(4)Noise
部屋には、壁一面のモニターと数台の机以外、ほとんど何も置かれていなかった。
窓も装飾もない室内を、無数の画面が放つ白い光だけが照らしている。そこには世界中の人間が映し出され、泣き、怒鳴り、抱き合い、誰かを赦し、また誰かを責めていた。その感情や行動は絶えず数値へ変換され、画面の隅に記録されていく。
一人の男が、その中の一画面を見ていた。
白い肌に、目の下の薄い隈。黒い民族衣装のような服を纏った男の視線の先では、一人の女が高級レストランでグラスを掲げ、ブランドバッグを傍らに置いて何度も自撮りをしている。
「そろそろですね」
背後にいた初老の男が煙草へ火をつけ、クライアントが急かしているから移植準備だけは進めておけと告げた。
「必要ありませんよ。そのうち自分から天国へ来るでしょう」
「そこまで落ちるか?」
「自分を愛している人ほど、自分が他人から愛されていないと知った時の落差は大きいですからねぇ」
初老の男は煙を吐きながら、「相変わらず性格悪いな」と呆れた声を出した。
「観察が好きなだけですよ」
「ほどほどにしろよ。栗山白嶺」
◇
マリアの部屋には、これまで買い集めた物が溢れていた。
タグを外していない服、いくつものブランドバッグ、数回しか使っていない美容家電。給料は毎月ほとんど残らず、カードの請求額を見た直後には後悔しても、数日もすれば新しい商品を探している。それでも、新しく買った服を着て鏡の前に立つ時間だけは、いつも機嫌がよかった。
職場では、速水という男とよく話していた。
「速水くんってさ、絶対モテるよね」
休憩室で何気なく声を掛けたことをきっかけに、二人で飲みに行くようになった。酒が入れば、マリアは上司から昔から気に入られやすかったことや、女性には嫉妬されることが多かったことを話し、速水は否定もせず「大変ですね」と聞いていた。
そんな関係が続くうち、職場では二人が交際していると思う者まで現れた。速水は聞かれるたびに否定していたが、マリアがわざわざ訂正することはなかった。
◇
しばらくして、新卒の吉住が配属され、速水が教育担当になった。
物静かな吉住は、取引先では速水の説明を細かく記録し、分からないことがあればその場で確認していた。速水が相手の名前だけでなく、以前聞いた家族の話まで覚えていることに気づくと、素直に感心している。
「速水さんって、相手の名前覚えるの早いですね」
「その方が話しやすいからね。家族の話とか、一回聞いたことはなるべく覚えるようにしてる」
「すごいです」
「慣れだよ」
ある日、外回りから戻った速水の机へ、吉住が一本の缶コーヒーを置いた。
「速水さん、ブラックでしたよね」
「覚えてたの?」
「朝、飲んでいたので」
「ありがとう」
少し離れた席にいたマリアは、そのやり取りが終わるまで二人を見ていた。
◇
その夜、マリアは吉住の個人アカウントを探し出した。
非公開だったため、昔使っていた別のアカウントから申請すると、間もなく承認された。投稿されているのは手作りの料理や本、観葉植物など、マリアから見れば金の掛かっていない地味な生活ばかりだったが、コメント欄には《ヨッシーさんといると落ち着きそう》《こういう生活ちょっと憧れる》と好意的な言葉が並んでいる。
「……あー。こういうのが好きなんだ」
さらに過去へ遡ったところで指が止まった。
会社で見る作業着ではなく、白いシャツを着た速水が吉住の隣で笑っている。次の投稿には、速水自身が押した《いいね》まで残っていた。
(私と飲んでる時、こんな顔してたっけ?)
