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天国白書  作者: 凛1129
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2章 支配 (1)Noise

挿絵(By みてみん)


 部屋には、モニターと机しかなかった。

窓はない。装飾もない。壁一面に埋め込まれた画面だけが、薄い白色の光を放っている。

 画面の中では、世界中の人間が泣き、怒鳴り、抱き合い、誰かを赦し、誰かを責めていた。


 その全てが、数字に変換されている。

 男は机の前に立ち、一つの画面を見ていた。

 白い肌。目の下に薄い隈。整った顔立ちなのに、生きている人間特有の雑味がない。

 黒い民族衣装のような服が、無機質な部屋の中で妙に浮いていた。


 画面には、一人の女の生活記録が映っている。


 高級レストランで、女はグラスを掲げて笑っていた。

 机の上にはブランドバッグが置かれている。

 別の日には、ホテルのラウンジで撮った自撮り。

 隣にいる男は、腕だけが映っていた。


「そろそろですね」

 男が言った。


 背後で、初老の男が煙草へ火をつける。

「まだ分からんだろ」

「分かりますよ」

「根拠は?」

「ありません」


 男は穏やかに答えた。

「ですが、あのタイプは最後、必ず孤立する」


 初老の男は机へ端末を置いた。

「クライアントが急かしてる」

「珍しいですね」

「上は、ああいう人間を好む」

「壊れ方が派手だからですか?」

「数字が伸びる」


 男は少し笑った。

「なるほど」


 初老の男は煙を吐いた。

「移植準備は進めとけ」

「ええ」

「迎えに行くタイミングは任せる」

「ありがとうございます」


 男はモニターから目を離さない。

「時期に、自分から天国へ来ますよ」

「随分自信だな」

「自分を愛している人間ほど、現実に絶望しやすいので」


 初老の男は鼻で笑った。

「相変わらず性格悪いな」

「観察が好きなだけですよ」


 初老の男は部屋を出ていく。

 自動扉が閉まる直前、低い声が室内へ残った。

 

「ほどほどにしろよ。栗山白嶺」


——————

 マリアの部屋には、物が多かった。

ソファにはタグ付きの服が積まれている。

 開封されたままのブランド箱が壁際に並び、キッチンには数回しか使われていない高級コーヒーメーカーが置かれていた。

 床には空き缶が転がり、鏡の前には化粧品が広がっている。


 バッグは多い。靴も多い。服も多い。

ただし、それらが丁寧に使われている様子はなかった。


 給料は毎月ほとんど消える。カードの請求額を見るたびに顔をしかめるが、数日後にはまた何かを買っている。

 ブランド物の中には本物もあれば、精巧な偽物もあった。本人も、もう区別できていない。


 それでもマリアは、鏡の前に立つのが好きだった。

会社でも、マリアは同じように振る舞った。


「速水くんってさ、絶対モテるよね」

休憩室で、マリアは笑った。

 速水は紙コップへ口をつけたまま、困ったように笑う。

「いや、全然ですよ」

「またまた〜」

 マリアは笑いながら、速水の肩を軽く叩いた。

 速水は少しだけ身体を引いたが、マリアは気づかないふりをした。

「彼女いないの?」

「今はいないです」

「え〜、絶対嘘」

「ほんとですって」

「じゃあ今日、ご飯付き合ってよ」

「今日ですか?」

「うん」

「いや、明日朝早くて……」

「一時間だけ!」

マリアは返事を待たずに端末を開いた。

「何食べる? 焼肉? 寿司? あ、でも速水くん、お酒弱そうだから居酒屋かな」


 速水はまた困ったように笑う。

「……じゃあ、一時間だけ」

「やった」


 マリアは嬉しそうに笑った。

その笑顔を見て、速水は少しだけ微笑む。


 飲みに行く回数は少しずつ増えた。

 マリアは酒が入ると、自分の話をした。

「私って昔から上司に気に入られるんだよね」

「へぇ」

「あと、女に嫉妬されやすい」

「大変ですね」

「うん。ほんと苦労する」

 速水は相槌を打つ。


——————


 会社で、マリアは職場の仲間と話をしていた。

「え〜、速水くんまた迎え来てくれたの?」

「違いますって」

「はいはい」


 マリアは否定しない。

 速水も言い返さなかった。


 ある日。

「速水、ちょっと頼む」

紺野部長が空中モニターを操作しながら言った。


 隣には、新卒の女性社員が立っていた。

「今日から吉住さん、お前の教育担当な」

「俺ですか?」

「お前、得意先からのクレーム少ないから」

「褒めてます?」

「半分な」

 紺野部長は笑った。

 

