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天国白書  作者: 凛1129
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17章 生命を穿つ (2) 策は静かに巡る

挿絵(By みてみん)


【佐藤病院】

 

 受付の時計は午後五時を少し回っていた。

 診療を終えた佐藤は白衣を脱ぎ、大きく息を吐く。

 その時だった。

 受付AIが静かに告げる。

 

『文明局より来訪者です』

 

 佐藤の手が止まった。

「……通してくれ」

 数秒後、診察室の扉が静かに開く。

 

「お久しぶりです」

 神代は穏やかな笑みを浮かべていた。

「相変わらず患者さんが多いですね」

 

「儲かりゃしないがね……」

 佐藤は苦笑しながら来客用の椅子を勧めた。

「君はどうなんだい。聞けば、大変な出世頭だそうじゃないか」

 

 来客用アンドロイドが、テーブルへ温かい緑茶を二つ置く。

「いただくよ」

 神代は湯呑を両手で包むように持ち、一口だけ口をつけた。

 

「いいお茶ですね」

「明日、旧東大の一室で、うちの職員と、なんでも中枢化と意識の核の研究発表をするそうだな。資金援助も募るとか」

 

「ああ、まぁそんなところだ」

 佐藤も湯呑を持ち上げ、静かに茶を含む。

 

「良いことだ」

 神代は穏やかに頷いた。

「君の研究は、もっと評価されていい」

 

 佐藤は目を細める。

「急に褒めるなよ。怖いだろ」

「怖がる必要はない」

 

 神代は湯呑を静かに置いた。

「必要なら、文明局から正式に研究費を回せる」

 

 佐藤の指先が止まる。

「……随分、気前がいいな」

「投資だよ」

 神代は柔らかく微笑んだ。

「君の研究は、人を救う可能性がある」

「予算が理由で止まるのは惜しい」

 佐藤の視線が、机の隅に積まれた研究資料へ落ちる。

 

「それで借りを作れって?」

「違う」

 神代はゆっくり首を横へ振った。

「君は君の研究を続ければいい」

「私は、その環境を整えたいだけだ」

 

 佐藤は湯呑の中を見つめ、小さく笑う。

「……相変わらず、人たらしだな」

 

 部屋に静かな間が落ちた。

 神代は初めて真っ直ぐ佐藤を見た。

「一つだけ教えてほしい」

「栗山くんは、君に何を頼んだ?」

 佐藤はすぐには答えない。

 

 部屋は静まり返り、茶の表面だけがわずかに揺れていた。

「……診察だよ」

「それだけかな」

 神代の口調は変わらない。

「佐藤」

「なんだ」

「私に嘘をつく必要はない」

 

 佐藤はゆっくり顔を上げた。

 その瞬間、数日前の白嶺との会話が脳裏をよぎる。


 

『神代さんは、まず安心させてきます』

『責めない。嘘をつく必要はない。そのような言葉を使うでしょう』

『その後に、前提質問を使います』

『前提質問?』

『はい。来たかどうかではなく、何を頼まれたかを聞いてきます』

『そのまま乗ってください』

『予算の話が出たら、遠慮なく受け取って構いません』

『いいのかい?』

『はい。院長の研究は続けるべきです』

『そして、神代さんには知ってもらう必要があります』


 

「君が彼に協力したとしても、私は責めない」

「……」

「むしろ、そうしてくれた方が都合がいい」

 

 佐藤の眉がわずかに寄る。

「都合?」

 神代は一度だけ窓の外へ目を向けた。

 

「彼は必ず動く」

 

 その横顔は穏やかなままだった。

 「問題は、どこへ向かうかだ」

 

 佐藤は諦めたように小さく息を吐く。

「三つだ」

 

「職員が待機できる控室」

「運営用セキュリティ型BANREIとの接続権限」

「万が一のための予備パス一枚」

 

「種類は?」

「関係者用の一時パスだ」

「誰の?」

「ライラくんの関係者枠」

 

  神代は一度だけ静かに頷く。

「なるほど……」


「悪いことに使うとは思ってない」

「私もそう思っている」


 佐藤は神代を見据えた。

「じゃあ、なぜ聞く」


 神代は少しだけ笑った。

「安心したかっただけだよ」

 それ以上は何も言わず、湯呑を持ち上げた。

「さて、お待ちかねの補助金の話をしようか」


 佐藤は肩を竦める。

「相変わらず、お前は狸だな」



————————


【文明局 公用ポッド内】

 佐藤病院を出た神代は、公用ポッドへ乗り込んだ。

 窓の外には、夕焼けに染まる街並みが静かに流れている。

 

