白嶺は本当に不思議そうだった。
「面白いですよね」
「……全然面白くないです」
「そうですか?」
白嶺は少し首を傾げる。
子供みたいな仕草だった。
「人間って、不安を嫌いますけど」
白嶺は静かな声で続けた。
「本当は、不安があるから生き残れたんですよ」
モニカは白嶺を見る。
まるで危険な研究を嬉しそうに見せてくる少年みたいだった。
白嶺は湯気の向こうに歩いていく。
「だから私は、人間を見飽きないんです」