「今日は取引先回りに連れてけ。挨拶だけでいい」

 吉住は小さく頭を下げた。

「吉住です。よろしくお願いします」

 小さな声で吉住は言った。

 

 二人は移動用ポッドの中にいた。


 窓の外では、白い高層ビル群の間を配送ドローンが飛び交っている。巨大モニターには、AIニュースが流れている。


 速水は外を見ていた。

 隣で吉住が、タブレットに何かを書き込んでいる。

「……酔ってない?」

「あ、大丈夫です」

「ごめん。俺、加速モードちょっと苦手で」

「私も少し苦手です」

 吉住は小さく笑った。

 速水も少し笑った。


「営業って、もっと怖い人ばかりだと思ってました」

「え?」

「怒鳴られるとか」

「まあ、昔はあったらしいね。今やったらコンプラ研修一直線だけど」


 吉住はまた小さく笑った。

 しばらくして、吉住が言った。

「速水さんって、相手の名前覚えるの早いですね」

「ん?」

「さっきの取引先も、家族構成まで覚えてたので」

「あー……その方が話しやすいから」

「すごいです」

 速水は少し照れた。

「いや、慣れだよ」


 昼過ぎ。

 取引先から戻った速水がデスクへ座る。

「疲れた……」

その時、机へ缶コーヒーが置かれた。

「速水さん、ブラックでしたよね」

速水は少し驚いた。

「……見てたの?」

「朝、飲んでたので。違ったらすみません」

「いや、合ってる」


 速水はコーヒーを飲みながら、吉住の方を見た。

 吉住はもう自分の席へ戻り、今日のメモを整理している。

 少し離れた席から、マリアがその様子を見ていた。


 帰宅後、マリアはバッグをソファへ放り投げた。

 床の空き缶に当たり、ぬるくなった酒がラグへ染みる。


「最悪……」

 マリアは散らかった部屋を跨ぎながら、冷蔵庫から酒を取り出した。缶を開け、端末を操作する。

「……吉住」


 会社の社員共有ページから新人研修の集合写真を開く。吉住の名前を押すと、個人アカウントへ辿り着いた。


 鍵がかかっている。

 マリアは画面を見たまま眉を寄せた。

「は?」

数秒後、別のアカウントへ切り替える。


 昔、懸賞応募用に作ったまま放置していたアカウントだった。猫のアイコンに、どこかのカフェで撮ったラテの写真。誰にでもありそうなプロフィール。


 申請を送る。

 マリアは缶チューハイを一口飲んだ。


 通知が鳴った。

「通った」

マリアは口元を歪める。

「——警戒心ないんだ」


 吉住の投稿には

 休日に焼いたらしいパン。

 湯気の立つスープ。

 窓際に置かれた小さな観葉植物。

 本屋で買った文庫本。

 使い込まれたマグカップ。


 コメント欄を押す。

『ヨッシーさんといると落ち着きそう』

『こういう生活ちょっと憧れる』

『なんか安心する』


 マリアは無言でスクロールを続けた。

「……あー。こういうのが好きなんだ」


 一枚だけ、速水が写っていた。

 白いシャツ。

 紺色のパンツ。

 会社で見る作業着姿とは別人みたいだった。


 吉住が何かを言う。

 速水が笑う。

 その顔を見て、視線を逸らした。


 マリアは酒を一気に口に流し込んだ。

「調子乗ってるわけね」

 マリアはもう一度、写真を見る。

 笑っているのは速水だった。

 吉住は、ただ隣に立っていた。


 マリアは端末を握ったまま笑った。

「そっか」


 画面の中では、吉住が観葉植物の写真を載せていた。

その投稿に、速水がいいねを押している。

マリアの目が止まる。

「……へぇ」

しばらく見てから、マリアは端末を閉じた。

「じゃあ壊そっか」

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