 神代は端末を開いた。

朱 美玲(シュ メイリン)に繋げ」

『かしこまりました』

『……………………』

朱 美玲(シュ メイリン)様に繋がりました』

「はい、朱です」

「メイリン君、栗山くんの動きが見えた」

「動き……ですか?」

「そうだ」

 神代は資料を送信しながら続ける。

 

「佐藤の共同研究発表」

「ライラくんの参加」

「控室」

「運営BANREIとの接続権限」

「関係者用一時パス」

 

「一見すると、何の繋がりもない」

 神代は小さく笑った。

「だが、全部繋がっている」

 メイリンは送られてきた資料へ目を落とす。

「……つまり」

 

「明後日、六月六日ですね」

 

「その日、私は建設計画の発表で壇上に立つ」

「政府関係者、海外機関、報道各社も集まる」

「私が最も持ち場を離れられない時間だ」

 神代はポッドの窓越しに、夕焼けへ染まる街を眺めた。

「狙いは私だ」

 その口元がわずかに緩む。

 

「私が最も持ち場を離れられない、その時間へ全てを合わせてきた」

「見事だ」

「ここまで読んで準備したのなら、私も礼を尽くさなければ失礼というものだ」

 

 神代はさらに資料を送信した。

 旧東京大学地下三十二階。

 立体図面が空中へ展開される。

 メイリンは無言のまま図面を見つめた。

「侵入経路は二つ」

 神代が指を滑らせる。

 立体図の一部が赤く発光した。

「地下三十二階へ到達できる手段は専用エレベーター」

「もう一つは非常階段だ」

 メイリンは頷く。

「AI監視は設置しないのですか」

 

「できない」

 神代は即答した。

 地下三十二階は、その存在自体が最高機密である。

 監視AIを常駐させれば運用記録が残る。

 秘密を知る存在は、一人でも少ない方がいい。

「だから警備は人員だけで十分だ」

 

 神代は図面をさらに拡大した。

「エレベーター前に一名」

「非常階段入口に一名」

「そして――」

 神代はメイリンを見る。

 

「栗山監察官本人を、君が監視する」

 

「承知しました」

 神代は静かに頷いた。

 

「これで十分だ」

「彼は一人」

「この布陣を同時に突破することはできない」

 通信はそこで切れた。


【文明局 本部】

「栗山監察官……」

 メイリンは神代から送られてきたデータを確認し、一件ずつ保存していく。

 画面には、

《文明局後援 共同研究発表会》

の文字が映っていた。

 

「関係者を含めた予定人数を調べて」

 端末へ指示を送る。

『昼食発注数を確認します……四〇〇人分です』

『会場予想人数……三五〇名から五〇〇名』

「ありがとう」

 メイリンは資料を監視計画フォルダへ移動させた。

 そして、もう一枚、新しいデータを開く。

 

《栗山白嶺 行動監視計画》

 

 数秒だけ画面を見つめる。

 暴漢から自分を庇った白嶺の姿が脳裏を過ぎった。

 メイリンは静かに目を閉じる。

 

「……情に流されてはいけない」

 

 小さく呟くと、新たな監視計画の作成を始めた。



——————————


【6月5日 天国センター 執務室】


午前八時十分

「おはようございます、メイリンさん」

「あら、おはよう」

 メイリンは既に出社しており、掃除用アンドロイドを起動させていた。

 モニカはデスクにつくなり、端末を開き予定を入力し始めた。

《午後四時 戻り予定》


「今日、明日と私はほとんど不在ですので、よろしくお願いします」

 とモニカはメイリンに伝えると「確認済です」と答えた。

続けて、

「今日も監察官と一緒じゃないの?」とモニカに明るい口調で質問した。

「あの人、全部ギリギリなんです……」

「そうなの?みえないけどなぁ」

 メイリンは少し驚いた。

「はい、時間前に来るのは、無駄だそうです」

 と、モニカは呆れた顔で言った。


 八時三十分

「おはようございまーす」

 自動ドアが開くと、白嶺がふらっと入ってくる。

「「おはようございます」」

 と、二人も挨拶をした。

 相変わらず、ペイズリー柄のバンダナを巻いている。

「まだ腫れが引かないのですか」

「いえ、多少、引きましたよ」

 メイリンは、肩を竦めデスクに戻った。


「はい、コーヒー」

 モニカは、白嶺のデスクへそっとカップを置いた。


「ありがとうございます」

 白嶺はモニカを見て、目元だけで微笑んだ。

 モニカの動きが、一瞬だけ止まった。


「……?」

「どうしました?」


 白嶺が首を傾げる。

「ううん、何でもない」


 モニカは小さく笑い、そのまま踵を返した。


「それじゃ、行ってきます」

「お気を付けて」


 白嶺は何事もなかったように映像端末を立ち上げる。

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