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天国白書  作者: 凛1129
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2章 支配(3)進化脳

挿絵(By みてみん)


 モニター室には、いつものように白い光だけが満ちていた。

 モニカは、中央の画面に映る女を見つめている。画面の端には、被験体番号、脳波、幸福指数、攻撃性、疑念反応が小さく表示されていた。

 

「これが、例の被験体ですか」

「えぇ、そうですね」

 白嶺は、机に片手を置いたまま答えた。


 マリアの身体は、天国センターへ来てからまだ日が浅い。それでも、現実側の肉体はすでに人間の形を保つことをやめつつあった。

 維持装置へ接続された脳だけが、薄い液体の中で静かに活動している。


 身体の大部分は、移植用、培養用、研究用として処理され、残されたものは管理データ上の数字になっていた。だが、モニターの中のマリアは美しかった。


 若く、細く、白いドレスを着ている。大理石の床には赤い絨毯が敷かれ、巨大なホールには、彼女へ頭を下げる人々が並んでいた。

 

 モニカは少し眉を寄せた。

「……でも、みんなと同じように幸せそうですね」

「はい。お金、名誉、若さ、美しい容姿、成功。最初にそれを望む方は多いですから」

 白嶺は別の被験体のデータを操作しながら淡々と言った。


 実際、天国センターに来る人間のほとんどは、最初に似たような世界を作る。

自分が愛される世界。

自分が成功する世界。

自分を傷つけた人間が謝罪する世界。

自分を見下した者が、ひざまずく世界。


マリアも例外ではなかった。

画面の中で、マリアは玉座に座っていた。

「もういい。あなたは死刑」


 彼女の前には、一人の男がひざまずいている。かつてマリアの投稿へ反論した男に似た顔だった。

 

 男は震えながら床に額をつける。

「マリア様、どうかお許しください。私が間違っていました」

「許すわけないでしょ」


 マリアは退屈そうに爪を見る。

「あなたみたいな人間が、女を苦しめてきたの。だから一番残酷な死刑にして」


 周囲の人々が一斉に頷く。

 「マリア様は正しい」

 「社会を守るためです」

 「彼女の痛みを理解できない者に、生きる資格はない」


 男は刑務官のような者たちに連れていかれた。

 扉の向こうで悲鳴が聞こえる。

 マリアは眉一つ動かさない。


 すぐ隣には、美しい顔立ちの男が立っていた。

 黒髪で、整いすぎた顔をしている。

 マリアが望んだ理想の男だった。

 名前はキリト。

 どこかの物語から借りてきたような名前だった。

 マリアはキリトの顎へ指を添える。

 

「キリト。あんたも裏切ったら、ああなるからね」

「僕がマリア様を裏切るわけないじゃないですか」

 キリトは迷いなく答えた。

 マリアは満足そうに笑う。

「当然よね。私を選ばない男なんて、見る目がないだけだし」

 ホールに拍手が起こった。

 モニカは画面を見ながら、少しだけ顔を曇らせた。

「見ていて気持ちのいい天国ではありませんね」

「ええ」

「でも、本人は幸せそうです」

「そうでしょうか」

 白嶺はモニターを見たまま、少しだけ眉を動かした。

 モニカは白嶺を見る。

「違うんですか」

「彼女は、まだ幸せの形を掴んでいません」

「これだけ望み通りなのに?」

「望み通りだからです」


 白嶺は端末に指を置いた。

「彼女が作った天国には、常に処刑台があります。称賛があり、罰があり、服従があります。ですが、安心がない」


 モニカは画面へ視線を戻した。


 マリアは笑っている。人々は彼女を称え、キリトは彼女の横にいる。

 それでも、マリアはキリトの視線の動きを見ていた。


 一瞬でも他の女を見ていないか。 返事が遅れていないか。 笑顔が薄くなっていないか。

「疑っている……?」

「ええ」


 白嶺は静かに答えた。

「マリアさんにとって、他人は信じるものではありません。動かすものです。だから、相手が従っていても安心できない。従っている理由を疑う。愛されても、演技ではないかと疑う。支配しても、裏切りを探す」

「それじゃ、どこまで行っても疲れませんか」

「疲れますよ」

白嶺は、どこか楽しそうに言った。

「だから観察に向いている」


 モニカは眉をひそめた。

「先生」

「少しだけ、変えてみましょう」

白嶺は端末の上で指を動かした。


 画面の中のマリアが、ふと笑った。

「なーんてね」

 キリトが目を瞬かせる。

「え?」

「私がキリトを疑うわけないじゃん」

マリアは立ち上がり、キリトの手を取った。

「ずっと信用してるよ。だって、あなたは私の味方でしょ」

キリトは戸惑いながら頷いた。

「もちろんです」


 その日を境に、マリアの天国は変わった。

 処刑台は消え密告用の部屋も消えた。

 そして過去に自分を傷つけた者たちを裁く裁判所も消えた。


 マリアは、誰かの言葉を疑わなくなった。


 使用人が食事を運べば、素直に礼を言った。

  キリトが遅れても、問い詰めなかった。

 女性たちが笑い合っていても、自分の悪口だとは思わなかった。

  誰かが失敗しても、すぐに裏切りだとは考えなかった。


 ホールは静かになった。誰も罰されない。 誰も吊し上げられない。 誰もマリアの機嫌を取るために怯えない。マリアは庭で、キリトと紅茶を飲んでいた。

「今日は静かだね」

「はい」

「悪くないかも」

 マリアは微笑んだ。


 モニカは画面を見つめた。

「性格を変えたんですか」

「性格というより、進化させました」

「それは……本人ですか?」

 白嶺はすぐに答えなかった。

「安全な場所には、疑念は必要ありません」

「でも現実の人間は、そんなに簡単に疑うことをやめられません」

「だから天国なのです」


 モニカは言葉を失った。

 画面の中のマリアは、穏やかだった。さっきまで人を裁いていた女とは別人のように見える。

 だが、モニカにはその穏やかさが少し怖かった。

 

「彼女は幸せになりますか」

 白嶺はモニターを見つめたまま言った。

「しばらくは」

「しばらく?」

「疑念を失えば、争いは減ります。ですが、彼女の幸福は、疑い、試し、勝つことで成立していました」


 モニカは画面を見る。

 庭で笑うマリア。

 優しく微笑むキリト。

 何も起きない午後。

「では、疑わなくなった彼女は」

「ええ」

 白嶺は穏やかに笑った。

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