マリアは写真を拡大し、しばらく二人の顔を見比べた。
速水と付き合っていないことくらい、自分でも分かっている。それでも今まで自分と飲みに行っていた男が、別の女にはこんな顔で笑い、その女の投稿まで追っていることは気に入らなかった。
「そっか。じゃあ壊そっか」
◇
翌日の昼休み、マリアは同僚との雑談に吉住の名前を混ぜた。
「吉住さんって悪い子じゃないんだけどさ、男の人との距離、ちょっと近くない?」
それ以上強く言う必要はなかった。
数日後には「前の研修先でも何かあったらしい」という話が広まり、匿名アカウントにも《新人なのに男の先輩にだけ懐いてる人って苦手》《女に嫌われる人って理由ある》と似たような投稿が流れ始めた。
誰が最初に言ったのか分からなくなる頃には、吉住は昼食にも誘われなくなり、速水と一緒にいるだけで陰口を叩かれるようになっていた。
そんな日が続いたあと、吉住は会社へ来なくなった。
三日目の朝、紺野部長から休職が告げられる。
速水も以前ほど職場で話さなくなり、俯いたまま仕事をする時間が増えていた。
「速水くん、今日飲みに行こ。なんか今にも死にそうな顔してるよ」
◇
その夜、かなり酒の回った速水を、マリアは自宅へ誘った。
「その状態で一人にする方が心配だって。変な意味じゃないから」
翌朝、隣で目を覚ました速水は、自分がなぜそこにいるのか分からない様子で周囲を見回した。
「俺……覚えてないんだけど」
「昨日すごかったよ?」
マリアが端末を差し出す。
ベッドの中で撮られた二人の写真を見た途端、速水の顔から血の気が引いた。
「安心して。誰にも見せないから」
それからも二人の関係は続いた。
マリアが欲しい物をねだり、速水が渋るたびに、あの日の写真が話題に出る。
「あの日の写真、まだ消してないよ?」
「……分かった」
そのやり取りを繰り返すうち、速水が断ることはほとんどなくなった。
◇
終わりは突然だった。
昼休みを終えたマリアは紺野部長に呼び出され、会議室へ入るなり足を止めた。机の上には、見覚えのある匿名投稿とチャット履歴が並べられている。
【あいつ孤立させれば終わりじゃん笑】
【鬱っぽくなってきた】
【泣いたら勝ちなんだよ】
誰が会社へ送ったのかは分からなかった。
処分が決まるまで自宅謹慎だと告げられると、マリアはすぐに他の社員の名前を出した。
「待ってください。私だけじゃないです。みんな言ってたし――」
「そこが問題なんだよ」
会議室を出たあと、それまで一緒に陰口を言っていた者たちはマリアと目を合わせず、速水まで視線を逸らした。
◇
「クソがッ……!」
帰宅したマリアはバッグを床へ放り投げ、速水のアカウントを片端から遡った。
女でも、金でも、何でもよかった。自分だけが悪者にされる理由はなく、あんなふうに目を逸らした速水にだって、探せば人に知られたくないことの一つくらいあるはずだった。
「絶対なんかあるでしょ……」
過去の写真を拡大していると、その端に知らない女のネイルが写り込んでいた。
「ほら。やっぱり」
相手が誰なのかまで確かめようとはせず、マリアはその写真を保存した。
「人のこと裏切ったんだから、これくらい当然でしょ」
その時、一件の通知が画面へ重なった。
『文明局救済運営課 天国移住センター』
『あなたに最適化された新しい人生をご案内します』
『もう、傷つかなくていい』
普段なら広告などすぐに閉じていたが、マリアは表示された白い街をしばらく眺めたあと、案内ページを開いた。
◇
観測室では、その一部始終が記録されていた。
白嶺の前には《対象個体 MRA―13》《孤立予測値 九六%》という数値とともに、マリアが天国移住センターの説明を読み進める映像が表示されている。
初老の男から移植準備を命じられた時点では、孤立予測値はまだ七八%だった。
白嶺は記録を遡り、速水との関係から吉住への嫌がらせ、休職、自宅謹慎へ至るまでの流れを順番に確認した。
そのどこにも、白嶺が手を加えた記録はない。
画面の中では、マリアが説明ページを最後まで読み終え、申し込み画面を開いている。
「そろそろですねぇ」
設定資料 モビリティポッド(自動運転Car)
イメージ画像もあるので、
近未来を感じたい方は是非!
https://x.com/i/status/2075020149246320664




